特別展『日本を変えた千の技術博』レ
ポート 科学・技術遺産を含む600点
超が大集合!

東京・上野の国立科学博物館で、特別展 明治150年記念『日本を変えた千の技術博』が開催中だ。私たちの生活をガラリと変えた様々な科学技術を一堂に紹介する本展。鎖国が解かれ、西洋技術が浸透していく中で開花していった日本の科学や技術の歩みをたどることができる。展示総数600点超、全8章からなる見ごたえたっぷりの展覧会から、その見どころを紹介する。
江戸から明治へ、様々な分野で起きた変化
展示冒頭では、明治時代にいかに科学という学問が広まっていったのかを紹介。小学校でも博物図などが授業に取り入れられ、学者だけでなく、一般の人々が科学の基礎を学ぶようになっていった様子がうかがい知れる。
「小学用博物図」1876(明治9)年、国立科学博物館所蔵

教育錦絵『単純器械』 出版年不詳、国立科学博物館所蔵
江戸時代から明治時代にかけては、医療や移動手段など生活における様々なことが劇的に変化していったが、人々の生活に大きく影響したもののひとつが「ものさしの変化」だろう。展示では、時間や長さ、重さの単位がどのように変化したのかを解説。いまや、メートルやキログラムといった単位を当たり前のように使っているが、その単位の基準となったモノがあったということには驚かされる。

右:「メートル原器の運搬容器」左:「キログラム原器の運搬容器」ともに1890(明治23)年、産業技術総合研究所所蔵。当時、フランスから原器を運ぶ際に使用された容器。高い気密性と耐水圧性があり、運搬時に船が沈んでも回収できるようになっている
また、明治150年を記念して、国立科学博物館所蔵の明治天皇やエジソンゆかりの品も特別公開。中でも、関東大震災で被災した同館に宮内省から下賜された蓄音機は必見だ。これは、エジソンが明治天皇に献上したもので、蓄音機には「発明家 トーマスA.エジソンから天皇陛下へ、敬意を表して」と記されたプレートがついている。
「エジソン クラスM蓄音機」1890年(明治23)年ごろ、国立科学博物館所蔵。エジソンによる初期の商用蓄音機の一つで、吹き込みと消去が可能
日本人科学者の活躍
明治後半になると、日本人科学者による世界的発明も出てきた。例えば、電子工学者の古賀逸策が生み出した水晶振動子は、時計の基礎技術になるもの。また、テレビや携帯電話、パソコンなど数々の電子機器に使われている「フェライト」という磁気材料は、電気化学者の加藤与五郎と武井武による発明だ。こうした先人たちの功績の数々によって、現代の私たちの生活が支えられていることを改めて思い知らされる。
実は、私たちの身のまわりは水晶とフェライトであふれている
日々の暮らしを大きく変えた電気
いまや私たちの生活になくてはならない電気が登場したのも明治時代。電気をエネルギーとして初めて使用したのは明かりだった。行灯や石油ランプからガス灯、電灯へという明かりの移り変わりは、夜間の外出や労働などを促し、人々の生活時間を大きく変えた。
行灯(左)とランプ
ガス灯(左)と開放型アーク灯(右)
さらに、大正時代に入ると、様々な生活道具が電化されていく。電線に電気を通すと熱を帯び、発電機を逆につなぐとモーターとなり動力を生めることから、アイロンやヒーター、扇風機などの製品が考案され、商品化された。扇風機にいたっては、1922(大正11)年頃からアジアの国々にも輸出されるようになったという。
また、大正から昭和にかけて起きた「生活改善」という運動も家電の普及を加速させた。これは、生活を合理化しようという官民挙げての運動で、時間の遵守や衛生的生活、家電製品の利用が推奨された。
生活改善ポスター「冷凍利用の恩恵 其一」 1919(大正8)年、国立科学博物館所蔵
日本の産業を後押しした技術の数々
18世紀後半になると、イギリスの産業革命によって蒸気機関による動力がもたらされ、日本でも様々な産業で機械化が進み、発展していった。
自動車や鉄道、航空機などの乗り物別にそれぞれの進化の過程を物語る資料が並ぶ中で、目を引くのが約100年前の電気自動車だ。
左:Milburn(ミルバーン)電気自動車 1920(大正9)年ごろ、国立科学博物館所蔵  右:マツダ コスモスポーツ 1967(昭和42)年、国立科学博物館所蔵
T型フォードが登場する以前、1900年頃のアメリカでは、電気自動車が3割程度を占めていたとのこと。それが世紀を超え、バッテリーや半導体技術の進歩によって、いま再び、電気自動車の時代となりつつあるのは感慨深い。
日本の近代化を支えた鉄や石炭に関する資料も展示
一方、新たな素材を生み出す化学工業もさかんになり、窒素から化学肥料を作ったりするアンモニア合成や、石油などから合成樹脂や合成繊維の生産ができるようになった。注目は、一時は日本が世界一の生産量を誇ったというセルロイド。最盛期の1930年頃には、歯ブラシや玩具など、およそ2万5000種ものセルロイド製品が生産されていたという。
セルロイド製品にはこんなグリーティングカードも。セルロイドの発色のよさを生かしたものだ
猛スピードで進化したコミュニケーション手段
20世紀の大きな革新といえば、電気・情報通信技術だ。無線通信にはじまり、ラジオや電話、テレビ、そして、コンピューター。私たちが生きている中で、その発展や進化のスピードを感じる最たるものではないだろうか。
特に身近なもので、大きく姿形を変えたのは電話だろう。最初はアメリカ製に倣ってつくられた電話機も少しずつ日本人に合わせた形へと変化。携帯電話へと進化していく変遷は、中年以上の年代にとってはまだまだ記憶に新しい。
左がアメリカ製に倣った初期の電話。右の電話では、受話器部分が日本人の顔に合わせられた形になっている
中には、日本人による発明であるにも関わらず、当初日本では評価されずに、逆輸入的に認められたものも。テレビなどの受信に使われる指向性短波アンテナ「八木・宇田アンテナ」は1926(大正15)年に特許を取得したものの、特に注目を浴びることもなく、1940(昭和15)年に特許権は消失。その後、第二次世界大戦中に接収した連合軍のレーダーに「YAGI arrays」とあったことから、日本でも活用されるようになったという。
「八木・宇田アンテナを初めて実用化した極超短波無線機(受信機)」 1930(昭和5)年、東北大学電気通信研究所所蔵
展示終盤で圧倒されるのが、日本初の大型コンピューターだ。その複雑な配線には、開発者たちの並々ならぬ努力を感じずにはいられない。
「HITAC5020」1964(昭和39)年、国立科学博物館所蔵
今回紹介したものは、展示のほんの一部にしかすぎない。当たり前のように便利になった私たちの生活の裏には、知っているようで知らない科学技術の数々がまだまだたくさんある。ぜひ会場でそれらを目にし、科学の力でこれからどんな未来になりうるのか、想像を膨らませてみてほしい。

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