亜無亜危異 are 小林高夫(Dr)、寺岡信芳(Ba)、仲野 茂(Vo)、藤沼伸一(Gu)、逸見泰成(OMAMORI)

亜無亜危異 are 小林高夫(Dr)、寺岡信芳(Ba)、仲野 茂(Vo)、藤沼伸一(Gu)、逸見泰成(OMAMORI)

亜無亜危異(仲野 茂、藤沼伸一)
- Key Person 第5回 -

メジャーがどういうものなのか
分かってなかったからメシで決めた

その後はどんな活動をされていたのですか?

仲野
マーキーでライヴをやったあと、次にどうしていいか分からなくて、伸一の地元の公民館でリハしてたんだけど、スタジオじゃないから当たり前に怒られたりしてね。で、池袋の楽器屋でリハを始めたの。そこはすごく大きい楽器屋で、ステージもあって。マリが別のバンドでリハしてるのを観てて、なんかすげぇなって思ってたら“今度『EastWest』(1979年に行なわれたヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト)っていうコンテストがあるから出てみないか?”って声をかけられたんだよね。参加費が3,000円でひとり600円くらい。当時はお金が全然なくてスタジオ代も大変なくらいだったんだけど、もう出るところもないし、出てみようぜってなって。それで出てみたら、思いのほか勝ち上がっていったわけ。そしたらスタジオ代とかもタダになったんだっけな? で、スタジオの人が応援してくれて、メシも奢ってくれるようになって、こりゃいい!って(笑)。最後の決勝を中野サンプラザでやった時に優秀バンド賞と最優秀ヴォーカリスト賞をもらって、ソニーとビクターがスカウトに来たんだよ。

1980年にビクターからアルバム『アナーキー』でデビューされるわけですが、最初にソニーから声がかかった時は“ピラフを奢ってもらったからもうソニーでいいや”と思っていたというエピソードもありますよね。

藤沼
その時はメジャーっていうのがどういうものなのかも分かってなくて、“レコードが出せるみたいだぜ”くらいの気持ちだったんだけど、先にソニーに呼ばれてピラフを奢ってもらった時に“こいつらいい奴らだな”なんて思ってね(笑)。
仲野
そう。ビクターの人にも会ったんだけど、話に夢中で“何か食べる?”って言ってくれなかったんだよ。
藤沼
あはは。
仲野
俺らは分かってなかったから、当時はビクターでもソニーでもどこでも良かったんだよね。
藤沼
単純にビクターは最初に会った時にメシの話が出なかったと。で、ソニーはまず“ピラフでも食べる?”っていうのがあった…って全然反体制じゃないよな(笑)。
仲野
“ビクターはコーヒーだけだったよな。どうする?”なんて話して。それでソニーに決めちゃったんだけど、ビクターの当時のディレクターだった村木敬史さんが“何でソニー?”って俺に電話をくれてさ。“ピラフで決めた”なんてダセェから言いたくなかったけど、すごく熱心に理由を訊いてくれるから正直に言っちゃったんだよね。そしたらメンバーを集めてくれって言われて、池袋ですげぇご馳走になっちゃったの。

あはは。

仲野
それでメシ食いながら村木さんが“俺はアナーキーと一緒にやれなかったらレコード会社を辞めて、地元の広島に帰るくらいの覚悟でやってる。いいからどんどん食ってくれ”ってめっちゃアツくて…その“どんどん食ってくれ”が良くて(笑)。
藤沼
そうだね、そこだね(笑)。
仲野
メンバーみんなで一緒に住んでたからさ、帰って“村木さんのほうがご馳走してくれたじゃねぇか。ソニーはピラフだけだぞ!?”って逆転したんだよね。だから、みんなでソニーに“辞めます”って言いに行ったんだけど、やっぱりダメで。今考えたらそれが当たり前なんだけどね。大人にいろいろ言われてさ、そしたらずっと静かだった寺岡が、その時の担当だった奴の態度が気に食わないとか言い出して(笑)。
藤沼
メシで決めて、メシで気が変わっただけの話なんだけど、嫌な奴が出てきたおかげでそいつのせいにできたっていうね。
仲野
で、いろいろ揉めたのにソニーから“仮契約しちゃったからダメだ”って言われてさ、さすがに俺たちも“はい”って言っちゃったんだよ。だから、またビクターの村木さんに報告をしたんだけど、俺たちは19歳でまだ当時は未成年だったから、契約に関しては親の承諾がないと無効だってことが分かって…それでビクターからデビューしたっていう。面倒くさいでしょ?

いやいや。右も左も分からない状態での板挟みは大変だったかと。

仲野
デビューしたあとも“アナーキー? 大丈夫大丈夫、あいつらは食わせとけばいいから”っていう感じで、中華とか焼肉とか連れて行かれて契約書を書かされてね(笑)。“アナーキーは何でも食うから”とか言われて、人を紹介される時は必ず飯屋だった。それまではとにかく貧乏でメシが食えなかったから、“やっぱすげぇぞ!”って毎回バクバク食ってたら、デビューした時にはメンバーみんな10キロぐらい太ってたよ(笑)。音楽の話じゃなくて、パーティーでいかにして食うかっていうのをいつもミーティングしてたからね。お腹ペコペコで行った時にさ、いきなりローストビーフを食ったら胃もたれをしたわけよ。だから、帰って来てから“先に立ち食いそばでも入れたほうがいっぱい食えるんじゃないか?”って考えて、パーティーに行く前にみんなで軽く腹に入れるようになったんだよね。それで食えるようになったっていう。

まさかそんなところに知恵を使っていたとは。

仲野
当時はバブルだからレコード会社もお金が余りまくってて、アルバム出したあとにヒット賞があってね、こんな俺たちを赤坂プリンスに招待してくれるわけ。バカじゃねえのって(笑)。まだ切れてないローストビーフを切ろうとしてボーイにすごい怒られたよ。ビクターの社長の話が終わってから切ろうと思ってたら、すでにメンバーみんな皿持って構えてて…って、このままじゃ食いものの話で終わっちゃうよ(笑)。

あはは。

OKMusic編集部

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