【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#122
歌手・村田英雄の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

男は、遊びと仕事という2つの車輪をま
わしながら、人生の花を咲かすんだよ

より

今回の名言は、1982年の『BRUTUS』(マガジンハウス)に掲載された、エディター森永博志による元祖御三家(村田英雄三波春夫三橋美智也)のインタビュー記事からの抜粋である。このインタビューで、村田は”男”について多く語っている。まず、男の生活の基本となることを「お米への感謝だ」と断言する。そして、「女に感謝する」と”男の遊び方”に話しが及ぶ。「男は女から色気をもらうんだ。〈中略〉色気のある男になるには、だからいい女と遊ばなきゃだめだ」と指南している。「3億や4億も金使って、20何年間やってきて、今日、遊びはすべて村田英雄の肥しになっているよ」という、昭和の大スターらしい豪快な発言が格好良い。今回の名言は、遊び尽くして花を咲かせた男、村田英雄の哲学そのものなのである。

村田英雄(むらたひでお)
1929年1月17日、佐賀県唐津市出身。演歌歌手、俳優。北くすを、もしくは北くすおのペンネームで作詞作曲もしている。1931年、4歳で両親が座員である雲井式部一座の『中山安兵衛婿入り』に京山茶目丸の名で舞台デビュー。1932年、浪曲師の酒井雲門下に弟子入。酒井雲坊の名前を受け、13歳で真打昇進、14歳で酒井雲坊一座の座長となる。1958年、古賀政男に見出され、「無法松の一生」で歌手デビュー。1961年、「王将」を発売。戦後初のミリオンセラーとなり、翌1962年には第4回『日本レコード大賞特別賞』を受賞する。1973年、持病の糖尿病の悪化により一年間休業。1979年、「夫婦春秋」(1967年発売)がリバイバルヒット。1981年〜1982年に、ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』で、昭和の大スターらしい豪快なエピソードやキャラクターが紹介され若年層にも広く認知されることとなる。1988年、三橋美智也、春日八郎と〈三人の会〉を結成。1960代後半から1970年代半ばまで、多くの任侠映画に出演し、銀幕のスターとしても活躍している。1997年の大月みやこ公演への特別出演が最後のステージとなった。2002年6月13日、合併症の肺炎のため死去。享年73。没後、勲四等瑞宝章を授与。

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