【インタビュー】矢野まき、『ALL T
IME BEST』から鮮烈な20年を振り返る

矢野まきという歌い手が誕生し、この世に歌を放つようになったのは1999年7月16日の七色の日のことだ。あれから20年が経った2019年、矢野まきは<ありがとうのうた>と題したスペシャル・ライブを日本各地で歌い紡ぎ、夏には長年の友であるスキマスイッチ大橋卓弥との初となるコラボレーション作品「ポートレイト」を収録した自身初のベスト・アルバム『矢野まき ALL TIME BEST』を発表した。年明けとなる2020年1月21日(火)には、彼女が生まれ育った東京でワンマン・ライブを開催する予定となっている。

20年前、歌の神の化身のような彼女の傍らで現場マネージャーをしていた私は、現在音楽ライターとして活動しているのだが、今もなお、最もライブを見たい日本の女性アーティストのナンバーワンに君臨するのは矢野まき、その人だ。琴線に触れる彼女の歌には人を虜にする何かが確実に宿っている。

そこで今回は、ベスト・アルバム『矢野まき ALL TIME BEST』の制作を支えたプロデューサーの松岡モトキと、ユニバーサルミュージックの浦田功氏に同席してもらい、今作についてはもちろんのこと、歌い手・矢野まきがこれまで歩んできた20年について話を訊いた。
──『ALL TIME BEST』はどんな内容にしようと思いましたか?

矢野まき:何よりもファンの人たちに「ありがとう」という気持ちを形にしたかった。10周年ライブ後からの活動休止を経た復帰ライブにも、たくさんのファンの人が来てくれて支えられてきたから。ARIGATO RECORDSもそうだけど、この作品もまずはその人たちに届けたいというのがテーマとしてあって、ベスト盤だから旧譜を厳選して入れるのが基本だけど、単純な旧譜の寄せ集めにはしたくなかった。そこでスキマスイッチの大橋卓弥くんとコラボして新曲を作りたいと考えたの。

──過去ステージでの共演はありましたが、共作は初ですか?

矢野まき:そうなの。出会って以降、活動休止中もずっとリスペクトしてくれている彼にはずっと感謝していたし、ゼロから曲を作ることはしたことがなかったから、ここで友情の証じゃないけど「何かできたら」と思っていたときにちょうど連絡をもらって「こっちが先に力を貸して欲しい」と言われて。それで東京メトロのCMソングを一緒に歌って、カチカチッとタイミングよく曲ができた。

──「ポートレイト」の誕生ですね。

矢野まき:デビューしてから20年経った今、ファンの人にありがとうって言いたくて書いた曲。ファンの人、関係者、家族、卓弥に今の私がこうしていられるのはみんなのおかげって言えたらいいなって。

浦田功:矢野まきという人のキーワードである“大丈夫”という言葉が入っている。

矢野まき:“大丈夫”って大好き。言ってもらえると「そうかも」って思えるから自分も言ってあげたいし。「大丈夫」と「ありがとう」は魔法の言葉だからね。
──そんな矢野まき20年の歌い手史上、今作には新曲「ポートレイト」と新録「初夏の出来事」を含む珠玉の32曲が収録されました。

松岡モトキ:1枚に16曲、80分マックス入れたね。

矢野まき:まだ入れたい曲はいっぱいあったけど(笑)。

──選曲、曲順はご本人によるものですか?

矢野まき:プロデューサー(松岡モトキ)にアドバイスをもらいながら、吐くかもってくらい悩んで(笑)。ベスト盤というと年代順に曲を入れているのが多いけど、バラバラな時代の曲が集まっても流れや必然な順番にすればひとつの物語を作れるはずだと思って、敢えて大変な道を選んじゃったんだけどそうして良かった。

松岡モトキ:ね。

浦田功:大変だった。

矢野まき:でも「大きな翼」と「ポートレイト」の立ち位置は最初から決まってて。

──それは何故ですか?
矢野まき:わかんない。自分の中の必然。ある意味「大きな翼」は自分のファーストなんだよね。それ以前は右も左も分かんない状態で言われたことに応えるのが必死だったから。「大きな翼」で“やりたいことをやってごらん”みたいな空気感に現場が変わって、水を得た魚のように初めてスタジオワークが楽しいって思えた。ファンの人は前作との違いにびっくりしたと思うけど、ある意味、あれが本来の私であって矢野まきの本当のスタートっていうか…だからこれで始まりたかったのかもしれない。この20年、ほんとにいろんなことがあったよ。

──ここからは今作に収録された過去の作品や当時についてお聞きします。1作目『幸せな夜 儚い時間』(1999)からは同タイトルの「幸せな夜 儚い時間」とデビュー曲の「初夏の出来事」が収録されました。

矢野まき:この頃はただ必死だった記憶しかない。初のアルバム制作だったから余裕がなくて関わってくれた人たちの顔やレコーディング風景を断片的にしか記憶できてない悔しさもあるけど、今となってはそれくらい一生懸命だったと笑い話にしたいって思えるけどね。当時は「ピッチ!」としか言われなくてピッチ病になりそうだったけど(笑)、次の亀田(誠治)さんは俺盛り(=自分が今どれだけ盛り上がっているか)を大事にしたいという人だったから、せーので録って、これをOKにしちゃうんだ? っていうくらい荒削りな歌もライブ感もそのまま真空パックするようなやり方ですごい良かった。振り返って今聴いてもこれくらい人間味あるほうがいいと思うし。

──浦田さんは当時の様子をどう見ていましたか?

浦田功:まきちゃんのデビュー当時、日本にはアコースティック・ロックを歌う人がいなかったからその路線がいいんじゃないかとか、他に椎名林檎宇多田ヒカルなどの女性ソロ・アーティストがいたからそことは違うポジションにという狙いがあって、曲はいろんな人に発注して詞は本人という方針で別のディレクターが進行していて。自分としては歌のうまさ、強さ、表現の仕方がずば抜けていると思っていたので、そこを引き出せる曲があったらいいなと思っていましたね。

──その後、「大きな翼」から浦田さんにバトンが渡りました。今作には『そばのかす』から「大きな翼」「君の為に出来る事」「タイムカプセルの丘」「オアシス」「夢を見ていた金魚」とそのカップリングの「THE ROSE」、『たからもの』からは「名前」「アッシュバーン」「魔法」「太陽」が収録されていますね。

浦田功:まきちゃんのキャラは独特で歌詞も面白いワードを使う。その個性ある雰囲気は作り込んじゃうと出ないから、作詞作曲を全部やったほうがいいんじゃないかと。当時社内では亀田さんが椎名林檎をプロデュースしていたけれど何の接点もなくて、当時の亀田さんの事務所にデモを持ってお願いしに行って亀田さんとの制作が始まって、いい歌がたくさんできて『そばのかす』ができた。参加ミュージシャンもすごくてね。

矢野まき:アレンジも「この曲はどんな風にしたい?」って毎回聞かれて、「真夜中の国道」ならイメージは夜のキャバレーでホーンがいっぱい入ってる感じがいいとか、「ネジと愛」はゴリっとしたロックな感じでとか、「青空に浮かぶは白い月」は絶対フルオーケストラでディズニーの世界ですって言うと全部形にしてくれた。あと亀田さんは当時シングルのカップリングはアルバムに入れないというこだわりがあったんだけど、「オネスティ」っていい曲だねって言われることも多いんだよね。

松岡モトキ:それベストに入ってない曲ばっかり。

一同:爆笑

──その後、亀田誠治から寺岡呼人へとプロデューサーが変わりました。
浦田功:ここが難しいところで。評判も良かったし、広がるかなと思っていたけれど「タイムカプセルの丘」でブレイクする方針だったのがなかなかそういかなくて。そこで、歌謡的なアーバンじゃないけど、テイストとしてAOR路線がいいんじゃないかという話になって呼人さんの名前が出て、話が進んで藤井謙二さん(The Birthday)と2人でプロデュースすることになった。それは誰もやっていないことだったし、新しい変化が生まれるんじゃないかという期待もあって。謙二さんのギタリストとしてのカラーやキャラクターはすごいいいなと思っていたし、あたたかいギターを弾く人だから。

矢野まき:すごいあったかい人だからね。謙二さんの書く曲もいい曲が多かったし。

──先日、謙二さんに偶然お会いしたとき、「まきちゃん、新譜出すんだよね!」と仰っていましたよ。

矢野まき:そうなんだ!会いたいなあ。

──今作には3作目『この世界に生きて』から7作目『BIRTH』までの楽曲の中から「大人と子供」「東京タワー」「夜曲」「窓」「地上の光」「ボクの空」「いつか僕が還る場所」「蜜」が収録されました。

矢野まき:『この世界に生きて』が全部できたタイミングでマネージャーが替わったから、制作はドラちゃんも全部いたよね?

──そうですね。私が強烈に覚えているのは「いつか僕が還る場所」のレコーディングでした。

矢野まき:16年飼っていた愛犬が亡くなってその翌日が「いつか僕が還る場所」の歌入れの日で。当時のドラちゃんはスパルタマネージャーだったから、如何なる事情でもスタジオに穴を開けてはならぬという人だったのに、このときばかりは「休んでいいですよ」って言ってくれたんだけど、みんなに迷惑をかけちゃいけないから「いや、休まん」と。でも泣きすぎて、呼人さんも怯むくらいひどい顔でスタジオへ行った(笑)。

──この方の歌唱力は半端ないので、通常であれば数回で歌入れが終わる。ところがこのときは珍しく何度も歌いましたね。

矢野まき:まさにそれを予期したような歌詞だったからね。何回歌っても最後の一行の「長い旅路の果てに いつか僕が還る場所はあなただけ」が歌えなくて。あの日の朝、スタジオで事情を知らないエンジニアの平沼さんが「なんか犬臭いんだよね。ここ、犬ダメだよね?」って言ってるのを聞いて「トムくん、来てくれたんだ!」って頑張れた。それしか考えられないし、そう思いたかったからドアを開ける時もゆっくり開けて待ったりして。帰りの車の中でも寒くて震えていたんだけど、お腹のところだけ急にあったかくなったの。きっとトムくんが心配で、今日一日私のところに居てくれたんだなって思えて心強かったのを覚えている。あのときは珍しく事務所の社長もいてね。

──「こんな壮絶な歌入れはないから絶対見とけよ! こんなの俺は尾崎(豊)ぶりだ」と言われたのは忘れられないですね。

矢野まき:なんでそう思ったんだろうね?

──何か重なるものがあったのではないでしょうか。私はその時代を知りませんが、あの歌入れは凄絶でしたし、アーティストとしてのプロ根性を見せつけられるものでした。「この歌を届けなきゃ」と強く思ったのも束の間に配置替えとなり、大変心残りでした。

矢野まき:その頃から現場の空気が変わったんだよね。このままではいい音楽ができないと思って明るく盛り上げようとしたけど、そういう思いも届かなくて。辛かったな。
▲浦田功

浦田功:「頑張ってる」のを出さないよね。当時は旬な感じというよりは歌い継がれるエバーグリーンな作品を作るという狙いのもとで「夜曲」が生まれた。そこはひとつ完成された世界と思っていたし、支持もされていたからそうした辛さは分からなかったよ。「夜曲」みたいな方向に持って行くということは前作とテイストがかなり違ってくるというのはあったけど、歌の強さはあるし、曲が良ければどんなアレンジしてもまきちゃんの世界は変わらないだろうからバックアップしていこうとやっていたから。

矢野まき:結果が出ないとはいえ、自分の意思とも過去の音源とも違う方向にガラッと変えて周囲が動いたことに戸惑いもあったし、何よりもそれが原因で「矢野まき、迷走してるな」ってファンの人が思っちゃったらどうしようって。だから「さよなら色はブルー」は相当覚悟がいったし、「窓」は私の中で大きすぎる作品になっちゃって歌えない時期もあった。今は感謝してるんだけどね。他にも自分は“個性”だと思っていたものが“癖”と見なされたりして「自分の歌ってなんだろう」って思う出来事もあったし、プロデューサーとのコミュニケーションにも葛藤があった。でも私はこの人たちがいいと思った方向へ全力で行くしかないって、それでやってみようって思っていたから。

──アーティストとしての信念も大事にしたい。けれどチームとして動いている自覚もある。その難しさに加え、どんな歌も歌えてしまうという類い希な歌唱の才能があるせいでより複雑になるのかも。

矢野まき:器用貧乏でしょ(笑)?『BIRTH』の時も制作を中止して入院してたんだ。公にはただの検査入院ってことにしてたんだけど、本当は子宮頸がんの前癌になっちゃって手術してて。当時は病気自体あまり認知されてなかったし、なんとなく公表を控えていたけど、もう10年以上経ってるし、みんなも気をつけて検査してほしいから。

──大変でしたね。

矢野まき:そんなこともあって「窓」は一番命がけで歌ったんだけど、座って歌ったからよく聴くと歌が弱い。それをマスタリングの阿部さんに「でもそれが逆に涙を誘うよね」と言われて怪我の功名だなって、それはそれで必然だったのかなって思った。

──その後から現在に至るまでのプロデューサーである松岡さんとはどんな経緯で出会われたんですか?

矢野まき:当時のディレクターの中山さんがアイディアを出してくれて資料を聴いて。歌の処理がすごく太くて余計なことをしていない、キラキラしてない感じがすごく良くて、この人だったら安心して任せられるかもって第一印象で思ったの。2008年10月の浜離宮のライブに来てくれたときが初対面で、制作に関してコミュニケーションを大事にしながらひとつひとつを丁寧に紡いでいきたい、どうか私の心を聴いて欲しいって伝えて。とにかく話を聞いてくれた。作業は半分カウンセリングみたいだったけどそれが良かった。

──10周年の赤坂BLITZでのライブのときに初めて紹介していただいて。そのときはご結婚されるとは知らず、いいプロデューサーに出会えて良かったなぁと思っていました。

矢野まき:おかげさまでね。そこからセッションしたり、デモを録り直したりして久しぶりに楽しいって思いながら作業できたんだけど、いろいろなことがあって活動休止に入って。事務所を離れて音楽が聴けなくなったときも、起きていると私が自分で音楽を遮断してしまうから寝ている時にすっごい小さく音を流してくれたりしてね。私の世話は大変だったと思う。

松岡モトキ:歌がダメだったからクラシックでね。
▲松岡モトキ

矢野まき:毎日音楽を吹き込んでくれて、気がつくと穏やかな音が流れてた。それがOKになると、ご飯食べてるときに海外のインストものを流して。それも大丈夫になると今度は民族音楽的な歌詞になってない声入りのフュージョン系を流す。それも大丈夫になった頃、車に乗って鼻歌を歌ってたの!「私、歌った!」ってすっごい嬉しくて。そこまで戻るのに4~5年かかったんだ。結婚で活動休止したって思われているかもしれないけど、そんなもんじゃなかったんだよ、本当は。

──松本英子さんとの<紡ぎの夜>で活動を再開されたのは、その後ですか?

矢野まき:そう、あれで完全復活。あのときも英子が目の前で会場を押さえてくれて「やらなきゃダメだよ」って。

松岡モトキ:もうだいぶ戻ってたからね。

矢野まき:あそこで引っ張ってくれたから戻れた。みんなに助けられて。情けないですけど。

松岡モトキ:でも『悲喜こもごも』は体的には手術したりとかもあったけど、精神的には楽しくやれたよね?

矢野まき:楽しかったけど、いっぱいいっぱいだったな。マネージャー、ディレクター、私自身がやることを全部一人でやってたからある意味不健康で、一番集中しなくちゃいけないことにエネルギーを注ぎきれなかった。入院もそうだけど余力がない中でやってたからね。

──話が前後しますが、松岡さんは最初に依頼された時はどう感じていましたか?

松岡モトキ:なぜ自分が選ばれたのかなと思いました。いろいろ話を聞いてみて、今までやってきたこととやりたいことが違うのかなと。事務所からは曲を集めてほしいと言われていたので集めつつ、同時に本人のデモを聴いたらいっぱいいい曲があって。途中でこれは絶対自分で書いたほうがいいと確信してからは一緒に作ったり、自分も書いたりしながら進めました。

──制作に入る前に長くお話しされたとありましたが、そこからどんな矢野まき像が見えましたか?

松岡モトキ:彼女の根っこには内に秘めたロックの精神が宿っていて。だからそこをフックアップしなきゃいけない。それは今も変わらず大事にしようと思っていますし、元々バンドから始まっている人でスピリッツもあるからその辺がうまく伝わるといいなと。ですから、その後の作詞作曲は全て本人です。

──松岡さんとの作品作りは8作目『本音とは愛よ』から現在に至っていますが、今作には「のろいのように」「一歩」「おいで」「本音とは愛よ」「傘もささずに「君のいない朝」「道」「生きること」そして新録の「ポートレイト」が収録されていますね。

松岡モトキ:「傘もささずに」は共作で、僕が書いてぱっと送ったら「サビつけました!」とすぐに戻ってきて「ああ、いいねえ!」という感じで建設的に、普通にできましたね。卓弥くんも言ってくれているけど、まきの歌をもっと届けたいっていう気持ちから今回のコラボが生まれたり、なんとかして矢野まきを人に知ってもらうために頑張ろうと言ってくれる人も業界にはいる。これから先は無理や我慢をせず、自分のやりたいことに納得して進んで行けるようになればいいと思っています。

矢野まき:活動休止中に「これからは自由なんだから、まきちゃんが歌いたいように歌うことが大事なんだよ」とある人に言われて「え?そんなことがあっていいの?」って思ったくらいにおかしくなっちゃってたんだよね。そんなの当たり前のことで、自分が何を歌いたいかってことが大事なのにね。

──フリーになって何か変わりましたか?

矢野まき:今は大変なことも多いけど、いいこともたくさんあるよ。何事にも変えられない自由を得たんだから、自分の意思で動かなければ意味がない。焦るのをやめてもっと自分の心に耳を傾けて、正直に、歌いたいことを自分のやり方で届けたい。若い頃は自分のことを追い込んだりして自分をおざなりにしていたけど、ストレスの出方が段々可愛くなくなってきたから無理はいかんなと。歌い続けたいという思いを大事にして、自分らしく、いい音楽をゆっくりと紡いでいけるように生きていきたいと思っています。

浦田功:そのほうがより個性的になる。これからあと10年、20年と歌い続けてほしいと思います。

矢野まき:もっとライブもやっていきたいし、コンセプト・アルバムや限られたアコースティック編成での制作なんかもやってみたい。どういう方法でいつになるかわからないけど。

──それは楽しみです。最後に今後の予定をお聞かせください。

矢野まき:年末に大阪で、ゲストに広沢タダシ君を迎えてのワンマンがあります。来年2020年1月21日には東京・duo MUSIC EXCHANGEで<20周年YEAR企画 ありがとうのうた>の完結編を久しぶりにバンド編成でやります。ぜひ来てください。

取材・文◎早乙女‘dorami’ゆうこ
撮影◎おぎのわかこ
『矢野まき ALL TIME BEST』矢野まき

2019年7月17日発売
UPCY-7594/5/¥3,630 (税込)
1999年にデビューしたシンガーソングライター「矢野まき」の20周年、初のオールタイム・ベストアルバム
Disc 1
1.大きな翼
2.君の為に出来る事
3.タイムカプセルの丘
4.のろいのように
5.大人と子供
6.名前
7.アッシュバーン
8.一歩
9.THE ROSE
10.東京タワー
11.夜曲
12.おいで
13.幸せな夜 儚い時間
14.魔法
15.本音とは愛よ
16.窓
Disc 2
1.ポートレイト/矢野まきと大橋卓弥(スキマスイッチ)※新曲
2.オアシス
3.地上の光
4.太陽
5.ボクの空
6.傘もささずに
7.初夏の出来事 (Toy Box version) ※新録
8.君のいない朝
9.道
10.いつか僕が還る場所
11.生きること
12.蜜
13.さよなら色はブルー
14.夢を見ていた金魚
15.このまま…
16.WHEN YOU WISH UPON A STAR~星に願いを~


<矢野まき 20周年YEAR企画「ありがとうのうた」第5弾 再びの大阪編>

12月23日(月)Music Club JANUS(大阪)
出演:矢野まき(Vo.)、松岡モトキ(Ag.)
スペシャルゲスト:広沢タダシ
料金:前売り 4000円 / 当日 4500円(+ドリンク代別途)
・イープラス https://eplus.jp/sf/word/0000001312
・JANUS 電話予約 電話 06-6214-7255
・JANUS 店頭販売

<矢野まき 20周年企画「ありがとうの
うた」完結編 東京>

1月21日(火)duo MUSIC EXCHANGE(東京)
出演:矢野まき(Vo.)
サポートメンバー:松岡モトキ(G)、西川進(G)、Sunny(Key)、千ヶ崎学(B)、松原 “マツキチ” 寛(Dr)、宮﨑薫(Cho)
10月26日(土)一般発売開始
・SOGO TOKYO オンラインチケットhttp://w.pia.jp/a/yano-maki/
・チケットぴあ https://w.pia.jp/t/yano-maki-t/ 
電話受付 0570-02-9999
・ローソンチケットhttps://l-tike.com/yanomaki-concert/
Lコード:76727 電話受付 0570-084-003
・イープラス https://eplus.jp/sf/detail/0015770001

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