P-MODELのデビュー作
『IN A MODEL ROOM』は
テクノポップを超越した
日本ニューウェイブの大傑作
実験的な興味深いナンバーを内包
かと思えば、M5「子供たちどうも」ではブギーっぽいギターを聴かせてグラムロックなテイスト。歌詞は下記のような内容で、これもまたはっきりと何を語っているのか分かるものではないけれども、英語にすればキッズやストリートなどロック的なキーワードも出て来るといった具合に、比較的分かりやすいナンバーを提示する。
《昨日も 今日も 明日も ここかしこで/当然の分け前の生を/もろもろの ウソがウソが/無関心と二重思考が/今日を明日に繋げない だから》《今すぐ出てきて子どもたち/歌わなくても子どもたち/叫ばなくても子どもたち/唯生き延びて子どもたち/路上を取り戻せ》(M5「子供たちどうも」)。
問題は(?)、その次のM6「KAMEARI POP」である。誤解を恐れずに言えば、これも妙な楽曲である。いや、歌もバッキングもその旋律はまさに大衆的という意味でのポップだし、ほぼリフレインなので一、二度聴けば口ずさめそうなほどに親しみやすい。テンポは緩やかで、リズムはやや単調ではあるものの、ダンサブルと言えないこともない。どこか牧歌的な雰囲気で、そこだけで見れば十分にポピュラーミュージックに分類されてしかるべきものだが、歌詞は以下の通りだ。
《プログレッシブな教育システム/子供サークル 天国/PTAのおじちゃんに/ぼくのママは寝とられた》《せんさく好きな住民エゴ/知らぬそぶりの住民エゴ/親切ていねい住民エゴ/不親切な住民エゴ》(M6「KAMEARI POP」)。
“KAMEARI”とは公園前派出所でも知られる葛飾区亀有のことであろうと思われるが、そこで1970年代後半に何があったのだろうか。東京の下町と言われる地域である。『男はつらいよ』シリーズの舞台である柴又にもほど近く、映画では人情味あふれる街として描かれているわけだが、歌詞に綴られているのはそれとは真逆と言ってもいいほどの混沌だ。不安を通り越して、どこか怖さを感じるところである。
のちのアーティストへの影響
そして、アルバムのラストはM11「アート・ブラインド」へと辿り着く。M10までで“ロック一択”とは言ったものの、ミディアムで機械音っぽいビートが淡々と連なっている上で歌はボコーダー使用と、“テクノ”が色濃く出ており、ホントひと筋縄ではいかないアルバムだ。
《未来は綺麗に 未来は綺麗に/未来は綺麗に 未来は綺麗に/ART BLIND ART BLIND》(M11「アート・ブラインド」)。
歌詞は上記のリフレインのみで、依然その意味が分かるものではないが、ラストに置いたことを踏まえると、これまで以上に余韻を感じさせるものである。アート=芸術とは[表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動]だという。そうであるならば、M11「アート・ブラインド」に限らず、その他の収録曲にも[精神的・感覚的な変動を得よう]というニュアンスが強く感じられる『IN A MODEL ROOM』は、まさしくアートの領域にあると言っていいだろう。前述した有頂天、POLYSICSへの影響は、[表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合]った結果と考えられる([]はWikipediaからの引用)。また、M1「美術館で会った人だろ」やM5「子供たちどうも」の歌詞からも、聴き手、即ち[鑑賞者]に対して何らかの[変動を]促そうとしていることも想像できる。そういうふうに考えると、デビュー当時の“テクノ”や“テクノポップ”といった括りに個人的には違和感があって、ポストパンク、ニューウェイブ、そしてロックと、P-MODELに対する形容をあれこれと模索してきたが、アートと呼ぶのが最も相応しい気がして来た。随分と大雑把な仕切りになったが、平沢進にはそれが一番似合うように思う。
TEXT:帆苅智之