東出昌大インタビュー 三島由紀夫『
憂国』の2020年版『(死なない)憂国
』に挑む 

三島没後に生まれ、三島文学に刺激を受ける4人の演出家が、「三島由紀夫」をテーマにそれぞれの目線で演出する三島作品をオムニバス形式で上演する、三島由紀夫没後50周年企画『MISHIMA2020』が2020年9月に日生劇場で上演される。
4作品のうち、9月21日(月・祝)~22日(火・祝)に上演される「『憂国』(『(死なない)憂国 』)」は、仲間から決起に誘われなかった中尉が、叛乱軍とされた仲間を逆に討伐せねばならなくなった立場に懊悩し、妻と共に心中するという三島の小説「憂国」を基に、映画監督、映像作家として活躍する長久允が初めて挑む舞台作品で、時を現代に移した2020年版として新たに蘇らせる。夫の信二役はこれが4回目の舞台出演となり、「三島ファン」としても知られる東出昌大、妻の麗子役は世界的ダンサーで、昨年の大河ドラマ『いだてん』でドラマに初出演し高い評価を受けた菅原小春がそれぞれ務める。
夫婦の「死」によって作品を締めくくった「憂国」に対して挑発的とも思える『(死なない)憂国 』というタイトルのついた本作について、東出にその思いを聞いた。
この台本で早く稽古場に入りたい、と心が震えた
――まずは、お稽古が始まった今の感触を教えてください。
長久監督は今回が舞台初演出なんですけれども、非常に感情や「生きている」ということを大事に演出をされる方だなという印象を受けます。僕も舞台の出演回数は決して多くないんですが、現代を生きる夫婦の物語なので、気持ちの起源というか根源みたいなものが日常に根付いてるところからしっかり役作りをして、その気持ちのままにお芝居をするということが最上なのではないか、という話を3人でしながら稽古をしています。
東出昌大
――今作は『憂国』の2020年版になっているんですよね。
原作の『憂国』は二・二六事件に際して夫婦が心中するという物語で、「死」を最終的な終着点にしています。今回の舞台では、このコロナ禍での状況が投影されている部分もあって、みんな「自粛」と言いながらも何かできないんだろうかと試行錯誤して悶々と過ごしたり、いろいろあがいてみたりしているんですね。そのうち、僕と菅原さん演じる夫婦にとって唯一の生きがいであるライブハウスを、僕が警察官として取り締まりに行かないといけなくなってしまいます。『憂国』では二・二六事件に参加した仲間たちを討伐するくらいなら、と自決をしたのに、僕が演じる信二は仕事を辞めるわけにもいかないから、と生きがいをも裏切って取り締まりに行くんです。でもその中で、それでいいのかと葛藤したり、最終的には生きるとはなんぞや、死ぬとはなんぞや、という話になっていきます。
――上演台本がかなり現代的な口語になっていますが、実際に声に出して読んでみた感想はいかがでしょうか。
初めて読んだときに、ぶっ飛んでるのにまとまっていてすごい台本だな、これで早く稽古場に入りたい、と心の底から震えるほどに思いました。稽古をしていく中でいろいろな発見があって、長久監督と一緒に話しながら人物像を作って、日々台本が変わって行ってるんです。非常に毎日目まぐるしく刺激的です。
東出昌大
――いろいろな発見というのは、具体的にどういったものがあったのか教えていただけますか。
台本の中でとあるセリフがあって、最初そこは半狂乱になって爆発して思い悩むお芝居を、という演出だったんですけど、稽古の過程でその前後のセリフが変わっていったこともあって、長久監督に「ここのセリフを喜ぶ方向でやってみていいですか」と提案したら「その考え方はなかったけど、やってみよう」と言ってくださり、採用してくださったんです。長久監督は僕らに寄り添ってくれるというか、決めたレールの上を走って行くのではなくて、みんなで話し合って日々変化していくような実感です。
「三島さん、俺たちのことを見てくれ」という作品
――以前のインタビューで、本番前には舞台に立つことに対する恐怖心があるというお話しをされていました。舞台経験を重ねて来て、そのあたりの心境の変化はありましたか。
舞台出演は今回が4作目になりますが、気負いみたいなものはだんだんなくなってきて、毎日稽古が楽しくて、これで劇場に入ってセットや様々な効果が加わったらどれだけ僕らは力をもらえてさらに羽ばたけるんだろう、という楽しみが今は一番大きいです。
東出昌大
――三島ファンの東出さんとしては、2018年に主演された舞台『豊饒の海』以来再び三島作品に挑むという喜びもありますか。
そうですね。僕は三島が好きで、でも三島のことを学問的に語れるわけではなく、この人って偉大なんだな、と思いながら「三島好き」って言ってる自分が好き、みたいなところもあると思うんです(笑)。信二も三島に傾倒していて「ああ、三島ってすごい人なんだな、俺は三島ファンだな」って言ってると思うんですよね。今までの舞台『豊饒の海』や映画『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』のナレーションをさせていただいたときも、三島や三島文学に沿った形だったんですけど、今回は三島とは違う時間軸でも「俺らは日常を精いっぱい生きていて、でもこの生き方に恥じはないんだぞ三島さん、俺たちのことを見てくれ」っていう挑戦とも挑発とも主張ともつかぬ、そういうごた混ぜの作品、生きてる作品になってると思います。
――相手役の菅原さんについてはいかがですか。
非常に自由なお芝居をされていて、こんなに自分の言葉としてセリフをしゃべれる役者さんがいるのかと、毎日目を見張る思いです。稽古中ダンスのシーンになると、みんなで菅原さんを「先生」と呼んで教えてもらっています。お芝居の面でも菅原さんは毎回新しい扉を開いてくれて、いろいろ試してくださいます。長久監督と3人で一つの生命体になろうとしている感覚で、3人が最初から向いている方向が一緒だというのは非常に恵まれた機会だなと思います。3人とも「これはすごいね」と思う物の価値観が似ているというか、そういう感じはあるように思います。
東出昌大
今だからできる、混沌とした現代の『憂国』
――2人芝居で三島の作品を日生劇場で、というのが取材前にはイメージができなかったのですが、今お話しを聞いていると、生命力に溢れた力強い作品になりそうな印象です。東出さんは現時点で本番の舞台をどのようにイメージされていますか。
最初お話しを頂いたときに、『憂国』で2人芝居で日生劇場で、ってどうやって作るんだ、と思っていたんですけど、でも台本を読んで長久監督とお会いして稽古をしていくうちに、逆にもうこの広い日生劇場をぶち壊してやるくらいの、そういう気概に満ちあふれた『(死なない)憂国』のチームだなと思っています。
――現代を生きる人たちにとって、原作の『憂国』のように「これをやるくらいなら死を選ぶ」という心境はなかなかイメージしづらいような気もします。どのように役作りをされているのでしょうか。
信二は、衣食住の足りたこの飽食の時代に生まれて何不自由なく過ごしているんだけど、現代人の満ち足りたようで空虚な弱さみたいなものを持っているんだと思います。だからこそ、今だからできる『憂国』、混沌とした現代の『憂国』というものがあるんだろうな、とそこは台本を読んだときに腑に落ちました。
――非常に現代性が高いので、三島を知らない観客の心にも響く作品になりそうですね。
明治時代の方から見れば軟弱と怒られるかもしれないこの信二という人物は、情けなくて軽薄で、でも必死で素直だと思うんです。その彼が生きようとしている、そして麗子もちょっとずつ違う軸で生きようとしてる、そんな様をお見せすることで、また明日から頑張ろうと思っていただける作品になるんじゃないかなと思います。
東出昌大
取材・文=久田絢子 撮影=中田智章

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