浅井健一がUAらと結成したバンド、
AJICOにしか発揮できない真価を
『深緑』に見る
浅井の既発曲をUAらと再構築
“人が変わるとバンドは変わる”とはよく言われることで、同じ曲を同じ楽譜で弾いたとしても、演奏者が異なれば楽曲の仕上がりはまったく別のものとなる。アドリブやインプロビゼーションのような即興演奏であればなおのこと、演者によってフレーズも随分と違ったものになるだろうし、バンドでそれが絡み合えば、そこでしか生まれ得ないアンサンブル、サウンドとなることは必然だろう。つまり、こういうセルフカバー的なことをすることでAJICOがバンドであることがよりはっきりとするようなところがあるのではないかと思う。SHERBETSやBLANKEY JET CITYと比較して云々ではなく、単純に異なるサウンドを鳴らせるというだけで、AJICOというバンドの実存を際立たせることができる。仮に比較されるにせよ、どちらの演奏にもそれぞれの特徴があるのだから、優劣を付けられるものではない。これは筆者の邪推だと思ってもらって構わないが、もしかすると、浅井にはそんな意図もあったのではないかとも、少しばかり想像する。
歌詞ははっきりとその意味合いが分かるものではないので、その解説は完全に手に余るのだが、やはりセルフカバー的ナンバーが興味深いので最後に記しておく。
《刺激的な夜へ行こうぜ/ポケットにいっぱい詰め込んだアメリカ生まれのキャンディ/満月に冷たくウィンクして/マシンガンを撃ちたい/理由はこの空が好きだから/ピンクの火花は真実/いつかこの街に奇跡が舞い降りて僕は目覚める/優しい口笛が聞こえて/かわいい黒猫が夜をみてる》《コメディアンが涙を流している/TVの中でみんな笑い声をあげる/刺激的な夜へ行こうぜ/ポケットにいっぱい詰め込んだアメリカ生まれのキャンディ/満月に冷たくウィンクして》(BLANKEY JET CITY「ハイヒール」)
《夕べの口づけが暴れてた/ママの手に はぐれた十字星/割れた地面から 這い出したクモ/得意げに唄った/美しい記憶 揺れる花びら/次のドアが たたかれる前に/目を覚まそう/風に嘘ついた ロクデナシが/目覚めたら あることに気がついた/ずっと居なかった 探してたよ/ありふれて 離れた言葉のかたち》《馬車の赤目石を子供達が/また盗んでく/ラララ愛してた風の日も》《雷に 打たれても愛してる/そんなありふれた/神様みたいな/夢のドア開く前に聴いた/ママのメロディ》(M8「メリーゴーランド」)。
同じような言葉もほぼないし、まったく性格の異なるような歌詞に見えるし、その見立てで概ね間違いないとは思う。だが、鋭角的であったり攻撃的であったり、あるいは少し奇異であるワードがありながらも、そこに柔らかさや優しさが内包されているのは、どこか似ているように思う。だから、浅井はUAをバンドに誘ってAJICOを結成したのだろうか。少しだけそんなことを思った。
TEXT:帆苅智之
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