撮影:稲澤 朝博

撮影:稲澤 朝博

安田顕「うちの母親は…」映画『母を
亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思
った。』インタビュー

映画『銀魂』(17)、『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(18)、『愛しのアイリーン』(18)、ドラマ「下町ロケット」(15・18)などの話題作に次々に出演し、多彩な役どころで観る者を魅了し続けている安田顕。そんな彼が、宮川サトシの自伝的エッセイ漫画を映画化した最新主演作『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』の撮影秘話や本作に込めた想いなどを語ってくれました。

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は、心が優しいが故に頼りないところがある塾の講師・サトシが、末期ガンを宣告された母親のために奔走する姿を妻や父と兄のエピソードを交えながら描き、さらに母を失った父子の姿を丹念に映し出す感動のトゥルーストーリー。
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『さよなら渓谷』(13)、『日日是好日』(18)などの大森立嗣監督が自らの脚本でメガホンをとった本作は、どうやら、主人公のサトシを演じた安田顕にとっても思い入れの深い作品になったよう。
そのあたりの素直な気持ちやご自身のお母さんに対する想いなどを、撮影を振り返りながらたっぷり話してくれました。
悲しい出来事が描かれているのにすごくユーモアに溢れた作品――『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』の出演のオファーを受けたときに感じた作品のイメージを、原作の感想と一緒に教えてください。
親の死は誰にでも必ず訪れますが、宮川サトシさんが絵と言葉で綴られた原作の自伝エッセイ漫画はその視点が独特で。
悲しい出来事が描かれているのにすごくユーモアに溢れていて、起こることに対する視点が面白いからクスッと笑える。
それでいて、そこには人の気持ちの真実があるので涙腺がジワッと緩むんですよね。とても素敵な作品だと思いました。
――その作品の主演で、実在されている方を演じられたわけですけど、そこに対してのプレッシャーはなかったですか?
それはないですね。原作が素晴らしかったですし、純粋に心を打たれたので、責任を持ってやろうという覚悟だけはきっちり持たせていただきましたけど。
プレッシャーを感じていたとしたら、これをちゃんと作品として残さなきゃいけないという、そっちに対してのものだったような気がします。
――撮影に入る前に宮川さんにもお会いになったんですか?
会ってないです。撮影に入ってから、現場ではお会いしましたけどね。
――では、サトシのキャラクターは脚本と原作から作られたわけですね。
そうですね。オファーをいただいてから原作を拝読して、素晴らしい内容でしたし、主演のお話なんてそうそうないですから「ぜひ、やらせてください」とまず言いました。
その後、大森立嗣監督と一献を傾けて、大森さんが書かれた脚本を読ませていただいたという流れです。
サトシを演じるときにいちばん大切にしたこと――安田さんが最初に言われたように、悲しい出来事を描いているのにユーモアやほのぼのしたところがあって、サトシの言動にクスッと笑ってしまうような瞬間もたくさんありました。
サトシを演じるときにいちばん大切にしたことは何ですか?
大事にしたのは、この作品ならではの空気や世界観。それしかなかったです。要するに、ここでこう見せてやりたいという、役者のエゴみたいなものはまったくなくて。
確か、撮影の初日にみなさんでお食事をしたのかな~。僕は『愛しのアイリーン』の夏のシーンの撮影を終えた1週間後ぐらいに現場に入ったんですけど、その4日前に撮影を始めていた母親役の倍賞美津子さんや監督とお酒を飲みながら話したのは「内容も内容だから、柔らかくて温かい現場にしたい」ということでした。
なので、何を大事にしたか?って聞かれたときの答えは、そこですね。とにかく穏やかに過ごすことを心がけました。
――映画を拝見して母親と息子の関係性や距離感が本当に素晴らしいなと思ったんですけど、倍賞さんとのお芝居ではどんなことが印象に残っています?
倍賞さんは本当に素敵な方です。これを撮影したのは一昨年の8月ですけど、全部撮り終わった後の打ち上げのときに電話番号を交換して、インタビューでは紹介できないようなプライベートの話もいっぱいしたんですよ(笑)。
そしたらね、一昨年の12月29日だったかな? 留守電に「お世話になりました。ま~たね~」という倍賞さんのメッセージが入っていて。
当たり前のことかもしれないけれど、わざわざ年末の挨拶をそんな風にくださるところが素敵だな~と思うし、撮影の待ち時間に父親役の石橋蓮司さんとお話しされているときの佇まいも魅力的で。
話す内容は何てことないんですけど、突然、「あれ、見て」ってチュッチュチュッチュしているつがいの鳥を指さしたり、車で走っているときも「曼殊沙華、曼殊沙華が咲いている」って急に言われたりするんですよ。
要するに、後ろに目がついているのかなって思うぐらい、いろいろなものが見えているし、興味を持たれるものが素敵なんです。
それに、ドラマの「下町ロケット」のときは阿部寛さんのお母さんの役をやられていたので、僕は現場では全然会わなかったんですけど、緑山スタジオですれ違った瞬間には声をかけてくださいましたし、11月の末に「お誕生日、おめでとうございました」というメールを送ったら「ありがとね、わざわざメッセージをくれて」という返信をくれて。
倍賞さんの誕生日は「今日、11月22日の“いい夫婦の日”は倍賞美津子さんのお誕生日です」と書かれたこの作品のツイッターで知ったんですけど、実はうちの母親と一緒の誕生日だったんです(笑)。
――そのことを知らずに撮影されていたんですか?
知りませんでした。女性は同性や自分の母親にマメに「誕生日、おめでとう」って連絡したり、プレゼントを上げたりするし、母親に同性として相談したりするけれど、男は女性の誕生日に無頓着だし、母親の誕生日も忘れたりするのよ(笑)。
それでいて、男は母親は絶対的な味方という考え方を無意識にしているから、心から甘えられるし、愚痴も言う。そういうところが間違いなくあると思うので、僕はまだ失っていないけれど、母親を失ったときの喪失感はとんでもないものだと思います。
この作品は観点がやっぱり温かい――その部分は自然に共感できたわけですね。
うん。なかなか否定のしようのないテーマですものね。それに話が戻っちゃうけと、この作品は観点がやっぱり温かい。
原作や大森さんの脚本、倍賞さん演じる母親や石橋さんが扮した父親、ロケをした岐阜の大垣の風景のすべてに“温かさ”が漂っている感じがします。
――タイトルはけっこうインパクトがありますけどね。
そうですね。でも、「遺骨」って遺した骨でしょ。遺してくれたものでしょ。食べて何が悪いの?って話ですよ。
ただ、「遺骨を食べたいと“思った。”」ですからね。「僕は遺骨を食べた。」というタイトルじゃないから(笑)。「君の膵臓をたべたい」も「たべたいと思った」ってことだし、あれと同じです。
――劇中には感動的なシーンや涙、涙のシーンもたくさんありますが、演じながら心が揺れるようなことはなかったですか?
倍賞さんや石橋さん、サトシの恋人の真里を演じた松下奈緒さん、兄・祐一役の村上淳さんと話しているときのバイブレーションがあるじゃないですか。
それを監督もすごく大事にされていて。しかも、監督はモニターを見ない。カメラの横にいつもいて、芝居しか見ない。
その瞬間、そこにいる人たちが自分の目にどう映るのかしか見ないんですよ。本当に素敵な人です。
――写真の整理をしている母親にサトシが「なんで、そんな後ろ向きのことばかりやるんだよ」って怒るシーンがありましたが、例えば、あの撮影はどんな感じだったのでしょう?
あれはスケジュール的に撮影の最初の方だったと思います。ただ、昔、ある役者の先輩に「演じるときは3つのことを考えなさい。その3つがあったら芝居がブレないから」って言われたことがあるんですけど、その3つの要素「泣き虫」「お調子者」「甘えん坊」がすでに脚本に書いてありましたからね。
なので、きっかけになるセリフが現場でなくなっても“いける!”と思えたし、それこそ、あそこは“ボロボロ泣く”なんてト書きにはなかったけど、いまの3つの条件が揃った男だったら、そうなるだろうなという確信があって。
僕には実体験はないですけど、倍賞さんは倍賞さんでご自身の経験や技術で写真を拾い上げるお芝居をされていたし、サトシは死期が近い母親をたぶん受け入れられないだろうな~って素直に思えたので、そのまますんなり涙がこぼれました。
でも反対に、「涙がこぼれる」というト書きがあるのに涙が出ないときがあって。それで仕方なく目薬を点すことを提案したら、監督に「いいの、いいの。心が泣いてれば」って言われました。本当に素敵な人ですよ。
いちばん心が揺らいだシーン
いちばん心が揺らいだのが湖のシーン――サトシとお父さん、お兄ちゃんの3人のシーンもすごく素敵で味わい深いものがありましたが、あの一連の撮影で印象に残っていることは?
脚本を読んだときに、いちばん心が揺らいだのがあの3人の湖のシーンでした。
監督とも「大事なのは遺された人たちなんじゃないか? その人たちがどう再生していくのか? どう成長していくのか? そこなんだよ! 母親が亡くなった後なんだ!」っていう話をしましたね。
でなきゃ、受け継ぎ、伝えていくこの作品のテーマを描いたことにならないし、それだけにあの琵琶湖の一連はすごくいいシーンだなと思った記憶があります。
そしたら、撮影が進んでいくうちに、倍賞さんが「ね~監督~、あの湖のシーンあるじゃない。あそこはみんなスッポンポンがいいんじゃないの?」って言い出して(笑)。
――倍賞さんからの提案だったんですね(笑)。
そう。で、「蓮司さんもですか?」って聞いたら、「そうそうそう。脱いじゃいなさいよ。素敵じゃない」って。
でも、考えてみたら、母のいない世界でスッポンポンになった三人[NW(航1] の男が湖の中に入って胎児みたいな格好をするわけですよね。
その光景が単純に面白いし、それを母ちゃんが空から見ていたら素敵だな~と思えて。なので、監督に相談されたときも僕は迷わず「やりましょう」と言って、スッポンポンになったんですけど、その方が笑って泣けるし、自分の演技じゃ全然泣かないけど、僕は実際、天国に逝ったお母さんがお父さんのシャツのボタンを外してあげるあの手つきやそのときの「お父さんも泳いでらっしゃい」のひと言が大好きで、思い出すといまでも涙が出るぐらい、いちばん泣けるんです。
言葉はすごく少ないんだけど、その関係性がはっきり伝わるし、あっ、これが役者さんの仕事なんだって思ったんです。ただ、ボタンを外してあげて「泳いでらっしゃい」って言う。
それだけでもう……思い出すだけでグッと来ちゃいます。
倍賞さんが本当に素敵でした――倍賞さんが本当に素敵でした。
でも、倍賞さんは実は高所恐怖症で。高台から親子3人が夜になるまで街を見おろして会話するシーンを撮影するときも直前まで「怖い、怖い」ってずっと仰っていたんです。
なのに、「はい。回します、本番」って言ったら、バーと走っていって、せり出したいちばん怖いところに立たれたんですよ。その倍賞さんの覚悟はスゴかったですね。
でも、あのシーンでもお母ちゃんはサトシに対してはすっごく喋るのに、お父さんには「ありがとう」のひと言ですよ。「お父さん、ありがとう」って、ただそれだけ。
で、そのとき黙って聞いていたお父ちゃんもお母ちゃんが亡くなったときは逆に足をたださすっているだけなんです。だけど、それで十分、夫婦の関係が分かるんですよね。
――全編に流れる安田さんのナレーションも、観ている私たちの世界との距離感をいい意味で感じることができて、すごく印象的だったんですけど、ナレーションを録られたときは、演じられていたときとはまた違う距離感で作品を見つめられていたのでしょうか?
ナレーションはクランクアップの日にまとめて録ったものをほとんど使っていると思うんですけど、僕、監督に「サトシが母ちゃんに『ありがとう。さよなら、愛してる』って言うお別れのシーンかどこかで「『ごめんなさい』というひと言を入れたい」ってお願したんですよ。
失ってしばらく経ったらその想いはなくなるかもしれないし、人が亡くなるのは致し方ないこと。ただ、覚悟して看取っていても、介護疲れもあるだろうし、疲れて何もしてあげられないときに“ごめんなさい”って思うこともあるような気がしたの。
だから、その「ごめんなさい」というひと言を入れたいな~と思って監督に相談したら、「ナレーションで入れましょう」と言っていただいて入れることができたんです。
――安田さんの気持ちがすごく伝わってきました。
実は知り合いのある方が親御さんをガンで亡くされて、その人と撮影中に電話で話をしていたら彼女が「私ね、“ごめんなさい”って思ったの」って言われて。
そのときに“あっ、そういう感情もあるんだ”ということに気づいたんです。
――そういった安田さんが実際に聞かれたことや経験されたことも作品に反映されているんですね。
そうですね。それこそ、母ちゃんを病院で看取るシーンの撮影のときも、お医者さんを演じられる役者さんとは初顔合わせだし、なんかしっくりこない、しっくりこないと思っていて、テストのときからずっと、このお医者さんとの関係をどう処理すればいいんだ?って考えていたんです。
で、そのときに思い出したのが、ウチの父親が胃ガンの手術をしたときのことで。僕はまだ30代だったんですけど、ストレッチャーで運ばれていく親父を見ながら、自分でもワケの分からない涙が出てきてね。
でも、ああいうときは、手術に向かう先生に対して全面的に“おねがいします”という気持ちになるんですよ。自分じゃどうすることもできないから。
ウチの親父の胃を切ってくれるのはその人しかいないから、ストレッチャーに乗った親父を見ながら、涙が出るぐらい“お願いします”って思ったのね。
そのときのことを、あの病院のシーンでは思い出して、お医者さん役の役者さんはそこにいただけなんだけど、ずっとそばにいてくれたのはあの町の病院のお医者さんだったんだよな~と思った瞬間、自然とああいう芝居になっちゃったのね。
でもそれぐらい、セリフのないあのシーンでお医者さんとの関係を成立させたかったんです。
安田顕、実母との思い出
男子にとって母親は絶対的な味方――先ほど「男子にとって母親は絶対的な味方」って言われていましたし、安田さんが昨年の12月8日の誕生日のとき、ツイッターに「産んでくれて、ありがとう」というお母さんへのメッセージを書かれていたのも拝見したんですけど、今回のサトシ役を演じたことでお母さんとの接し方が変わったりしましたか?
前にも取材で「撮影中、自分の実体験や親のこと思い出しましたか?」って聞かれたときがあったんですけど、不思議とまったくなかったんですよ。
全然思い出せなかったの。もう、作品のことしか考えていなかったんですよね。でも、この作品は観た後にいろいろ自分の親のことを思い出したし、観て教えられたこともあって。
ウチの母親は毎年「誕生日、おめでとう。身体に気をつけて頑張ってください」と書いた手紙を送ってくれるんですけど、去年の手紙には「身体に気をつけて、私を楽しませてください」と書いてあったんですよ。
そのときもいろいろと思うことがあったけれど、正直、母ちゃん、年とったな~と思ったので、これまで以上に大事にしたいな~とは思いました。
――お母さんとは仲はいいんですか?
悪くないですよ。でも、あまり話さないですね。兄貴の方が話すんじゃないかな。
兄貴は北海道で頑張ってくれていて、親のことは兄貴がやってくれているんです。ただ、僕も「北海道室蘭市本町一丁目四十六番地」という本を書いたときに、自分が産まれる前のことや父と結婚する前の話は母から聞きました。
――本を書くような機会があると、いろいろ聞けていいですね。
そうですね。あの~本人は否定するんだけど、ウチの母はカレーの鍋をこぼした瞬間に「私じゃない」って言うような人です(笑)。僕が母のことでいちばん覚えているのはそれですね。
――自分がこぼしたのに?(笑)
こぼれた瞬間に「私じゃない!」って言っちゃう(笑)。
でも、それが僕にとってはすごく好きな母の尊敬できる一面で。
どう産まれて、どう育って、父と出会ってという話を聞いたときに、その言葉がすぐ出てくる母のことがすごく分かったんです。決して泣かない人だし、泣いているのをあまり見たことがない人でしたしね。
実母との思い出――その血をちゃんと受け継がれているわけですね。
どうですかね。この映画ではいっぱい泣いてますけど(笑)。
母は北海道の夕張で産まれて、小学校まではずっと夕張の商店の娘だったのね。
なんだけど、夕張の炭鉱がダメになったら、すべて貸し付けでやっていたからお金を返しきれなくなって、お店が潰れちゃったんですよ。しかも、私の母の婆ちゃんと爺ちゃんが離婚してお金がまったくなくなっちゃったから、母は中学校にはほとんど行けてなくて、中学3年のときには弟と妹の面倒を見ながら新聞配達をやっていたんですね。
でも、田舎は優しいところがある反面、家庭の事情なんかも町中に知れ渡ったりするので、母が地元で就職しようとしたときも「おたく、母子家庭でしょ。
母子家庭の子はお金がないので盗みを働くかもしれない。だから、あんたは働かせられない」って言われたみたいで。
母はそれがいちばん悔しかったことらしいですよ。それで夕張を出て室蘭に来て、父と出会って結婚するんですけど、「いちばん悔しかったことは何?」って言ったときに、その話をしたぐらいですから。でも「いちばん嬉しかったことは何だ?」って聞いたら、「あんたと兄ちゃんを産んだことだ」って言ってくれたんです。
――嬉しいですね。
そうですね(笑)。そんな母ですね。だから、カレーの鍋をこぼした瞬間に「私じゃない!」っていう言葉があの人の人生、あの人を作ってきたものを表しているような気がしたし、すごく尊敬できるいい母だな~と思います。
――一緒に何かしたことで、このお母さんの子供でよかったなと思ったことはあります?
僕、中学校3年の高校受験のときに、いまから考えたらストレスだったと思うんですけど、お腹が痛くてお腹が痛くて、どうしようもないときがあったんですよ。
それで夜中に救急病院に行って浣腸してもらったんですけど、それでも痛みが全然治まらないわけ。だから、15歳なので恥ずかしかったけど、帰宅後、2階の自分の部屋から1階で寝ている母親のところに行ってもう一度「痛い」って言ったんです。
そしたら、「おいで」と言って添い寝をしてくれて、その間ずっと後ろからお腹に手をあててくれて、そのおかげで眠ることができたし、朝になったら痛みがとれていたんです。
ああ、手当てってこれか?って思いましたよね。いまの質問で思い出すことはそのときのことですね。あっ、この人が母親で、だから僕は産まれたんだ。だから、母の手で僕の痛みはひいたんだな~という実感がありましたからね。
――最後に。劇中にサトシや塾生たちがそれぞれ自分の家のカレーを自慢するシーンがありましたが、あんな風に自慢したいお母さんの料理はなんですか?
飯寿司ですね。北海道の人はそれを自宅で作るんです。
母も鮭の飯寿司を毎冬作って送ってくれるんですけど、とても美味しいんですよ。いちばん好きです。でも、「今年で最後かもね」って言ってました。ちょっと寂しいですけど、作るのは大変だから仕方がないですね。

キャラクターを作り上げていく過程やそのシーンに込めた想いとこだわり、撮影中の貴重なエピソード、自身のお母さんのことまで熱く、時折ユーモアを交えて話してくれた安田顕さん。
そのコロコロ変わる表情やフレンドリーな物腰が、演じられたサトシと重なって見えたのが印象的でした。映画を観て、そんな彼のリアルなエモーションを全身で感じてみてください。

ウレぴあ総研

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