怒髪天が愛され慕われる理由は
デビュー作『怒髪天』にある
演奏の巧さと歌詞の世界観に注目
ギターソロはどの曲も素晴らしいし、M1「待男-WAITING MAN-」で聴くことができるギターとベースとのユニゾン、さらにはM5「遠くの君から」での軽快なリズムがベースとギターに伝播していくような様子もとてもいいが、最大の聴きどころはバンドアンサンブルの妙味だ。それが最も分かるのはM7「色あせぬ花」であろう。ブルージーなスローナンバー。一発録りだという。つまり、オーバーダビングをしていないということだ。本作の発売は1991年だから、プロの世界でもまだプロトゥールスは使われていなかったであろうから(“Pro Tools I”のリリースが1991年)、基本的には録り放しであろう。そこまで複雑な曲ではないので一発録りも可能だったのだろう…と見る向きもあろうが、テンポ感を考えると、下手なバンドならリズムがダレる恐れも大いにあるので、いたずらにやれるものではない。M7「色あせぬ花」のようなナンバーを一発録りで、しかもアルバムのフィナーレを飾る場所に置いた辺りに、デビュー時の怒髪天の自負をひしひしと感じられるところではある。録音したスタジオの環境が余ほどに良かったのか、ドラムの鳴りも絶妙であって、いいテイクであることも付記しておきたい。今も増子の“兄ィ”としてのキャラクターであったり、35周年を迎えたバンドのヒストリーであったりを中心に語られることもある怒髪天であるが、そもそも演奏の巧みなバンドであることをここで改めて強調しておく。
メロディーを含めて楽曲の全体的な雰囲気は、The Rolling StonesやRCサクセション、憂歌団からの影響が色濃く、さすがに30年近く前の作品であることを認識させられるし、2010年以降に怒髪天を知った人で近作を中心に聴いているリスナーには若干違和感があるかもしれないが、最も隔世の感を抱くのは歌詞ではなかろうか。筆者は彼らの音源を完全に把握しているわけではなく、シングルやアルバムのリード曲をザっと耳にしてきただけなのだが、それでも怒髪天、増子直純の描く歌詞の世界というと、前向きで力強いものといったイメージがある(まぁ、半可通であるからして、その程度のイメージなのかもしれないけど…)。だが、『怒髪天』収録曲の歌詞は以下のようなものである。
《自転車こぎだし またいつもの道を/行けば 行くほど 頭と足が重くなる/まっすぐいこうか まがってしまおうかな/考えるうち 公園についてた》《FREEDOM OR MONEY/THINKING NOW》(M2「1回休み」)。
《夢を追えばはかなく 愛を追えば とどかず/ただここで座り込むだけのオレがいるのサ/SO BAD!/誰もかれも日々に 優しさを語るけど/美しく飾られた刺が 心切り裂いていくのサ/SO BAD!》(M3「It's So Bad」)。
《酔っぱらったオヤジは にごった赤い目で/ほおづえついて 今夜もグチをこぼす/しょせん人生なんてこんなものサと/あきらめ顔でうつむいてねむり込む》《どんなにあせっても いずれは土の中/そんなら気ままに 流れる雲のように》(M4「流れる雲のように」)。
《歩けども また歩けども たどりつけない遠い旅/真夜中に ふと目が覚める これでいいの これでいいの/いくたびも とう たどりつけない遠い旅》《いくつになっても わかっていても フラフラと風に吹かれてる/また 今夜もひとり 泣きながら眠るだけだよ》《あしたになれば また陽はのぼり みたくもないガレキの山で/ありもしない端 さがしつづけ つかれはてるよ》(M7「色あせぬ花」)。
絶望…とまでは言えないものの、決して前向きとは言えない歌詞が多い。《誰にも見せないホントの笑顔で/凍えた心を暖めたいのサ》と歌うM1「待男-WAITING MAN-」であったり、《踏まれても 潰れても 起き上がる 這い上がる/雨だれ だって石に穴あける》と力強いM6「大物-DEKABUTSU-」もあるにはあって、この辺は現在の怒髪天に通じるものがあるが、アルバムの中での占める割合はこの程度だ。だが、これも増子直純というヴォーカリストの本質というか、怒髪天というバンドのスタンスを示すには格好の材料だと思われる。増子が過去こんなふうに語っているインタビューを見つけた。シングル「オトナノススメ」(2009年)をリリースした時のものだ。彼の作風の変化を踏まえると、なかなか味わい深い発言である。
「今、思っていることを曲にする──それが一番ですから。(中略)自分が経験してきたことを踏まえて、やっぱり大人のほうがいいなと。大人になってからのほうが人生って長いんですよ。悲しいかな、青春はすぐに終わるけど、そこから先のほうが長いんです。(中略)大人になるってことは、俺が思ってたことと全然違ってた。昔はさ、それこそシド・ヴィシャスみたいに、“俺は22歳で死ぬからさ”って、当時の彼女に言ったりしてて──そんなの何の根拠もないのに…」。
ミュージシャンに限らず、作品と呼ばれるものを創作する人たちにとって、その行為は自らの人生や哲学を投影するものではあろう。上記の発言からは、増子の歌詞もまたそうであることが分かる。また、素直に自らを投影しているからこそ、『怒髪天』の時と現在とでは作風も変化していることも理解できる。加えて、前述した1996~1999年の活動休止期間に増子が音楽から離れて生活していたことにも思いを馳せると、作風の変化にさらなる奥行きを感じるところではある。即ち、怒髪天とは、そういうバンドなのである。アルバム『怒髪天』はそんな“怒髪天”という大河ドラマの序章である。極めて重要な作品であることは間違いない。
TEXT:帆苅智之