L→R 苣木寛之(Gu&Vo)、佐々木 周(Dr&Vo)、森山達也(Vo&Gu)、北里晃一(Ba&Vo)

L→R 苣木寛之(Gu&Vo)、佐々木 周(Dr&Vo)、森山達也(Vo&Gu)、北里晃一(Ba&Vo)

素敵な音楽を作って届けるっていう
基本ラインをやっていけていたら
きっと40年、45年を迎えられる

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。記念すべき第一弾ゲストは、THE MODSの森山達也(Vo&Gu)。1981年にデビューし、その1年後の1982年には記録的な集中豪雨に見舞われた“雨の野音”といった伝説を残すなど、数々のドラマを作り上げてきたTHE MODSの始まり、これからについて語ってもらった。さらに、そんなTHE MODSにとっての“Key Person”である元Epic Sony Recordsの丸山茂雄氏にもコメントをもらった。

THE MODS プロフィール

ザ・モッズ:1981年にアルバム『FIGHT R FLIGHT』でメジャーデビュー。以来、時代に流されることなく、音楽に対する真摯な姿勢を貫き、ファンのみならず多くのアーティストたちにも多大な影響を与え続けてきた。技術や理屈だけでは作り出せないバンド然とした強靭なサウンドと、リーダーである森山の類稀なる歌唱力とカリスマ性が最大の魅力である。THE MODS オフィシャルHP

今思えば全部
現実から逃げるための方法だった

森山さんが音楽をやりたいと思ったきっかけから教えてください。

きっかけはThe BeatlesとかThe Rolling Stonesだったと思いますね。同じ部屋にいた兄貴が高校受験をする時、当時福岡でやっていたFENっていうアメリカの基地のラジオを流しながら深夜に勉強していて。俺は中学生だったんだけど、そこで洋楽を自然に聴いていて、“なんかよく分からないけどカッコ良いな”って。でも、その時は自分もギターを持ちたいとか、そういう感じではなかったんですよ。昔はレコード…LP盤を袋とかに入れずに裸のままで学校に持って行くような時代だったんだけど、俺のクラスに音楽に詳しい奴がいて、The Beatlesを借りたりしてましたね。そのうち兄貴と相談して小さなステレオを買って、それから自分でもレコードを買い始めたのね。そうなると、次はバンドを作りたくなって。ドラムを持っている奴がいたから、そいつとバンドをやろうと思ったけど、俺はギターを持ってなくて。まぁ、友達からギターを借りることはできたんだけど、コードを覚えるのが大変だったね。当時のアイドル雑誌に歌本っていうのが付いていて、そこに載っていたコード譜がすごく勉強になったんですよ。歌謡曲だったけど、仕方ないよね(笑)。でも、それで覚えて、自分の好きな音楽を聴いてコードを探していろいろコピーしました。それが高校1年生くらいかな。ここからだね、ちょっと真面目にロックに入っていったのは。

バンドを始めた時、何か目標はありましたか?

“カッコ良い”ってだけでしたね。よく言う、女の子にモテたいとかそういうこともあったし(笑)。俺は大学に行く気もなくて、かと言って働くのも嫌で。働くとしても、ジーパンでいい仕事と思ってたんだよ。要するにスーツを着たくなかったわけ。漠然とそう思ってただけなんだけど、“よく考えりゃ、ミュージシャンってそれじゃん”って。それで“ミュージシャンになろう!”というくらいの気持ちだったね。プロになるなんて思ってないから、その時点では(笑)。

そこから本格的に音楽活動を始めたのは?

みんなが進学したり、就職したり、大人への一歩目を踏み出してるんだけど、その時の俺は全然やる気がなくて東京に家出したんですよね。ミュージシャンになろうと思って…その時はドラマーだったんだけどね(笑)。中学校3年生で何も分からず、結局そのまま駄目になって福岡に戻って、高校に行って。で、ブラブラしながらバンドを遊びみたいにやっていたかな。福岡に照和っていうライヴハウスがあってね。そこからプロになった人たちが多かったんだけど、顔見知りの先輩がいたから観に行ってみたら大人の世界を感じたんですよね。“ものまね程度じゃ駄目だ、本気でやらないと”って思わされたというか。それで、当時同級生だった浅田 孟(ex.シーナ&ロケッツ)とふたりでバンドを作って、照和のオーディションにも受かって…その頃から、いわゆるセミプロっていう活動をやり始めたのね。でも、今思えば全部現実から逃げるための方法だったかな。

当時は“めんたいロック”というムーブメントができるくらい、地元の福岡でバンドをやっている人は多かったようですが。

当時の東京のことはよく分かっていないけど、博多は多かったかもね。照和からもだけど、プロになった人がすごい多かった。だから、誰かがプロになると“博多ってひょっとしたらもっと面白い奴がいるんじゃないか?”って東京の人たちがこっちに向くわけ。ザ・ロッカーズもザ・ルースターズもデビューして、俺たちは最後のほうでしたけどね。個人的には博多に住んだままやりたいっていうのがあったから、なるべく東京に行かないようにしたかったんだけど、今と状況は違うから結局東京に行かないとどうしようもなかった。それで上京したから、デビューの時の俺は25歳なんだよね。よく考えたら、もう若くなかった。そこまで粘ってしまったというか。

OKMusic編集部

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