この悲劇を招いたのは、どの愛か。S
tudio Life×東映ビデオ舞台プロジェ
クト第1弾『死の泉』ゲネプロレポー

2020年2月27日(木)紀伊國屋ホールにおいて、劇団スタジオライフ✕東映ビデオ舞台プロジェクト第1弾『死の泉』が開幕した。
原作は、直木賞受賞作家・皆川博子による同名小説。第32回吉川英治文学賞を受賞し、「週刊文春ミステリー・ベスト10」第1位、「このミステリーがすごい!」第3位に輝いた、皆川の代表作だ。1999年、劇団スタジオライフによって初めて舞台化、その後2度の再演を経て、今回が12年ぶり4度目の上演となる。このたび初日を前に行われたゲネプロ(上演はA キャスト)のレポートが到着した。
トランプのジョーカーのように、不吉の影はいつもそこにある
劇団スタジオライフを形容するときに、恐らく多くの人が挙げるであろうフレーズが「耽美」。美しき男優たちによるオールメールの世界は気高く、純潔さと淫靡さの両方を孕んでいる。この『死の泉』では、そんなスタジオライフの唯一無二の表現と、皆川博子の幻想的でミステリアスな世界観がぴたりとシンクロする。陽の当たらない洞窟のような、誰にも届かない叫びのような悲劇の匂いが、通奏低音として全体を包む。観客は、仄暗い地下室で息をひそめるように、破滅の予感が徐々に膨らんでいくのを見つめる。この緊迫感と高揚感が、『死の泉』の面白さだ。
舞台は、第二次世界大戦中のドイツ。レーベンスボルン(未婚女性がドイツ人を父に持つアーリア人の子を出産するための支援施設。邦訳は「生命の泉」)に身を置くことになったマルガレーテ(松本慎也)は、そこでひとりの男性に見初められる。男性の名は、クラウス(笠原浩夫)。不老不死を研究する医師だ。クラウスの寵愛を受け、恵まれた環境で穏やかな生活を送るマルガレーテ。だが、その平穏は、やがて訪れる悲劇のための前奏曲だった。物語は2幕構成。第1幕では、主にマルガレーテの視点で物語は進む。美しきマルガレーテは、その美貌からクラウスの心と何不自由ない生活を手に入れる。ふたりの養子・フランツ(松本慎也)とエーリヒ(伊藤清之)も愛らしくていい子たちだ。よくマルガレーテに懐いている。お腹に宿した子も健康に生まれ、ミヒャエルと名づけられた。すべてが、うまくいくはずだった。
しかし、トランプに忍ばせたジョーカーのように、不吉の影はいつもそこにある。前兆は、他ならぬクラウスだった。一見、人格者に見えるクラウスだが、何気ない言動のそこかしこに「尋常ならざるもの」が見え隠れする。そのひとつが、エーリヒへの偏愛だ。ボーイソプラノを愛するクラウスは、天使の声を持つエーリヒに強い執着心を示す。クラウスのボーイソプラノに対する耽溺は、若く美しき少年への愛念のようでもあり、観る者を不穏にさせる。

ホルマリン漬けの奇形児が並ぶというクラウスの実験室。不老に妄執するクラウスの犠牲となった双子の姉妹・レナ(宇佐美輝)とアリツェ。まるで暗闇の回廊で1 本1 本燭台に火をともすように、明るみに出るクラウスの異常性。そのたびに、マルガレーテの幸福の城は、多くの人の嘆きの上に建てられた危うきジェンガであることが突きつけられる。
フランツとマルガレーテ。交わしたくちづけは、愛か、それとも
そして、もうひとつの兆しが、レーベンスボルン時代に共に看護師として働いたモニカ(石飛幸治)とブリギッテ(山本芳樹)の存在だ。同じ身分だったはずなのに、その美貌だけでいち早く幸福を手にしたマルガレーテのことが、ふたりは面白くない。モニカは使用人としてクラウス家に潜り込み、レーベンスボルン時代にマルガレーテがこぼした失言を盾に陰湿な嫌がらせをする。そしてブリギッテはクラウスと関係を結び、その子を宿す。狂いはじめた旋律は、不協和音となって死神を誘い出す。
そんな中で、少しずつマルガレーテとフランツの間に特別な感情が芽生えはじめる。孤児であったとされるフランツだが、本当はポーランド人だった。ドイツの侵攻により祖国を蹂躙されたフランツは、アーリア人特有の金髪碧眼の容貌を買われ、エーリヒと共にクラウスの養子として迎えられたのだ。正義感と知的好奇心に富むフランツはマルガレーテを慕い、帝国の人間としての自覚と誇りに燃えるようになる。そして、マルガレーテもまたモニカとの摩擦とクラウスへの疑念に疲弊する中で、フランツの存在に安らぎを見出す。だが、この男女愛とも家族愛ともつかないふたりの関係こそが、ジェンガを崩す最後の一手だった。崩れた幸福の城から、破滅のツィゴイネルワイゼンが鳴り響く。
人は決して神にはなれない。壊れたものは、もう二度と戻らない
こうした愛と憎しみが交錯する人間模様を、スタジオライフを中心に男優たちがドラマティックに演じ上げていく。倉田淳の演出には格調があり、決して安っぽいメロドラマに走ることなく、当時のドイツを支配していたナチスの優生思想をベースに敷きながら、人間たちの愚かで尊い悲劇を描いていく。
第1幕で印象に残ったのは、マルガレーテ役の松本慎也、少年フランツ役の澤井俊輝、そしてモニカ役の石飛幸治。松本の演じるマルガレーテは有無を言わさぬ美しさと、そばにいる人間が思わず手を差しのばさずにはいられない孤独と哀感があり、フランツ役の澤井は芯のあるまっすぐな声が少年の潔癖な正義感によく合っている。そしてモニカ役の石飛は、第1幕をかき回す存在として、じゅうぶんにその役目を果たしてくれた。
ある事件と共に第1幕は幕となり、第2幕ではそれから15年後の世界が描かれる。第二次世界大戦が終結したドイツで、青年となったフランツ(馬場良馬)とエーリヒ(松村泰一郎)が登場し、またミヒャエルの本当の父であるギュンター(曽世海司)も加わることで、人間模様はますます混沌を呈する。第2幕では青年フランツ役の馬場良馬が牽引。そして、全体を通す柱としてクラウス役の笠原浩夫の存在感が浮かび上がってくる。
フランツとエーリヒはなぜクラウスのもとを離れ、大道芸人として生活しているのか。マルガレーテはなぜ心壊れてしまったのか。そしてギュンターに近づくクラウスの目的は何なのか。本来人間がコントロールできるものではないものを選別し、それ以外のものを排他しようとしたナチスの傲慢と、ボーイソプラノに焦がれたクラウスの心酔が重なり、思い知らされる。人は決して神にはなれないのだ、ということを。
休憩含む3時間の大作だが、その果てに見えたものは、人は何かを強く欲すれば欲するほど、それを壊してしまうということだ。求めるから、強く握りしめようとする。強く握りしめるから、いとも容易く壊れる。残骸を拾っても、もう元には戻らない。クラウスのエーリヒへの愛。フランツのエーリヒへの愛。そしてフランツのマルガレーテへの愛。この悲劇の指揮者となったのは、はたしてどの愛だったのだろうか。
東京公演は3月8日(日)まで紀伊國屋ホールにて上演。その後、大阪に場所を移し、3月13日(金)から15日(日)まで近鉄アート館にて上演予定。
文:横川良明
「Studio Life✕東映ビデオ舞台プロジェクト」とは
1985年に故河内喜一朗と倉田淳により結成し、数々の名作舞台を世に送り出し続けている劇団「Studio Life」。2020年35周年を迎える劇団の舞台を「東映ビデオ」が共同プロデュースし、新たなコラボレーション作品を生み出すプロジェクト。「死の泉」は、この新プロジェクト第1弾公演となる。

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