【追悼 ジェフ・ベック】
ロック史上最高のギタリストとして
世界を魅了し続けた人生

1975年、
『ワールドロックフェスティバル』

個人的な思い出を語って申し訳ないが、筆者が初めて海外アーティストのコンサートを生で体験したのがベックだった。当時中学生だったのだが、『ブロウ・バイ・ブロウ』 を聴いてすっかり参っていたところに、その年の『ワールドロックフェスティバル 1975』(主催:内田裕也)が8月に開催され、ベックが来るという。学校が夏休みゆえ、どうしても観たくて親を説得し、ひとり新幹線に乗って名古屋まで行ったのだ。同フェスは京都でも開催されることになっていたが、私が何でわざわざ名古屋まで行ったのかは、きっと理由があったのだろうけれど、よく覚えていない。ただ、この選択は吉と出る。

8月5日、ビクビクしながら名古屋駅で下車、構内を歩いているといきなり、あの外道のメンバーに遭遇する。彼らのトレードマークのようになっていた派手な着物をアレンジしたコスチュームを着て歩いているのでそれと分かったのだが、中学生にはまさに不良そのもの、恐ろしい連中に見え近寄れなかった。土地勘もなく、ひとりだったのでどこをブラつくでもなく開演までの時間を会場(愛知県体育館)の外で過ごした。同じ年頃の子供は誰ひとりおらず、続々とやってくるロングヘアの若者に気押され、心細かったものだ。夕方になってリハが始まり、ベックの演奏が外に漏れ聴こえてきたのには感激したものだ。そのファンキーな音からも、ライヴには黒人ミュージシャンを起用してるんだろうかと、年に似合わずマニアックなことを思ったことを覚えている。実際のライヴはあまりにも席がステージから遠くて、いくら目を凝らしてもああベックが動いてるという程度。それでもギターの音の大きさ、トリッキーなプレイ、トーンの美しさ、肉声みたいなフレージング、豪快かつシャープな剃刀のような、まさに超絶技巧の演奏はひたすらカッコ良かった。当日のセットリストを調べると、多くはその4カ月前に出たばかりの『ブロウ・バイ・ブロウ』からで、そこにあの有名なトーキングモジュレーターを使った「Superstition 」などの人気曲を加えた構成だった。それでもこの時のバック陣がウィルバー・バスコム(Bass)、バーナード・パーディ(Drums)、そしてマックス・ミドルトン(Keyboards)で、バスコムとミドルトンは次作『ワイアード』でもプレイしている。それにしてもバーナード・パーディの名前が告げられた時は驚いたものだ。超有名セッションドラマーだが、なにせアレサ・フランクリンのバックにいた人というぐらいは時の中学生も知っていたのだ。

この名古屋公演では他にニューヨーク・ドールズ(オリジナルメンバーはデビッド・ヨハンセンとシルヴェイン・シルヴェインだけだったが)、フェリックス・パパラルディ&クリエイション、ウェストロード・ブルースバンド、イエロー、ファーイースト・ファミリーバンドなど和洋とり混ぜ観ることができたのはラッキーだった。

先の方で名古屋公演を選んで吉となったのは、ベックは来日直前に風邪を引いて体調が悪く、京都公演の出演をキャンセルしたからだ。この時のいきさつを歌にした京都のフォーク&ブルースシンガー、豊田勇造さんの名曲「ジェフベックが来なかった雨の円山音楽堂」がある。ベック愛にあふれた名演である。

「ジェフベックが来なかった
雨の円山音楽堂」

OKMusic編集部

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