頭の中をライヴ会場に変えてしまう
圧巻のグルーヴと熱狂を記録した
エリス・レジーナの傑作
『イン・ロンドン』
私を聴け!という気合いと
野心みなぎるセッション
※『イン・ロンドン』のテイストをライヴとするなら、スタジオ・バージョンともいうべき佇まいの『エリス・エスペシアル』。その、共通する収録曲のアレンジの違い、疾走感の差を楽しむのも一興かもしれない。
ロンドンのトラファルガー広場だろうか。鳩と戯れながら、屈託のない笑顔でフレームに収まっているエリスの姿がジャケットに使われています。
冒頭、「帆掛け舟の疾走(原題:Corrida De Jangada)」から、天空に飛び立っていくようなエリスの声、そして疾走するように演奏陣が追いかけていくさまのクールなこと! この一曲だけで体が前のめりになること必至。続く、珍しく英語で歌われる「ア・タイム・フォー・ラヴ(原題:A Time For Love)」の静と動の巧みな歌いこなしも見事。さらに圧巻のスピードですっ飛ばしていく「もし、そう思うなら(原題:Se Voce Pensa)」のカッコ良さと言ったらない。ツアーバンドのリズム隊のグルーブもすごい。アンサンブルと非の打ち所のない調和で魅せる「Giro」、スローテンポでアンニュイなニュアンスを表現してみせる「帰り道(原題:A Volta)」のヴォーカルの巧みさにはため息が出てしまうほど。
唯一ヴォーカルのオーバーダブを加えた「ザズエイロ(原題:Zazueira)」、舌を噛みそうなポルトガル語の歌詞を圧巻の歌唱力でこなす「ウッパ・ネギーニョ(原題:Upa, Neguinho)」、スペインの劇作家、ガルシア・ロルカの詞にフランスの作曲家ミッシェル・ルグランがメロディをつけた「瞳を見つめて(原題:Watch What Happens)」は、本来はフランス語で歌う予定だったそう。そして、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」はオリジナルのジョビンのもの、本作の直前にレコーディングした米国人ジャズミュージシャン、トゥーツ・シールマンスとのデュオ作『ブラジルの水彩画(原題:Aquarela Do Brasil)』(’69)収録のバージョンより、格段にグルービーな仕上がりに。盛大なリズム隊にあおられるように、どこまでも弾けていくエリスの沸騰するようなエネルギーに圧倒されるラストの「小舟(原題:O Barquinho)」まで、まさに息もつかせぬ12曲。初めて聴いた時はエンディング後、放心状態になったものです。
当時、エリスは24歳、若さみなぎる声は伸びやかで、歌手キャリアとして、ひとつの到達点、沸点に達したような感を受けました。それにしても凄すぎるテンションにグルーブ。加えて、何かやってやるぞという「気合い」のようなものを歌声の裏に感じてしまうのは深読みが過ぎるでしょうか。
これは憶測ですが、ロンドンでは公演とレコーディングの合間に、同じMPB仲間であり、共演や曲を取り上げたりした関係にあったカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルと面会する機会はあったのでしょうか。ふたりは前年にロンドンに亡命しています。女性シンガーのナラ・レオンも彼らに続いてロンドンに渡っています。彼らは時の軍事政権に反発し、デモに参加するなどし、弾圧の対象になっていたのです。トロピカリズモ(Tropicalismo)と呼ばれることも多い、芸術家を中心とした抵抗運動に対し、独裁政権は執拗な締め付けを行なったといいます。
※ブラジルと同じ母国語であるポルトガルではなく、カエターノたちが亡命先をロンドンを選んだのは、やはりビートルズをはじめとするロックの生産地の空気を感じ取りたいという探究心が働いたのでしょう。
実はエリス自身も政権側からマークされていました。開けっぴろげなエリスの性格は、言いたいことを言ってしまうし、インタビューで「今の政府はブタが支配しているわ」と答えたりしていたのですね。腐敗政治を皮肉った替え歌をレコーディングして発禁になったりもしています。だが、エリスが逮捕されたり、直接的な弾圧を受けなかったのは、エリスがあまりにも全国民的な人気歌手であったため手が出せなかったのだとか。ただ、しっぺ返しが全くなかったわけではなく、エリスは軍の体育大会に呼ばれて、不本意ながら国歌を歌わされたりしたようです。反体制側からはそれを裏切りであると、揶揄されたりもしたというのだがエリスの気持ちはMBPの仲間に寄り添っていたはず。きっと、ロンドンに着いた時には、彼女も故郷を追われてこの街に流れた音楽仲間のことを思い浮かべることがあったはずだし、彼らがいるこの街で最高の歌を響かせてやろうじゃないかと思ったのでは? …と勝手に想像するわけです。
それから、この傑作『イン・ロンドン』は驚いたことに、英国やヨーロッパ各国では発売されているものの、本国ブラジルではお蔵入りとされ、発売が叶ったのはなんとエリスの死後、1982年になってから。その理由は明らかにされていないのですが、各国で絶賛され、エリスの代表作とされただけに、何か腑に落ちないものを感じてしまいます。
1990年代に本作が日本でリイシューされた当時、クラブシーンで口づてにアルバムの凄さが伝わり、エリスの再評価、過去のアルバムの再発売につながっていったそう。私も含め、その頃にエリスを知った人も多いと思います。あれからでも、結構な時間が経っているけれど、忘れられない名盤であり、私のようにときおりアルバムに手を伸ばしているのではないでしょうか。
2作連続でブラジル音楽の永遠のミューズ、エリス・レジーナの名盤を紹介しました。この機会にぜひお聴きください!
TEXT:片山 明