フォーク・ブルースというスタイルで
今なお尊敬を集める
伝説のブルースマン、
ミシシッピー・ジョン・ハート
日本のフォークシーンにも
多大な影響を残したJ.ハートのスタイル
そのJ・ハートの影響力は海を隔てた日本にも及び、60年代後半のフォーク黎明期に彼のギタースタイルは多くのフォークシンガーのお手本になっている。特に大きな影響を受けているのが、あの高田渡である。デビュー前の高田が京都で暮らしていた時分、ヴァンガードレコードから出たJ・ハートやカーター・ファミリーのレコードを擦り切れるほど聴いていたことなど、当時本人と付き合いのあったフォークシンガーの古川豪氏から聞いたことがある。そう、あまり語られないが、実は自身による作詞作曲の少ない高田渡は、その多くの曲をJ・ハートやカーター・ファミリーに求めている。彼らの作ったメロディーに国内外の詩人の詩を歌詞につけるというのが高田渡のひとつのスタイルで、あの代表曲の「生活の柄」などもカーター・ファミリー経由で知ったトラッドの「When I’m Gone」という曲に山之口貘の詩をあてたものである。とはいえ、アメリカンフォークをこれほどに趣き深いものにアレンジし、それを類稀な表現力で、ある意味オリジナルのように歌った高田渡氏はやっはりすごいものだし、J・ハートを、さらにはアメリカンフォークを日本のフォークシーンに浸透させた功績というのも大きいと言える。
再発見後、しかも最晩年の枯れた味わいのアルバムも絶品だが、1928年の絶頂期をとらえたJ.ハートの『アヴァロン・ブルース』、高田渡のアルバムとともにぜひ聴いてみてほしい。
TEXT:片山 明