【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#132
ミュージシャン・大野克夫の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

音作りへの根気がなくなったときが辞め
るときかな。音楽は根気です

より

このインタビューには、大野克夫のミュージシャンとしての経歴が語られているとともに、後続者へのメッセージが込められている。今回の名言は、自身に対する戒めでもあり、すべての音楽関係者に投げかけた言葉と感じられる。「今はコンピューターで音楽を作る時代だけれど、ギターならギター、ピアノならピアノの音、それを基本にして、音作り、曲作りをしてほしいと思う」、「生の音楽の持つ、こういう良さを忘れないでほしい。インスタントじゃなくて、かつお節や昆布からしっかりだしをとったような」などと語りつつ、今回の名言につながっている。「こだわりと根気」こそが、大野がミュージシャンとして大成した礎となっているのだ。このインタビューを読むと「大野克夫さんのデモテープは絶品で、このままレコードとして発売したいくらいだねと毎曲届けられる度に思っていた」という、作詞家・阿久悠が残した言葉も沁みてくる。

大野克夫(おおのかつお)
1939年9月12日生まれ、京都府京都市出身。ミュージシャン、作曲家、編曲家、キーボード奏者。1958年、ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ザ・ウエストのスチールギター奏者としてプロのミュージシャンとなる。1962年、ザ・スパイダースのメンバーになる。スチールギター、オルガンの他、様々な楽器をこなすマルチプレーヤーとして活躍する。ザ・スパイダース解散後、1971年に井上堯之、沢田研二萩原健一、岸部修三(岸部一徳)、大口広司と共にロックバンド PYGを結成。その後、井上堯之バンドのメンバーとなる。キーボード奏者、作曲家、編曲家としても活躍し、『太陽にほえろ!』、『傷だらけの天使』、『寺内貫太郎一家』などテレビドラマのテーマソングや挿入などの作曲・編曲を担当。また、沢田研二のバックバンドとしても活動しつつ、作曲家として「時の過ぎゆくままに」(1975年)、「勝手にしやがれ」(1977年/第19回日本レコード大賞受賞)、「憎みきれないろくでなし」(1977年)、「LOVE (抱きしめたい)」(1978年)など多くの楽曲を提供している。1977年、初のソロアルバム『Free Ways』をリリース。1978年、「サミー・ボウ」をシングル・カット。井上堯之バンド解散後、1980年に大野克夫バンドを結成。1996年以降は、テレビアニメ『名探偵コナン』などの音楽プロデュースをはじめ、幅広い分野で活躍。 2003から2008年にかけてvol.5まで発売された大野作品のデモテープを収録したCD『幻のメロディ』が話題となった。2020年4月17日公開のアニメ映画『名探偵コナン 緋色の弾丸』の音楽を担当している。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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