アメリカン・フォーク界の重鎮、
ポール・サイモンが挑んだ
異文化圏コラボレーションが
投げかけた成果と波紋
批評家には批評家の
考えがあるとは思うが…
※ 「コンドルは飛んでいく」はアルバム『明日に架ける橋(原題:Bridge over Troubled Water)』(‘70)に収録。
また、たとえばカントリーミュージックが英国由来の民謡とアパラチア・マウンテン周辺で民衆に親しまれたヒルビリーと混ざり合うことで生まれたように。ゴスペルがブルースと混ざり合うことでソウルミュージックが生まれたように。ポピュラー音楽はいつも異なるタイプの音楽が混ざり合うことで新たなスタイル、スターを産み出してきたのではないか。楽器だってそうだ。ロックやフォークに欠かせないメイン楽器のひとつである6弦ギターだって、元はスペイン、ポルトガルがルーツで、バイオリンは中国やモンゴル、中近東の擦弦楽器が進化したものだ。クラシック音楽で活躍するそれが、民衆の集うパブや集会の場でフォークダンスの伴奏楽器に用いられると呼び名はフィドルに変わったりする。それからマンドリンはイタリアから、そしてカントリーやフォークでよく使われるバンジョーはアフリカから奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられた人たちによって伝わったものだ。
英国のバラッド等、スコアではなく口伝えで伝承されてきた音楽は民族の血、魂に等しいものであることは容易に想像がつく。それだけに異国の文化圏の人間が、安易にではなくとも、それに手をつけ、勝手に解釈を加えたりすることは許し難い行為でもあるとするのも理解できなくはない。それでも、ポピュラー音楽、民衆の音楽の成り立ち方を考えれば、サイモンへの執拗な批判はやや偏狭すぎないかとも思うのである。
『グレースランド』にはサイモンの持ち味とも言えるフォーキーなメロディーラインにアコースティックギター、ソフトな彼の歌声というのがあくまでベースとしてある。そこにアフロビート、コーラス、パーカッシヴな演奏が盛大に歌を盛り立てているという趣きである。これはワールドミュージックに耳馴染んでいる2022年現在の耳で聴くから思うのだと弁解しておくが、“それなりに融合してはいるが、さすがに借り物感は否めない”というところだろうか。とはいえ、これが1986年の成果なのだと考えると、それは何と斬新な試みであったか。何よりもレディスミス・ブラック・マンバーゾ(1960年結成~現在)などのグループ、ミュージシャンを西欧諸国に紹介した功績は大きい。本作への参加以降、彼らの海外公演も増えた。また、本作では表記も小さく目立たない役割だが、セネガルのユッスー・ンドゥールはこの後、ピーター・ゲイブリエルのアルバムに招かれ、ソロでもアルバムを発表するなどの活躍を示す。
批判はあったものの、アルバムは好成績を示し、グラミー賞も獲得するなど評価も得てサイモンはこの路線に手応えを感じていた。そして次は南米に向かうのである。