Do As Infinityのヒット作
『DEEP FOREST』に
このユニットの成り立ちと
そのコンセプトを見る
Vo&Guならではの音作り
柔らかでオーガニックな雰囲気のアコギの刻みから入るM1「深い森」。サビ頭のM2「遠くまで」では、その頭のサビ終わりで印象的なギターのリフが聴こえてくる。M3「タダイマ」のサウンドは、そのM1、M2の中庸といったところだろうか。アコギのストロークが歌に並走しながら、ポイントポイントでワイルドなエレキが鳴る。それに続く、ハードロック的なアプローチを強めにしたM4「Get yourself」辺りから、このユニットの本領があらわになっていく。前述の通り、伴はハイトーンを操るタイプのヴォーカリストではないので、所謂ハードロックとはまた違う印象ではあるのだが、ギターリフと歌が交差していく感じは如何にもロックバンドだし、このユニットの表現としては真っ当だ。
M5「翼の計画」もそう。同期を前面に出してリズムにはクラブっぽい音(死語)を導入しているのだが、基本的には伴、大渡のユニットであるのだからバンドサウンドにこだわる必要もない。それで言えば、M6「構造改革」はもっとイッちゃってる。冒頭からシタール&逆回転音と、完全なサイケデリックロック(その部分は、7thシングル「Desire」のカップリング「CARNAVAL」の逆再生らしい)。それからのジャングルビートが展開してホーンセクションも入って、しかも全体にはソリッドなギターが支配するという超カッコ良いナンバーである。何か総力戦を挑んできたような印象で、ユニットであることの利点を最大限に活かしていると思う。オリエンタルな雰囲気のM7「恋妃」は抑制が効いた感じでスタートするものの、Bメロからサウンドがガツンと重くなる、これもハードロック的なアプローチを見せるナンバー。ヴォーカルのテンションも高い(特に間奏明けがいい)。サビメロはキャッチーだがマイナー調で、初めて聴いた18年前には“こんなこともできるのか…”との感想を抱いたものだ。
以降、さわやかなメロディーを持つM9「Hang out」を、M8「Week!」とM10「冒険者たち」という両シングルナンバーに挟む形で収録し、そこからたおやかなスローバラードM11「遠雷」で本作は締め括られる。いい並びだと思う。前半と後半にシングルチューンを配し、本作の中でのロックサウンドの極北とも言えるM6「構造改革」とM7「恋妃」とを中盤に置くことで、大衆的でありつつも、それだけでないことをしっかりと示している。しかも、その“それだけでない”楽曲は全11曲中2曲。全体の20パーセントを切る割合で、決してマニアックな方向性を持ったユニットでないことも明白である(極北とは言ったものの、それはあくまでのこのアルバムの中で…ということは念押ししておく)。そう言えば、当時この辺のことをメンバーに尋ねた時、“チラ見せする程度がちょうどいい”とにこやかに語ってくれたことを思い出した。悪い意味でのエゴがない。その辺も彼女たちを優れた工業製品と言った所以である。
デビュー時にストリートで活動
しかし──ファンならばご存知の通り、ストリートライヴを行なうことでユニットとしての音を固めていく。最終的にはストリートでのパフォーマンスは100本以上にも及んだという。長尾はすでに浜崎あゆみやhitomiらへ楽曲提供していたわけで、今となっては随分と泥臭いやり方を選んだものだとも思うが、それは見事に奏功。彼女たちは“バンドをやりたい”という意思を統一させた。その後、3rdシングル「Oasis」(2000年)からアレンジャーに亀田誠治氏が加わり、所謂ロック色を強めていく(亀田氏はサポートベーシストとしてDo As Infinityにも参加している。『DEEP FOREST』では、特にM10「冒険者たち」のランニングするベースラインが絶品!)。そして、先に述べたように伴の歌も、大渡のギターもしっかりと自己主張していき、表舞台に立たなくなったとは言え長尾にしてもコンポーズや楽器演奏においてその実力を発揮していったのは間違いない。
つまり、Do As Infinityとは誰かひとりが主導権を握るのではなく、そこに携わる人たちが持ち場を堅持することでそのフォルムを描き出したユニットだったと言える。もしかすると、音楽制作に携わった人たちだけでなく、CMタイアップを決めてきたスタッフもDo As Infinityの一要素だったと言っていいのかもしれない。端から大勢の意思を反映させて作品を創作するような方法論。それによって大量生産も可能になったのだろう。デビューから3年間で14枚ものシングルをコンスタントに制作し、それらをことごとくチャート上位に叩き込んでいる。これも立派なことだと思う。以上が彼女たちを指して工業製品のようだと言った理由であるが、往年のソニーの電化製品がそうであったように、あるいは現在のアップルの製品がそうであるように、そのコンセプトが優れていれば、工業製品と言えども実用一辺倒のものではなく、コアなファンを持つ芸術品にも近いものとなる。Do As Infinityも同様であろう。
TEXT:帆苅智之