尾崎亜美の『STOP MOTION』は
“天才少女”が潜在能力を
如何なく発揮した傑作中の傑作
名うての音楽家からの寵愛
レコーディングに参加したミュージシャンは、松任谷(Key)を筆頭に、鈴木 茂(Gu)、林立夫(Dr)という、細野晴臣を除いたキャラメル・ママ=ティン・パン・アレーのメンバー。初期ユーミンのバックバンドがそのままスライドしている。ベースは、そのティン・パン・アレーのレコーディングの他、鈴木 茂&ハックルバックのメンバーでもあった田中章弘(Ba)らが弾いている他、パーカッションに[アルバム「MISSLIM」以降、ユーミンのアルバムには欠かせない存在のスタジオ・ミュージシャンとして参加]していた斎藤ノブ(Per)、コーラスにはハイ・ファイ・セットの他、“AMII'S Army”名義で山下達郎と吉田美奈子も名を連ねている([]はWikipediaからの引用)。現在に至る邦楽シーンを創り上げてきたと言っても過言ではない面子である。
ティン・パン・アレーのメンバーに関して言えば、松任谷は次作2nd『MIND DROPS』(1977年)ではアレンジャー&キーボーディストのみならずプロデューサーとして参加しているし、鈴木、林はそこからしばらく彼女のアルバム制作に加わっている(6th『MERIDIAN-MELON』(1980年)まではミュージシャンとしてクレジットされていることを確認できた)。鈴木と尾崎は1992年の“桃姫BAND”結成に参加した上、2000年にはユニット“The DELTA-WING”も結成しているので、音楽活動において欠かせないパートナーであるようだ(ちなみに“桃姫BAND”“The DELTA-WING”のメンバーであり、元サディスティック・ミカ・バンドの小原礼(Ba)が尾崎の夫である)。
というわけで、当初はそのデビューアルバム『SHADY』を紹介しようかと考え、まずザっと聴いてみた。この時、彼女は19歳。アルバムの発売がその年の8月だから、録音したのはおそらく高校を卒業したばかりの頃か、もしかするとまだ高校在籍中の時だったかもしれない。そう考えると、のちの彼女の作品に比べれば幼さは否めないものの、歌唱力、表現力は確かだし、何よりも(オープニングのインストを除いて)全て彼女自身が作詞作曲を手掛けているのだから、“天才少女”と呼ばれたことにも十分に頷ける。サウンドも的確だと思う。何と言うか下世話さみたいなものが皆無。今でも流行歌なるものに適度な下世話さは必要で、それが大衆性にもつながっていると思うのだが、『SHADY』にはそういう感じがないのである。
ちなみに1976年の年間シングルチャートを見てみると、1位:子門真人「およげ!たいやきくん」、2位:ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、3位: 都はるみ「北の宿から」、4位:太田裕美「木綿のハンカチーフ」、5位:二葉百合子「岸壁の母」とある。ジャンルこそバラバラだが、各々いずれも独特のキャッチーさを有している。その辺に比較すると、『SHADY』収録曲は派手さに乏しい。「私を呼んで」や「追いかけてきたけれど」といったソウル系のナンバーは音数も多く、決して地味な音像ではないけれども、子供でも分かるキャッチーさを有しているかと言ったら、それはどうでもなかろう。別にそれが悪いとは言ってない。この辺は件のユーミンブーム”→“ニューミュージックの到来”という時代の流れの中、巷の流行とは別のものを作ろうという意識が強かったのだろう。加えて言えば、『SHADY』というタイトルのアルバムである。全編カラッと明るく…というわけにはいかない。そういう背景もあって、あの音像だったと思われる。