中村中がゼロ年代の
最後の年に創り上げた、
人智を超えた大傑作
アルバム『少年少女』
歌のメロディーラインの太さ
本作のどこかどう素晴らしいのか、以下、解説していきたい。まずメロディー。これは『少年少女』収録曲に限らず、中村中楽曲の大きな特徴と言っていいと思うが、彼女が歌う主旋律はとても太い。“[太い]って何だよ?”と訝しがられると思う。自分で言っておいて何だが、自分でもそう感じる。だが、いわゆる個性的とも違うし、単にキャッチーというのとも違うし、その存在感がはっきりとしているという点で“メロディーが太い”と形容するのがいいような気がする。M1「家出少女」、M6「人間失格」、M11「不良少年」という本作の中心と言っていいナンバーが最も太いとは思うが、M4「初恋」にしてもM5「秘密」にしても、M8「戦争を知らない僕らの戦争」、M9「青春でした。」もそのメロディーは印象的だ。アルバムとなると、10数曲中1曲くらいはメロディーに重きを置かないタイプがあっても不思議ではないけれど、そういうこともない。M3「独白」は文字通りモノローグが大半を占めているものの、歌メロがコンスタントに襲ってくるし、それがまたパンチが効いている。歌手としてまったく逃げていないのは当然として、メロディーメーカーとして真っ向から音楽に向き合っていることを受け止めざるを得ないのである。
中村中の楽曲は昭和歌謡に近いとよく言われる。彼女自身もその影響を公言しているから、それはそうなのだろう。確かに、昭和っぽさを感じさせることも事実だし、『少年少女』にもその要素はある。一聴き手として素人なりに分析すると、音符の数が決して多くなく、音階の幅もそれほどあるわけではないけれども、耳に残る旋律という感じだ。落ち着いていながら、しっかりと自己主張している。そんな言い方でもいいだろうか。本作では(本作でも?)コンテポラリR&Bなどでよく見受けられるフェイクを使った歌唱法は見受けられず、しっかりと音符を追ったヴォーカルがほとんどだが、それも歌のメロディーがそこに鎮座しているからだろう。随分と独りよがりで抽象的な説明をしてしまったけれども、彼女の音楽ルーツを示せば、その辺りはよりはっきりとすると思う。中村中が最初に自分で買ったCDは研ナオコのベストアルバムだという。「泣かせて」(小椋佳作曲)、「あばよ」(中島みゆき作曲)、「愚図」(宇崎竜童作曲)などに衝撃を受けたと聞くが、この顔触れをみたら(もちろん、それらの作家陣の模倣をしているという意味ではなく)自身が歌い手になった時、歌のメロディに重きを置くのは当然だし、旋律がドシっとしたものになるのは自明の理と言っても大袈裟ではあるまい。