【かねやん的アニラジの作り方】第2
回 Vステ夏の陣・冬の陣

 1994年の秋、感動的な國府田マリ子さんのライブイベントを見た私は早速この番組で何かできないかと考えるようになりました。またその一方で、今アニラジと呼ばれる番組もこの時期増加をはじめます。1994年秋、プレイステーション・セガサターンといったゲーム機が発売になります。これらのゲーム機がこれまでのそれと大きく違うのはゲーム機に「歌」や「声」が入るようになったこと。これにより、ゲームミュージックへの関心が高まり、またゲームのキャラクターに声をあてる声優の需要が拡大していきました。そして、「歌」「声」はラジオ媒体にとって相性がよく、ゲームやアニメのプロモーション媒体として「ラジオ」が注目されるようになりました。1995年には三重野瞳さん、岩田光央さん、宮村優子さんといったのちに「Vステ」の看板となるパーソナリティがはじめて登場します。番組を愛するリスナー、それを応援するスポンサーがそろいはじめてきました。
 しかし、もともとアニメやゲームに何の関心もない僕にとってどこから手をつけたらいいかわかりません。さらに会社に入って数年の若手社員だった私にはラジオに何ができるかよくわかっていませんでした。僕は報道出身だったので「生放送」が正しい、「生放送」がすべてと思っていました。だから番組を「生放送」でできないかと考えたのです。当時「國府田マリ子のGAME MUSEUM」のディレクターだった佐藤卓矢さんに相談したところ「面白い」と言ってくれ、さらに「GM」の次の番組だった「椎名へきるのへきらーず☆Radio」の担当も佐藤さんだったため、合同生放送にしようということになり、ラジオの聴取率調査の日にあたる1995年6月の日曜日の夜、ニッポン放送のスタジオを借りて大阪に向け、30分の「GM」、30分の「へきラジ」を途中リレーしながら生放送したのです。今考えるとたわいもない生放送だったのですが、スポンサーも、それにかかわる広告代理店も声優の事務所も違う2番組を同じ日にスケジュールし同じ場所から放送するのは大変で、「片一方の番組で片一方の声優がしゃべっているときに放送事故がおきたらどちらの責任か」とか「片一方の番組をスポンサーしてるのにその番組に別の声優がしゃべるんだったらその分の提供料を返してほしい」など、今なら「まーまー、いやいやいや」とごまかすところですが、ひとつひとつ関係者を説得して解決していきました。僕にはある仮説がありました。今もアニラジってそうなんですが、國府田さんのファンは「GM」を聞き、へきるさんのファンは「へきラジ」を聴く。双方の番組は聴かない。せっかく放送時間を続けて編成してるのに、リスナーがガラッと入れ替わる。もし双方のリスナーが双方の番組を聴いてくれたら聴取率は倍になるという仮説です。結果、聴取率は倍増。僕は自信をもちました。その自信が、のちに10年以上にわたり「Vステ」の名物企画として成長する番組リレー生放送企画「Vステ夏の陣、冬の陣」へとつながっていきます。
 報道記者を目指し、志半ばで営業に転じた僕にとって夏の陣、冬の陣は報道メソッドを存分に盛り込んでいきました。岩田光央さんが東京から大阪までスーパーカブに乗って移動する企画はまさにマラソン中継だし、深夜にリスナーの家から生中継はニュースレポートだし、2003年の「全国1000万人のアニラジファンが選ぶアニラジ選抜」は開票速報でした。
 夏の陣、冬の陣は企画としてどんどん大きくなっていきましたし、番組数も春秋の改編ごとに増えていきました。僕も30歳、「世の中何でもやりたい放題」と猪突猛進なころでした。また世の中的にもお笑い芸人さんがニュースキャスターをやったり、アイドルがバラエティ番組に進出したりしはじめ、声優が生放送に出演したり、カウントダウンのイベントに出演することに対して抵抗がなくなりつつある頃でした。2001年、新たなチャレンジをします。声優が実写で出演する映画「Vステ・ザ・ムービー EAT&RUN」です。この企画は宮村優子・愛河里佳子の「ゆる蔵、うれしいね」で「ラジオらしくない大それた企画」を企画、資金集めからキャスティング、撮影、上映にいたるまでを番組で追っていきました。
 総予算は1000万円。ラジオ的にはべらぼうな予算。どうやって資金を集めるか。考え出したのが「男気チケット」でした。公開日未定、公開場所未定の映画のチケット、映画のパンフ付(但し上映会にこなければ無効)、映画のエンドロールに名前を載せますで5000円。「公開日、場所未定の映画のチケット売るって詐欺じゃないの?」と散々言われましたが、僕はラジオのリスナーを信じました。公開前年の2001年の大みそか、生駒山頂で行われたカウントダウンイベントで、僕と握手した人だけにこのチケットを販売することにしたのです。つまりリスナーも共同事業者として、客ではなくスタッフサイドに引き込むことにしたのです。この元祖クラウドファンディング「男気チケット」は5000円で500枚を販売。僕はますますラジオの持つコミュニケーション力の強さに引き込まれていきます。映画は2002年夏無事公開。勿論、男気リスナーたちから詐欺で訴えられることはありませんでした(ただ映画のエンドロールの名前が間違えてるというクレームはありました。すいません)。
 順風満帆に船出した21世紀の僕とVステでしたが、2003年ごろから暗雲がたちこめます。インターネットの出現です。

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