ポップスとしての黒人音楽を確立した
先駆者、ライオネル・リッチーの『L
IONEL RICHIE』
80年代、マイケル・ジャクソンと並び、新たなポップスを作り上げた立役者がライオネル・リッチーだ。彼はそれまでの黒人アーティストとは違って、ソウルっぽさを前面に押し出さず、むしろ聴きやすいAORサウンドやポップスに特化したことで、全米のみならず世界中でブレイクした大物シンガーである。バラードを歌わせたら右に出るものはおらず、当時大いに流行したディスコのチーク・タイム(これって死語かも…)では、彼の曲ばかりがヘビー・ローテーションで使われていた時期もあるほどだ。今月の27日から、27年振りの来日公演がスタートする。
パンクロックの失速とイギリス勢の台頭
が70年代末に…
ロックという音楽が煮詰まってきた1970年代の中頃、演奏は稚拙でも、まぶしいぐらいのロックスピリットを持ったパンクロッカーたちが、インディーズから続々と登場してくるようになった。しかし、70年代後半になると、彼らの多くが大きなレコード会社に移籍し始め、商業的に成功していくことで、パンクの波は終わりを迎える。それに代わって、ニューウェイブ、テクノ、レゲエ、ワールドミュージックなど、細分化されたさまざまな音楽が脚光を浴びるようになる。80年代に入ると、録音機材のデジタル化や、レコードからCDへの移行など、音楽界の環境はめまぐるしく変化していくという時代であった。
80年代初頭、ポピュラー音楽は、イギリスが中心となりつつあった。ポリス、ジョー・ジャクソン、フィル・コリンズ、デヴィッド・ボウイらのような大物アーティストはもちろん、スペシャルズやセレクター、マッドネスなどのスカ(Wikipedia)バンド、UB40、アスワド、スティール・パルスなどのブリティッシュレゲエやダブ(Wikipedia)のグループ、そして、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ヒューマン・リーグ、カルチャー・クラブなどの、ニューロマンティックスと呼ばれる若手ロックミュージシャンに至るまで、ヒットチャートはほぼイギリス勢によって独占されていた。この頃、アメリカ勢で売れていたのは、ヒューイ・スミスやZZトップぐらいだったように僕は記憶している(これは言いすぎか…)。
80年代は、MTVやヒップホップの登場で
、アメリカが優勢に
アメリカの形勢逆転が始まるのは、81年にMTVがスタートしてからだろう。特に、世界的に大きな影響を与えたのはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のMV(’83)で、この曲を収録したアルバムは全世界で1億枚以上を売上げ、ギネス世界記録を持っている。この結果で、レコード会社はMVの効果をイヤというほど知らされ、ミュージックビデオはますます隆盛を極めていく。
もうひとつの逆転劇は、黒人によるヒップホップ文化が広まったこと。言うまでもなく、ヒップホップは、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティー、DJの4本柱からなる文化であるが、初期はシュガーヒル・ギャングやグランドマスター・フラッシュらの貢献により、80年代初頭、若者たちに大いなる影響を与えた。中でも、アフリカ・バンバータ(Wikipedia)はコンピューターやシンセサイザーを駆使し、テクノやハウスといった最先端の音楽を、この時期に提示しているのだからスゴいのひと言だ。
これらの急激な変化は、新しい文化を追い求める若者と、変化についていけない人たちの2極化をもたらせることになった。これは、現在のパソコンやスマホを使い“こなせる”“こなせない”のと、似た構図であると思う。
マイケル・ジャクソンとライオネル・リ
ッチーの存在
一方、ファンク・グループ“コモドアーズ”に在籍していたライオネル・リッチーは、自身が主導権を握ってリリースしたバラード・ナンバー「イージー」(’77)が大ヒットしたことで、グループはゴリゴリのファンク路線からポップス化へとシフトすることになる。その後、マイケル・ジャクソンやMTVの動向なども参考にして82年にグループを脱退し、本作『ライオネル・リッチー』を発表、ソロ活動を通してポップス路線へ本格的に転身する。
ダンス曲が中心のマイケルと、バラード中心のライオネルは、ポップス界で食い合うこともなく、成功を収め続けることになり、85年にはチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」を共作するなど、互いに認めあう存在として活動していく。
ソウルっぽさとポップさが同居した、ソ
ロ・デビューアルバム
アルバム収録曲
2曲目の「Wandering Stranger」は、彼が最も得意とする切ないバラード。間奏のギターソロをイーグルスのジョー・ウォルシュが担当、弾きすぎることなく、泣きのフレーズをビシッと決めている。
3曲目の「Tell Me」はソウルの香りが感じられる明るい曲調で、シンコペーションの効いたビートが都会的。もろに80年代の音作りで、中年に差し掛かった人なら懐かしいと思うはず。なぜかは不明であるが、バックヴォーカルにテニスプレーヤーのジミー・コナーズが参加している。
4曲目の「My Love」は、彼のキャリアを代表する名曲のひとつで、シングルカットされ大ヒットした。曲自体も彼の歌い方も、カントリー音楽の影響を感じるが、実はこのスタイルこそが彼の持ち味で、新たなポップスを作り上げたと言えるぐらい素晴らしい出来だと思う。カントリー界のスーパースターであるケニー・ロジャース(このアルバムに参加した縁で「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも参加)が、バックヴォーカルで参加している。
次の「Round And Round」は、3曲目の「Tell Me」と似た曲想を持つが、草原でそよ風に当たっているような爽やかな気持ちにさせてくれる。サックスソロがジャジーで秀逸。
6曲目の「Truly」は、これまた激シブのバラードで、全米1位の大ヒットを記録した上グラミー賞まで獲得した、彼の代表曲である。ストリングスが効果的で、白人っぽいサウンドにあえて仕上げているのだが、ひと昔前までは、黒人が白人寄りの音楽を演奏するなんてことは考えられなかったことである。
7曲目はミディアムテンポの「You Are」。これもシングルカットされ大ヒットしている。僕はこのアルバムでの最も素晴らしい成果が、「My Love」とこの曲のような気がするのだが、どうだろう。
そして、最もドラマティックなバラード「You Mean More To Me」と、最後の小品 「Just Put Some Love In Your Heart」で、アルバムは締め括られる。