アメリカン・フォーク界の重鎮、
ポール・サイモンが挑んだ
異文化圏コラボレーションが
投げかけた成果と波紋

アパルトヘイト(人種隔離政策)に
揺れる南アフリカ共和国へ

ソロ作の不評を振り払うように、心機一転サイモンは南アフリカに飛び、現地のミュージシャンとセッションが開始される。南アフリカ、アメリカ双方のレコーディングセッションからなるアルバムには、現在も活動中で、南アフリカを代表するグループであるレディスミス・ブラック・マンバーゾ(Ladysmith Black Mambazo)らアフリカ勢、対するエイドリアン・ブリュー(元フランク・ザッパ、キング・クリムゾン、トーキング・ヘッズ他)、スティーブ・ガッドをはじめとした米国勢ががっぷり組み、全編にアフロビート、ポリリズムが踊り、なおかつサイモンらしいフォーキーなメロディー、アコースティックギターの美しい響きも同居するという異色のコラボレーションとなり、アルバムは86年に発表される。リリースされるや、評論家筋からも絶賛され、アルバムはチャートを駆け登り、イギリスやフランスなど世界各国でチャート1位(アメリカでは3位が最高)を獲得、現在までおよそ500万枚の売り上げを記録している。そして、グラミー賞最優秀アルバム賞(1986年度)を受賞する。文字通り、起死回生という以上に、キャリアを代表する傑作と万人が認める一方、サイモンは思わぬ批判にさらされる。サイモンが南アフリカのミュージシャンに参加を求めてレコーディングを行なったこと、なおかつ南アフリカ共和国に利益をもたらすことは、当時南ア共和国がとっていた悪名高きアパルトヘイト人種差別政策に対する西側諸国のボイコットに反し、それを妨害する掟破りであるという声があがったのだ。
※タイトルとなった「Graceland」とはメンフィスにあるエルヴィス・プレスリーの邸宅のことを指している。

リリース当時、西側欧米諸国は南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に反対しており、同国の文化をボイコットしていたからだ。さらに、南アフリカ共和国のミュージシャンを起用したことに対しても文化的搾取であると、これは当時サイモンと同業のミュージシャン、アーティストの中からも批判の声が少なからずあがったものだ。

サイモンには実は前歴がある。1966年に発表されたサイモン&ガーファンクルの3作目『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(原題:Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』に収録された「スカボロー・フェア/詠唱(原題:Scarborough Fair/Canticle)」を、あろうことかリリース当初、作詞、作曲にポール・サイモン、アート・ガーファンクルとクレジットしていたのである。同曲がシングルカットされてヒットし、また映画『卒業』の挿入歌として話題になるや、英国の堅いフォーク研究家らの間で、これは看過できないとサイモンらを非難したのだ。サイモンとしては歌詞に自作の反戦歌「ザ・サイド・オブ・ア・ヒル」から引用した詞を加え、対位法的にガーファンクルのメロディーを使うという独自のアレンジを加えているため、批判にはあたらないという判断だったが、英国側は盗作、文化的搾取であるとして追求の手をゆるめず、サイモンらは以降長く英国、特にスコットランドでの公演は行えなかったという。
※現在はScarborough Fair/Canticle” (Traditional, arranged by Paul Simon, Art Garfunkel)とクレジットされている。
※同様に英国民謡『スカボロー・フェア』のメロディーをベースに書かれたボブ・ディランの「北国の少女(原題:North Country Girl)」も盗作であるとして批判された経緯があることも、以前ディランのアルバムを紹介したこのコラムで触れた。

そんな経緯があったためか、『グレースランド』を巡っては国連で討議される異例の事態となる。最終的には反アパルトヘイト特別委員会は最終的にアルバムは純粋に黒人ミュージシャンの才能を示すものであり、南アフリカ共和国政府をなんら利するものではないと判断を下している。それから36年がたっているが、サイモンに対する批判が全く消えたわけではない。スコットランドでは未だに彼を毛嫌いする人がいるし、しつこく本作を“かっぱらい”であると、辛辣にこき下ろす批評家もいなくなったわけではない。

OKMusic編集部

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