1世紀ほど前に奏でられ、
民衆を沸かした
メンフィス・ジャグ・バンドが
今なお影響を与え続けている理由

60年代にリヴァイバル・ジャグバンド・
ムーブメントが起こる

ジャグバンドは40年代頃には勢いを失ってしまうのだが、この音楽もまた1950年代後半から60年代にかけてのフォーク・リヴァイバル・ムーブメントで都市の若者たちに再発見・再評価される。以前このコラムでミシシッピー・ジョン・ハートを紹介した際にも触れたが、今もルーツミュージックのバイブルのように評価されているハリー・スミス選『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(‘52)という編集盤があり、メンフィス・ジャグ・バンドやガス・キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ、ファリー・ルイスといったジャグバンド、それに類するアーティストもまた、他のブルースや昼ビリー音楽に混じってこのセットに収録された。それがきっかけになり、白人の若者たちがジャグバンドに興味を持ち、自分たちでバンドを組み始めるのである。ニューヨークではあのジョン・セバスチャンがマリア・マルダー、デヴィッド・グリスマン、ステファン・グロスマンらとイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドを組む。ボストンではジム・クウェスキンがジェフ・マルダー、ビル・キース、フリッツ・リッチモンド、リチャード・グリーンらを伴ってジム・クウェスキン・ジャグ・バンドを組んだ。ついでというと何だが、あのジェリー・ガルシア、ボブ・ウィア、ピッグペンもグレイトフル・デッドを組む以前、マザー・マギーズ・アップタウン・ジャグ・チャンピオンズというジャグバンドをやっていた。

面白いのはジャグバンドに飛びついた白人の若者たちの中に多分にブルーグラスに関わりがあるプレイヤーがいて、“ストリングス系”ジャグバンドが誕生したことだ。卓越したプレイヤーが多く、特にジム・クウェスキン・ジャグバンドのバンジョー奏者ビル・キース、フィドルのリチャード・グリーンはビル・モンローのブルーグラスボーイズ出身という実力は保証書付き、みたいな存在だった。とはいえ、センスがなければいくら演奏が上手くてもつまらないジャグバンドで終わったはずだが、彼らは傑作をものにする。ジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフル→ソロ)のいるイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドのほうも後に出身者が揃ってバンドで、ソロで成功するなど揃いもそろって達者なプレイヤーであるばかりでなく、非凡なセンスで活躍した。ボストンとニューヨークのこの2大バンドがリヴァイバル・ジャグバンド・ブームを牽引したと言っていいだろう。

OKMusic編集部

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