KISS来日記念企画/髙嶋政宏ロング・
インタビュー~KISSマニア道・地獄の
回想【後編】

1970年代から40年以上にわたって世界を席巻し続けてきたハードロック界のレガシーバンド、KISSが「END OF THE ROAD WORLD TOUR」と銘打った全世界ツアーの一環として最後の来日公演を12月に各地で行う。
前回に引き続き、今回も、俳優にして日本(世界?)有数のKISSマニアとして知られる“スターレス髙嶋”こと髙嶋政宏に、KISS地獄に人生を捧げてきた軌跡を語っていただく。今回はこれまで蒐集してきたレアグッズの中から選りすぐりの逸品を身に纏っての、非常に気合のこもったインタビューである。前回よりも更に加熱した内容が展開することだろう。
■ディスコに魂を売ったと言われても僕はKISSが好きでした
──KISSファンの少年たちを面白がらせたのは、なんでもかんでも“地獄の”っていう邦題がついていたことですよね。
日本のレコード会社の人たちはある意味、上手かったんじゃないかな。“地獄”がつくことによって食いつきがいいんですよ。地獄の軍団とか。たしか、本人たちも服に漢字で刺繍をしていたような憶えがあります。漢字が好きだったのでしょう。ポール・スタンレーなのか、ジーン・シモンズなのか。ま、ジーンの方がビジネスマンだから。「これやったら儲かる」と思ったのかもしれないですよね。テイジンと組んで作ったスカジャンにも漢字が入っていたかと。リバーシブルのスカジャンでXLしか残ってなかったんですよ。ちょっとデカいんですけど買いました(笑)。とにかくKISSは日本が好きですからね。日本人のことも好きだし。
──“地獄の”がつくタイトルは秀逸だったですね。髙嶋さんはアルバムのタイトルや曲名を邦題で憶えるタイプですか?
いやー、どうですかね。でも両方ともあります。中学、高校になり、クラブでDJと知り合うのですが、DJは英語のタイトルで言うんですよ。『Dressed to Kill』(1975年)が今日は来てるんだとかね。「あ、“地獄への接吻”か」とかね。そうやってだんだん詳しくなっていく。
──クラブでKISSですか。当時はディスコミュージックやエレクトロなんかも出てきて、クラブでかかっていたのはそういうのが主流だったような印象がありますが。
僕がクラブに行き始めた時代は、ドゥービー・ブラザーズの「ロングトレイン・ランニング(Long Train Running)」(1973年)とかかかってたんですけど、やがてブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA(Born in the U.S.A.)」(1984年)だったり、アース・ウィンド&ザ・ファイヤーなどもかかるようになっていました。でも、そういうクラブも含めて、KISSはほとんどのクラブでかかっていましたよ。そうこうしているうちにハービー・ハンコックの「ロックイット(ROCKIT)」(1983年)とか、ロンドンのDJユニットのコールドカットが出てきて、日本では藤原ヒロシ登場ですよ。そんな中でもKISSはずっと流れてました。
で、『地獄からの脱出(Dynasty)』(1979年)が出て、その中の「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You)」がむちゃくちゃヒットしましてね。「KISSがディスコに魂を売った」みたいなことを言う人もいたんですけど、俺は好きでしたね。「あのベースのフレーズ、どうやって弾いてるの?」って思いながら随分と練習しましたが、後からシーケンサーだったと知って(笑)。
ただ、メンバー一人一人のソロアルバムが同時にリリースされた時(1978年)に、人によっては作品がつまらないように感じたんですよね。『地獄の回想(Lick It Up)』(1983年)では急に素顔を出したりして、そのあたりから、だんだん「KISSってどうなっていくんだろう」って。僕の中ではメイクこそが魅力の大半を占めていましたからね。
KISSって、向こうのメディアで喋っている時はめちゃくちゃロックなんですけど、日本に向けてのインタビューになると、すごく優しい感じなんですよ。「日本人を愛してます」とか「僕たちのことをわかってもらえると嬉しい」みたいな。それを見て「ロックじゃないじゃん」って(笑)。そこで僕はKISSから一回遠ざかるんですよね。
KISS『地獄からの脱出』(1979年)、『地獄の回想』(1983年)
──遠ざかったんですね、やっぱり。
ええ。その間は他の音楽をいっぱい聴いてたんですけど。ただKISSがノーメイクで来日した時も東京での全ての公演に行きました。
──全公演!
はい。最近は仕事が忙しすぎてそこまで行けないですけど、それでも東京と大阪は行きますよ。KISSを見るためだけに大阪に行く。
──離れた時期にも?
アルバムは聴かないんだけど、コンサートは行く。メンバーチェンジしても僕は全く否定しない。
──メンバーチェンジの話をしだすと長くなっちゃいますか(笑)。
いや、要するに、エース・フレーリーの後任ギタリストになったヴィニー・ヴィンセントは上手すぎたんですね。いってもKISSはポールとジーンがスーパースターですから、「おまえ、目立ちすぎなんだよ。ウチ、そういうバンドじゃないから。俺たちのバンドなんだから、そんなにテクニカルに弾くなよ」って言われて。それでも弾き続けて、結局クビになったっていう。まぁ、でも、ヴィニー・ヴィンセントは辞めてよかったんじゃないですかね。フレーズが全然違いますもん。KISSのあんな、ゆっくりしたリフ弾いてられないでしょう(笑)。あと、ピーター・クリスの後任ドラマーだったエリック・カーは病気で亡くなっちゃったんですよね​。
──悲しかったですよね。
そうなんですよ。で、来日公演に行って「アイ・ラヴ・イット・ラウド(I Love It Loud/1982年)」を初めて聴いたんですよ。その頃はKISSから離れてレコードを聴いてなかったから。「この観客を巻き込む名曲はなんだ。KISSすごいな」と。そこで改めて、アルバムをまた聴き始めた。
──その時のドラムがエリック・カーでした。
そう、エリック・カーです。『暗黒の神話(Creatures Of The Night)』(1982年)でした。その時のブラジル公演のTシャツ買いましたもん。
KISS『暗黒の神話』(1982年)
──え。ブラジルに行ったわけではないんですよね。
ではないんです(笑)。缶に入ったTシャツ。『サイコ・サーカス(Psycho Circus)』(1998年)は、ポール曰く「クイーンが“ボヘミアン・ラプソディ”を出したのと同じくらいの意欲作だ」って言っていたので、勇んで聴いてみたんですけど、それほど良くはなかった(笑)。ライヴでやるからいいのかなってくらいの感じでした。たしかそのあたりで、再加入したピーターが鬱病になり、やはり再加入したエースもアル中になって、いなくなったり復活したりを繰り返して、その後にギターのトミー・セイヤーとドラムのエリック・シンガーが加入するんですけど、この2人は頭がいいなと思いました。KISSのオリジナル・メンバーを大先輩として崇め、言う通りにやりながらバンドを支えつつ、自分たちも曲も書くっていう。2人が入ったことによってまたKISSが蘇った。トミー・セイヤーはジャズもブルースもフュージョンも弾けるし、アコースティックギターだって上手いと思うんですよ。なのにハードロックのリフとソロを忠実に弾く。そこから絶対にはみ出さないですからね。
KISS『サイコ・サーカス』(1998年)
──器用で頭がいい。それにしても髙嶋さんは、一時離れたとはいえ、メンバーの変遷も、プログレっぽくなった時期も全て受け入れられるんですね。。
ええ。ここ5年ほどは、遠ざかった時期の空白を埋めなきゃと思って、改めて熱心に聴いているんですけど、『~エルダー~ 魔界大決戦(Music From“The Elder”)』(1981年)がけっこう好きです。プログレのようなアルバムでむちゃくちゃ評判悪かったですけど。
KISS『~エルダー~ 魔界大決戦』(1981年)
──僕もけっこう好きです。出た時は評判が悪かったですね。
なぜ、ああいうサントラみたいなアルバムを作ろうと思ったのかわからないけど好きですね。あとストーリーを知るといろいろなことに区切りをつける意味合いだった『リヴェンジ(Revenge)』(1992年)も好きです。それとセルフカバーした『地獄烈伝(Jigoku Retsuden)』(2008年)も! テンポが遅いんですけど重くていいんですよ。このあたりで「ホッター・ザン・ヘル(Hotter Than Hell)」(1974年)とか昔の頃のKISSに戻るっていう。確かKISSって半音下げるとヘヴィになるって言って最初にそれをやったバンドじゃなかったでしたっけ? 昔、コピーしたとき音が合わなくて「おかしいな」と思ったら全部、半音下げていたっていう。『地獄列伝』でテンポがゆっくりになったのもいいんですよね。まぁ、最近はライヴが始まると大体がそのテンポなので、あまり違いは感じませんけどね(笑)。
KISS『リヴェンジ』(1992年)、『地獄烈伝』(2008年)
──KISSをあまり知らない20代や30代の若い人たちにはどのアルバムをお勧めしたいですか?
クラブのDJとかやっている若い人たちには最初の3枚、『地獄からの使者(Kiss)』(1974年)、『地獄のさけび(Hotter Than Hell)』(1974年)、『地獄への接吻(Dressed to Kill)』(1975年)ですね。70年代感をロックな曲で繋げるにはいいと思います。音がクリアになってからの時期より、初期のほうが面白いと思います。音色がちょっとセコいかもしれませんが、当時の綺麗すぎない感じがいいので、そこから入ってほしいですね。あとはKISSの最初のライブ盤『地獄の狂獣 キッス・ライヴ(Alive!)』(1975年)でしょうね。音から当時の勢いを感じてほしいです。『アライヴ2(Alive II)』(1977年)になると、成功をおさめた後なので雰囲気がゴージャスなんですよ。最初の「どうなっていくんだろう?」っていう勢いでやってる1枚目のライブアルバムのほうを勧めたいですね。あとは、アルバムって言われたんですけど、まずは何と言ってもTVの『ヤング・ミュージック・ショー』の映像は必見ですよ。
KISS『地獄からの使者』(1974年)、『地獄のさけび』(1974年)
KISS『地獄への接吻』(1975年)、『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』(1975年)

──(笑)。ネットで探せば見つかるかもしれませんね。あるいは正攻法でNHKにリクエストすればいつか再放送されるかもしれません。
「こんなに荒々しいバンドがいたんだ」っていう、そこでしょうね。最初の頃の手作り感、荒削りなんだけど、すでに「ロックンロール・サーカス」として形になっている。これは絶対に観てほしいですね。すべてはここから始まった。
■本人たちが“最後”って言ってるんだから“最後”を見届けようよ
──実際にメンバーに会われたことはありますか?
原宿のラフォーレで開催された「KISS EXPO TOKYO 2016 ~地獄の博覧会~」で、ジーン・シモンズさんに会わせていただきました。感動しましたね。僕よりデカい。巨大な人でした。ジーン・シモンズさんって普段は人と絶対に握手しないんですって。握手すると菌が入って死ぬって言ってるらしい(笑)。でも、僕がファンだってすごくアピールしたら、なんと握手してくれたんです。その時の写真は家宝です。
──それは本当に貴重な!
それと、もうひとつ。アメリカのアニメ『スクービー・ドゥー』がKISSとコラボした『スクービー・ドゥー&KISS:ロックンロール・ミステリー』というのがあるんです。僕がKISS好きだということで、KISS役の日本語吹き替えをやらせてもらったことがあるのです。それも全員の役! 声色を工夫して楽しかった!! その宣伝パネルをジーンさんのところに持っていったらサインしてくれました。それも永久保存版です。
──髙嶋さんの嬉しそうな顔が目に浮かびます。さて、ライヴの話ですが、いままで行かれた中でいちばん良かったKISSのライヴというと?
いちばん最初に見た1978年のライヴはもちろんなんですけど、2013年の大阪城ホール。始まる時に「今日はSNS上げ放題。写真も動画もOKだ」ってアナウンスを聴いた時に胸が熱くなりました。「KISSってすごいな」って。普通、最初にさんざん注意点をアナウンスするじゃないですか。2013年10月21日のアナウンスを聞いた時には全員感動ですよ。
──あの肖像権などにうるさそうなジーンが、よく許可しましたよね。
あと、印象が強かったのは、2015年3月3日の東京ドーム。ももクロ(ももいろクローバーZ)がゲスト出演した公演です。アンコールのももクロが出るまでのグダグダ感は悪い意味で印象に残ってます(笑)。「まだまだあるよ」って言いながら突然メンバーがいなくなり、ももクロが出るのは知ってたけど、待てども待てども一向に出てこなくて。
──ももクロさんたちは、KISSがどれだけすごいバンドなのかわかっていたのでしょうかね。
ジーン・シモンズさんはリサーチ力がすごいから、「いまいちばん稼いでいる女性アーティストと共演したい」ということで、ももクロになったんじゃないんですかね。CD「夢の浮世に咲いてみな」(ももいろクローバーZ vs KISS名義)だって、僕はちゃんと買っちゃいましたもん(笑)。名曲ですよね。ももクロの声が入ることでサブカル感がプラスされて。あれはクラブとかでウケるんじゃないんですかね。
「夢の浮世に咲いてみな」【KISS盤】
──KISSの昔からのファンとして「ふざけるな」とかじゃなくて、受け入れられるんですね。
魂を売ったとか、そういう問題じゃないんです。まず、そういう意識から脱出しないといけないって。
──髙嶋さんのそのフラットな姿勢は面白いですね。そういうところで離れていく人も多いと思うんですよ。「ラヴィング・ユー・ベイビー」でいっきに離れていったり、メイクなしになってKISSが終わったと思った人たちにも、今回の最後のツアーは来てほしいですよね。
そうですね。でも、本当に“最後”なんですかね? 噂だと、ポール・スタンレーは辞めるらしいけど、そこに別キャラが入るんじゃないかって噂も。
──えーっ?
KISSはずっと続けるって。あくまで根も葉もない噂ですけどね(笑)。でも、いいと思いますよ。お客さんが聴きたい曲をこれからも永久にライブでやり続ける。奇を衒わない。いいと思います。そういうのが必要なんじゃないかなと思いますね。最近はキング・クリムゾンも遂にその境地にたどり着いた。まあ、その話は長くなるので置いておきますが(笑)。KISSって、ロックのコンサートというより『シルクドソレイユ』みたいなショーを観に行く感覚です。だいたいステージで起きることは予めわかってるんですけど行きたいっていう。
──そうですよね。何が起きるか全部わかってるんだけど面白いんですよね。
そう。最初の頃は“歌舞伎メイク”って言われてましたけど、「アリス・クーパーを真似してたんだ」ってメンバーも言っていたとおり、実のところ歌舞伎は関係ないらしい。でも、歌舞伎みたいに展開とか見せ場とかが全部わかってる。そういうショーですよね。だからこそ誰が見ても面白いんです。テンポよくキャッチーな曲がどんどん来ますから観てない人がいたら絶対観てほしいですね。これを逃したら損すると思いますね。曲が好きとかパフォーマンスがすごいとか、そういうレベルの話じゃなくて、人として1回は観るべきものなんです。
──改めて、40代~60代の、往年からのファンにメッセージをお願いします。
これで“最後”だって言ってるんだから信じてみようよって(笑)。そこがまずひとつですね。もっと続いてくれたら嬉しいよねっていうのがありつつも、「本人たちが“最後”って言ってるんだから“最後”を見届けようよ」っていうのが正直なところです。もう、ポールとジーンのラインナップであの名曲、あの歌声で聴けなくなるかもしれないんだよっていうことですよ。だったら耳と目に焼き付けようと。これしかないですね。
──“最後”の来日公演なので見ておかないとダメですよね。
僕はずっと見て来てますけど、なんか目に浮かぶんですよね。ファンだった人やそんなにファンじゃなかった人が、終わったあとに車の中でKISSをダウンロードしてベスト盤とか聴く光景が。
──本日身に付けていらっしゃるグッズについても解説してください。すごいレアものばかりですね。
KISSのグッズに関して僕は「PGS音楽市場」という、ヘヴィ・メタル/ハード・ロックのグッズ専門サイトで買うんですが、レアなものはホントに取り合いです。Tシャツはそんなに焦らなくていいんですが、時計とかブランケット、ランチボックスだと、仕事中でも「ちょっと待ってください」って、携帯で一刻も早くポチります(笑)。「そろそろ」って言われても「すみません。これだけクリックさせてください」って。時計は市場に上がった瞬間に「これ、すぐにおさえないと」って。どこ製だっていいんです。いま腕につけているコレなんか、届いた時から動いてないんですけど(笑)。
──(笑)そうなんですね。
ええ。いいんです。ただ持っていたいんです。持っていることが重要なんです。で、今日着ている、このコスチュームはタイムラインで急に流れてきたんです。普通のタイムラインなのに見たことない通販会社、聞いたこともないメーカーで「これ何だ?」と思いながら、焦りすぎてエースだけダブっちゃったんですけど(笑)、全部カートに入れてクレジットカード情報を入れて送信してから、「待てよ。これもしかしたら詐欺なんじゃないかな」と思ったんです。で、1週間たっても2週間たっても届かなくて「やばいな」って。「でも、2万とか3万だったので詐欺だったとしてもいい勉強かな」と思っていたら、1ヶ月後くらいに、ちゃんと届いたんですよ。開けて「やった! 俺が思ってたサイズ感と同じだ! 詐欺じゃなかったんだ」って、そのときは感動しましたね。で、そのあとにまたタイムラインでスウェットパンツが出て来たんですよ。詐欺じゃないとわかったから、すぐクリックして。で、いま着てるのはジーン・シモンズです。
スニーカーはVANSが突然KISSとコラボするってYahooニュースで見たんですよ。15年くらい前かな。最初がソロアルバムで、携帯で見た瞬間に「すぐ完売する!」と思って、ABCマートに自転車で行き、「キッスのコラボありますか?」「あ、これ最後の1足ですね」って。それ以来、毎週のようにABCマートに電話して全部買い集めましたね。
──すごい熱量ですね。
VANSがおさまったと思ったら、今度はPUMAがポール・スタンレーとコラボすることになって。ポールが画家として描いたデザインなので、KISS感はないんですけど、ロゴにポール・スタンレーって描いてあるんですよ。これ見た時はお店では間に合わないっていうのでPUMAのオンラインに入って買いました。縞馬柄をポールが描いていることになってるんですけど(笑)。サイズを探して「これだ!」って。
あとはサングラス。最近はいっさい出てこないですね。ポール・スタンレーのサングランスが無理なので。
──片方がデザインしようがないですからね。
ピーターも無理っぽくて、あるとしたらエースなんですよね。これは最高ですよ。今日、この日のために(笑)。とにかく、これと上下は今日のこの日のために。ジャケットとかいろいろ持ってますけど、これしかないと思いました。
──髙嶋さんが素晴らしいのは、ただ単に集めてコレクションしておくだけじゃなくて、実際に着たり履いたりするところですよね。
着たり履いたりして見せたいっていう(笑)。普通に歩いて「誰かが反応するかな」っていうのを見たいんですよ。「あれ、それ、どこで買ったんですか?」って本当に言ってくる人がいるので、その時に「あ、マニアと出会った」って。だから自分が見たことのないKISSのTシャツを着てる人見たら、「いいの着てますね」って普通に言いますよ(笑)。
取材・文=森本智  写真撮影:池上夢貢

【髙嶋 政宏(たかしま まさひろ)プロフィール】
1965年10月29日・東京都生まれ。俳優。1987年 映画「トットチャンネル」でデビュー。同作及び映画「BU・SU」で、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第30回ブルーリボン賞新人賞、第61回キネマ旬報新人男優賞などを受賞。以降、映画・テレビ・舞台と幅広く活躍。 主な出演作に【映画】「花筐/HANAGATAMI 」「未成年だけどコドモじゃない」(17)、「マスカレード・ホテル」「キングダム」「空母いぶき」「かぐや様は告らせたい」「3人の信長」(19)、【ドラマ】大河ドラマ「おんな城主 直虎」(17/NHK)、「ハラスメントゲーム」(18/TX)、「牡丹燈籠」(19/NHKBS)、【舞台】「クラウドナイン」(17)、「俺の骨をあげる」(18)、「プルガトリオ」(19)などがある。近年では活動の幅を広げ、バラエティー番組にも多数出演している。

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