それは、現実と虚構が混ざり合う時間
。ショパンやゴッホによる「夜」の芸
術を読み解く

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマは「夜」の芸術です。

19世紀は、画家ドラクロワや作曲家ワーグナーやシューマンなどの登場により、ロマン主義の芸術が花開いた時代です。中でも「夜」というテーマは、愛と夢に喜び苦しむ芸術を生み出す彼らにとって重要なものでした。
音楽では「夜想曲」と訳されるノクターンが有名です。ピアノ作品を多く残しているショパンは、ノクターンもたくさん書いていますが、彼の作品の中でもとりわけ自由でロマンチック、まるで歌のような音楽です。
絵画分野でいうと、夜を描いたものは決して多くはないのですが、とりわけフィンセント・ファン・ゴッホの描いた夜景は人々の心をとらえてきました。ゴッホは晩年、精神疾患に苦しみながら「夜」を描くことに没頭しています。
例にあげたショパンの “ノクターン” と、ゴッホの “夜の絵” は、直接的な関連があるわけではありませんが、ふたりが「夜」という時間の中に描く創造性や物憂さは、どこか共通しているように思われます。さまざまな表情を見せる「夜」のアートについて、考えをめぐらせていきましょう。
芸術家が抱いた、夜への憧れ
さて、芸術家たちをとりこにした「夜」という題材には、どのような魅力があるのでしょうか。ロマン派芸術先駆者の一人である作家ノヴァーリスは著書『夜の賛歌』で、夜に恋い焦がれる情熱を打ち明けています。
「朝は必ずやめぐり来なければならないのか。‐略‐ 厭わしい昼の営みは、夜の神々しい気配を呑みつくす。愛の密やかな捧げ物は、永遠に燃えつづけることはないのか。光の時間には限りがあった‐だが、夜の支配は時空を越えている。」    ノヴァーリス『夜の賛歌』より
昼は知性と理性に支配された時間にすぎず、夜にこそ人々は愛を語り、ロマンが花開くのだと言っています。また、現世にいては苦しみから逃れられない、永遠の眠り(つまり死)こそが讃えられるべきだというラストでこの小説は閉じられます。この退廃的ともいえる小説は、のちのロマン派芸術に受け継がれ、この頃から人々は「夜」という神秘的な時間がもつものに惹かれ始めます。芸術家たちはその限られた時間を切り取ろうとしたのです。
「夜」を想い紡ぐ、ショパンらのノクターン
元来「夜の音楽」は、屋外でおこなわれる夜会のための音楽を指し、モーツァルトやハイドンによる「ノットゥルノ」「セレナーデ」などが代表的でした。室内でしっとり演奏されるためのピアノ曲「ノクターン」の創始者とされるのは、ジョン・フィールドです。
当時、ピアニスト・ピアノ教師としてサロン音楽の最先端にいたショパンも、フィールドの作品にならう形でノクターンを作り始めました。長すぎず、技巧的すぎず、美しいノクターンは、ショパンの生徒たち(裕福な貴婦人など)にも人気だったことでしょう。
このノクターン第1番は、典型的なフィールドのノクターンを継承しています。ゆったりしたテンポで進み、左手は分散和音で伴奏を奏で、右手は装飾のついたメロディを歌う。分散和音はアルペジオと呼ばれるハープの演奏から由来する奏法で、エレガントな印象を与えます。分散和音+メロディの形は、特にゆったりとしたロマンチックな音楽に適していて、人気曲リストの『愛の夢 第3番』でも同じ形が用いられています。この頃ショパンは音楽学校のマドンナ・コンスタンツァに長い間片想いをしていましたから、甘美で感傷的なノクターンが生まれた背景には淡い初恋があったのかもしれません。
その後ショパンは全部で21曲のノクターンを作曲します。その中でも傑作と呼ばれるのが、第13番ハ短調です。
哲学者ウラディーミル・ジャンケレヴィチは著書『夜の音楽』の中で、この曲をある種の葬送行進曲としてとらえ、「銀と黒の布で覆われた棺台の背後で慰めようもない悲哀を抱く人々がゆっくりと進んでいく」と描写しています。
ピアニストであるアルフレッド・コルトーもこのノクターンは故郷への「殉教」であると述べていることから、聴き手に少なからず「死」「葬送」というものを感じさせることが分かります。ぽつりぽつりとした足取りの伴奏形は、これまでのノクターンよりも深い響きを印象付けます。使われている左手の一番低いドの音は、ショパン時代のピアノの最も低い音だったとされています(現代のピアノよりも鍵盤域が少し狭かったのです)。
静かな悲しみに満ちた前半から、中間部は祈りのコラールを響かせます。しかし三連符の和音連打が入ってくることで勢いを増しはじめ、メインのメロディに戻ってきたときにはその三連符が、悲痛な叫びをあおります。ショパンのノクターンは年を重ねるにつれ、ある種の諦念・慟哭のような言葉にならない情緒をもち始め、芸術としての質を高めていきます。
その後スクリャービンや、近代フランス音楽を代表するフォーレによって引き継がれていくノクターンは、ショパンのもの同様、内省的な精神世界を表現したものが多いです。理性の「昼」が眠った夜にこそ、芸術家は自由に創作できるのでしょうか。
ゴッホが鮮やかな色彩で描いた、3つの「夜」
ゴッホが夜をテーマに絵を描きはじめるのは、彼の画家キャリアの中でもっとも円熟したといわれる晩年です。牧師の道を諦め、最愛の弟テオからの仕送りだけを頼りにしながら、パリからアルルにたどり着いたゴッホは、アルルのまばゆい色彩に魅了されます。この時期は「黄色の時代」と呼ばれ、かの『ひまわり』の連作『アルルの寝室』『種まく人』などの名作が誕生しました。
夜の絵は1888年9月に、3枚描かれます。今回はそのうちの2枚、そしてあの耳切り事件(画家仲間ゴーギャンとの口論ののち自ら耳を切った)を起こし精神病院に入院した1889年にサン=レミの療養所で描かれた1枚をご紹介します。3つの夜空に、ゴッホはどんな思いを描いていたのでしょうか。
『夜のカフェテラス』(出典:クレラー・ミュラー美術館)
この絵を描き上げたとき、ゴッホは妹に「夜の情景をその場で描くのは非常に楽しい」と伝えます。カフェと星たちの黄色と夜空の青色がはっきりと対比され、ゴッホが新たな色彩にわくわくしている様子が感じられる絵画です。
『ローヌ河の星月夜』(出典:オルセー美術館)
夜を描くことに夢中になったのか、ゴッホはすぐ次の夜空の絵に取りかかります。『夜のカフェテラス』と同じ黄色と青色、加えて自然の光(星)と人工の光(ガス灯)のコントラスト、そして手前の男女の姿もロマンチックな印象を与えます。ゴッホ研究の第一人者ヤン・フルスケルが「それまでゴッホはここまで徹底して現実から離れたことはなかった」と述べるほど、この絵画は幻想的です。ゴッホは弟への手紙でこう綴ります。
「ぼくはやはり ‐何といったらよいのか‐ 宗教がどうしても必要なので、それで夜、戸外へ星を描きにでかけて、こんな絵と一緒に生きている仲間の群像を始終思い浮かべるのだ」
「僕は絵の中で何か音楽のような慰めになるものを語りたい」
一度は聖職者をめざしたゴッホは、夜景と宗教に何かを見出したのでしょうか。彼の夢があふれた一枚です。
『星月夜』(出典:ニューヨーク近代美術館)
最後の夜空は、ゴッホが療養院で描いた『星月夜』です。描かれたのは激しくうねる夜空と星、太陽のような月、死の象徴とされる糸杉の木。渦巻きのモチーフは彼の苦悩・激情を表現しているという研究も多くあります。真ん中にある先の長い教会は、ゴッホの故郷にある教会であり、ゴッホが想像でこの絵を描いていることが分かります。
『ローヌ河の星月夜』で描かれたロマンチックな夜景は、ゴーギャンとの決裂・自ら耳を切り精神病院へ入るというショッキングな出来事を経て、より現実離れし、そして激しい感情と死の匂いを漂わせるようになります。この1年後、ゴッホは自ら命を絶ちます。この絵画は一見ファンタジックな夜景に見えますが、ある種の絶望が秘められています。たびたび起こる発作と精神病患者に囲まれた療養院での暮らしが、ゴッホの絵画に暗い影を落としたのかもしれません。絵画と音楽の研究では、この絵画をテーマに音楽を制作したフランス人作曲家アンリ・デュティユーの管弦楽曲『音色、空間、運動』があり、きらめく星々とうごめく空がオーケストラによって複雑に表現されています。
「夜」が浮かび上がらせるもの
夜という虚構と現実があいまいな時間を、ショパンは音でつむぎ、ゴッホは鮮やかな色彩で描きます。昼間に装った表向きの顔や感情は、夜になると隠されることなくむきだしに現れます。愛、夢、寂寥感、不安、そして生死への思い……。
ショパンはあからさまな表現をあまり好まず、曲にタイトルをつけることを嫌ったと言われています。ノクターンといっても甘く感傷的なものから深い悲哀までさまざまな表情が切り取られており、夜に巻き起こる想像や記憶の描写なのだろうか、と私は想像します。
ゴッホの夜の絵も、より精神的な世界へと向かっていきます。カラフルで色がはじけた夜空、ファンタジーに満ちた夜空もあれば、現実を離れ死に向かっていく夜空まで。必ず朝が来ると分かっているからこそ、彼らは理性や制約から解放されて、自由に思いを吐露することができたのではないでしょうか。
今回は「夜」に焦点をあてて、その神秘的な時間から生まれた芸術についてあれこれと考えを巡らせてみました。その他にも、ドビュッシーもフォーレもノクターンを作曲し、画家ホイッスラーは絵画『ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ』を描きます。「月」「夢」なども含むと芸術作品は多数存在し、芸術家それぞれの個性によってあらゆる表現がみられます。まだまだ夜の世界にはたくさん興味深い神秘がありそうです。またの機会にじっくりお話できればと思います。

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