金延幸子があのまま日本で
活動していたら…
その想像を禁じ得ない
伝説的名盤『み空』
ポップなメロディーに思いを巡らす
サウンドがアコギのアルペジオを中心にしているようなところがあるからか、カントリーであったりケルトであったりに近い印象があるものの、それらとポップスの融合…というとやや語弊があるかもしれないが、単純にジャンル分けできない感じではある。彼女は“女性シンガーソングライターの草分け的存在”と形容されているようであるが、確かにそれがいいように思う。少なくとも『み空』の時点ではフォークシンガーとも、ポップス歌手とも言い切れない気はする。
デビューシングル「時にまかせて」を大瀧詠一が、そのアルバム収録版を細野晴臣がプロデュースしたと前述したが、そのフォークシンガーともポップス歌手とも言い切れない感じは当時スタッフの間で顕在化しており、それが両プロデューサーによるアレンジの違いにも表れたのではなかったかと想像できる。大瀧版はバンドサウンドが生々しく、ロックに近い。
アルバム収録の細野版は若干テンポも緩い感じで、スライドギターもいい具合に鳴っているカントリー調。それぞれにいいところがあって甲乙付けがたく、大瀧、細野のそれぞれのセンスの良さと同時に、金延幸子の非凡さがうかがえるところではないかと思う(アルバム収録曲は「時にまかせて」を含めて、大瀧がプリプロでやっていたバージョンをもとにアレンジされたという説もあるが、そうだとしてもそれはそれで細野のセンスは良い証拠だろう)。
ただ、これがソロデビュー作でもあるだけに…と言うべきか、『み空』が完璧な作品かと言ったら、決してそういうことでもないと思う。メロディーも歌詞もいい。だが、それらの調和がとれているかと言ったら──これは私見であるとそれをしっかり前置きしておくけれども、そうでもないところが少しばかり気にかかるのである。
具体的に言おう。全編でいいメロディーを聴かせてくれるのだが、特にM1「み空」、M2「あなたから遠くへ」、M6「おまえのほしいのは何」、M8「雪が降れば (ようこさんにささげる)」、M9「道行き」辺りでは、とてもポップで、耳に残る歌メロを聴くことができる。これが《トゥル ル ル……》とか《パパパル パパプラルラ》とか《ラララ……》とか、すべてスキャットなのだ。それが悪いとは言わない。洋楽的に聴こえる効果もあったのだろうし、ここまで多いということはおそらく意識的にやっていたのだろう。
ただ、いずれも見事にメロディアスなので、(これもまた“たられば”であるが)“ここにいい歌詞が乗っていたら、また印象が変わったのだろう”とは思う。もちろん歌詞が乗ることでいい化学変化ばかりが起こるとは思わないけれども、本作の収録曲を見ればハマリのいい歌詞が多いので少なくとも改悪となることはなかろう。仮に彼女自身がそれを得意としていなかったとしたら、本作でもそれを試みているように外部からライターを招くこともできたと思う。『み空』の翌年にそれがいきなりできたかどうかは分からない。何よりもそれが本人とスタッフの望むところであったかどうかも分からないので、誠に勝手な話であるのだけれども、よりいい楽曲を創作する余地はあったはずである。それゆえに、『み空』以降、作品が滞ってしまったのは、一リスナーの立場から言わせてもらうと本当に残念ではある。
荒井由実がアルバム『ひこうき雲』を発売したのが1973年11月。中島みゆきがシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューしたのが1975年5月である。彼女たちを筆頭に1970年代半ばから女性シンガーソングライターが本格的に活躍し始めたわけだが、金延幸子の『み空』は上記作品よりやや早く発表された。そして、以後、彼女は長い間、音源をリリースすることがなかった。もし金延幸子が『み空』以降も継続的に作品を出していたら、日本の音楽シーンは現在とその形を変えていたのではないか──。栓なきことだが、『み空』を聴いた今となっては余計にその想像を禁じ得ない。
TEXT:帆苅智之
アーティスト
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