【ZIGGY インタビュー】
機械じゃ出せないスウィング感や
ドライブ感を人間の力で出す
ZIGGYが2年半振りとなる新作『SDR』を完成させた。“SWING, DRIVE, ROCK’N’ROLL”を略したタイトルからもロックを表層的にとらえるのではなく、その音楽的な本質に迫った作品であることが十分にうかがえるわけだが、ここに至った経緯を森重樹一(Vo)に深く掘りさげてもらった。
僕が生きている以上、
R&Rの次の一歩を進める必要がある
『SDR』はバラエティー豊かなロックアルバムに仕上がったと思いますし、基本的には分かりやすい作品だと思います。ですが、その一方で手放しに“分かりやすいアルバム”と言いきっていいのだろうかという不思議な感覚もありまして、このインタビューではその辺りの謎も解けたらと思っております。で、まず今作はどこから手をつけたのかを教えてください。
昨年の春のツアーの間、本番日にライヴのリハをやってちょっと時間が余ったらプリプロを始めるというかたちで制作が始まったんですね。この中で一番古くからある曲は「抱きしめていよう」と「数え切れないTenderness」で、「数え切れないTenderness」はAi+BANDに僕が詞と曲を提供したものなんですよ。いずれ自分でセルフカバーしたいとずっと思ってたんで、Bメロの《ありがとう 君に出会えて良かった》という歌詞を今回書き足して、“これでイケるな”と思ったから入れたんですね。「抱きしめていよう」は2000年代の初頭くらいにSNAKE HIP SHAKESをやっていた時に書いてあった曲で、メロディーもアレンジもまったく変わってないんですけど、どういうわけか歌詞が書けなくて(苦笑)。ずっと頭の中にストックされていたんだけど、今回のアルバムを作っていく上で、こういうモータウン的なスウィートなメロディーの曲が欲しいと思って、それで入れることにしたんです。あとは、ほぼほぼこの2年くらいで書いてますね。
「数え切れないTenderness」はアーバンというかシティというか、そんな印象を受けたので、他者への提供曲というのは納得するところではあります。
そうですね。女性が歌うことを前提としたところもあって…ただ、あの頃から僕はそれほど多くの曲を他の方に提供する状況ではなくなっていて。作家として何かをやるわけではないので、他人から求められて曲を作る時は基本的に詞と曲を両方書かせてもらうようにしているんですよ。僕が書いたメロディーに僕の言葉じゃない歌詞が乗っかると、自分がイメージしてたものとまったく違うものになってしまう気がして。僕は職業作家ではないから、詞と曲をミックスして初めて僕の曲になる気がしているんですよ。なので、Aiさんにもそういうかたちで書かせていただいていたんです。Aiさんはボーイッシュな感じの方だったので、女の子の言葉にする必要もなかったから、僕が歌ってもちゃんと成立するような歌詞にはなっていたはずだし。
「数え切れないTenderness」がAi+BANDへの提供曲だったのは今知ったのですが、そう言われてみると納得ですね。歌詞の《未知色の夢が見たいよ》や《頂に続く/道はいくつもあるから》という、ここから上を目指そうといった内容はどう受け取ったらいいのかと思っていましたが、Aiさんに捧げた曲だからなんですね。
Aiさんが歌うことを前提にしてましたね。彼女はボーイッシュで、“みんな、元気にやろう!”っていう感じのアティチュードでオーディエンスに向き合っていたと思うので、そんなAiさんからエネルギーをもらいたいオーディエンスの顔が見えたし、彼女がそうメッセージすることでそういう人たちが勇気を持ってくれるといいなと思って。
一方、「抱きしめていよう」は先ほどモータウンとおっしゃられましたが、爽快さを感じるほどに突き抜けたメロディーですよね。古くからあった「数え切れないTenderness」と「抱きしめていよう」を追加したのは、アルバム自体をバラエティーに富んだものにしようという意識があったのではないかと想像したのですが、その辺はいかがでしょうか?
それはあります。僕自身、今のメンバーでソングライティングするようになって、インストルメンタルな部分も自分でリフを作るんですけど、いわゆる楽曲の仕かけですよね。そういうものを各部分に入れていきたくなるんです。それが現在のメンバーだとできるし、そうすることでサウンドを少し立体的に見せるというか。今回のタイトル曲の「SWING, DRIVE, ROCK’N’ROLL」の話をすると、2年前くらいに憂歌団の内田勘太郎さんと初めてお会いした時に、“ポップスとロック、ブルースの違いってスウィングしてることだよね”っておっしゃってて、“まさに!”と思ったんですよね。“SWING, DRIVE, ROCK’N’ROLL”というフレーズがその時をきっかけに降りてきて、“そうだよ! 今やデジタルが主流になって、宅録でも立派な音源を作る人がたくさんいる時代に、なんで俺がこの歳になっても自分が聴いてきたロックンロールをやりたいのかと言うと、機械じゃ出せないスウィング感があんじゃん! 機械じゃ出せないドライブ感があんじゃん! それを人間の力で出すためなんだよ!”って思ったんです。
スウィングとドライブ。言い換えれば、バンドのグルーブとなるのかもしれませんが、ロックはそれが大事で、“それがあってのロックだろう?”ということですかね。
そうです、そうです。「抱きしめていよう」は20年近く自分の頭の中にメロディーだけがあった曲なんですけど、コロナ禍で初めてイメージが湧いたんですよね。《I will hold your hand》というコーラスを入れることで…何て言えばいいのかな? 自分が若い頃に聴いて大好きになったBay City Rollersとかの音楽はポップス性の強いものだったけど、すごくドライブさせていたと思うんですよね。その感覚? ただのポップスということではなくて、それをドライブさせる…ポップス性のあるメロディーは大好きだから、それをどうやってドライブさせるか、スウィングさせるかということが、僕にとってのロックンロールなんです。
私、『SDR』を聴いてこんなことを考えていたんです。ロックンロールとは突き止めていけばリフレインの気持ち良さなのかなと。キャッチーなメロディー、カッコ良いリフ、シャープなリズム、その繰り返しなんだと、本作を聴いて感じていたところなんです。
それは嬉しい! 僕は歌詞を書く時に言葉自体とメロディーの相性が絶対に大事だと思っていて。今回は特に「ROCK’N’ROLL QUEEN」とか「SWING, DRIVE, ROCK’N’ROLL」って、実に取るに足らないことを歌っているわけですよ(笑)。でも、《命短し恋せよ乙女》という歌詞がメロディーに乗ること自体が究極だと思うんです。
《灰になるその日が来るまで/Highになり続けよう》もそうですよね。
それもそうですね。あとは、「馬鹿につける薬はどこに」の《先取れば 取り越し苦労さ/愚弄されたくない》とかね。でも、それでいいのかなと思っていて。今、究極なことをおっしゃられたと思うんですけど、やっぱりリフレインなんですよ。どれだけ耳障りが良くて、そしてエキサイトするリフレインが作れるか。もしもThe Rolling Stonesの「Jumpin' Jack Flash」があのタイトルじゃなかったら、あのリフとマッチしてなければ、あんな名曲にはならなかったと思うんです。キース・リチャーズの作るリフの素晴らしさと、そこにミック・ジャガーがアプローチする言葉の選び方がある…そういうのがすごく大事なんですよね。
リフレインと言っても単なる繰り返しではなくて、バンドでやるからこそ、ギターのリフが少し遅れたり、ドラムのフィルが変わったりする。そこに良さがありますよね。
うんうん。何度も同じ曲をやること…要は自分たちもリフレインするわけですよ。リフレインしていく中で“ここにフックが欲しいよね”とか“ここには1小節おまけを入れたいよね”とか、それはセッションでしか生まれないから。僕は今のメンバーは歴代のZIGGYの中でベストだと思ってるんですよ。それは音楽をクリエイトするということにおいて。商品性や何やらで考えれば、まだ全員が20代の若い頃…ある種ギラついていた時期のZIGGYは商品として魅力があったから世に出たということをよーく理解してて、その中でいろんな紆余曲折があって、でも“こうだよね?”ってやってきた自分が30数年目にして“今のメンバーが最高じゃねぇかな”って思うんです。ロックンロールは決して過去のものではなくて、僕が生きている以上、次の一歩を進める必要がある。そして、“ロックンロールはカッコ良いんだよね”ってことを、僕はそれを知らない若い子たちにメッセージする義務があって、責任があると思っているから、それは絶対にしたいと思ってるんです。