【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#69 女
優・松坂慶子の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

私が14歳のとき、古賀政男先生のところ
で『何か歌ってみて』といわれた時に歌
ったのが『愛の讃歌』だった

『東スポweb』(松坂慶子が朗読に挑戦「今年は進化の年に」/2015年01月14日)より

2015年5月20日から、東京・日本橋の三越劇場にて、松坂慶子による朗読劇『私のエディット~松坂慶子が語るエディット・ピアフの物語~』が開催された。今回の名言は、その朗読劇の制作会見でのコメントからの抜粋である。この言葉から、「愛の水中花」(1979年)を大ヒットに導いた松坂の歌い手としての確かな地盤を感じる。時に、女優は”歌手”を演じなくてはならない。松坂が大映にスカウトされたのが、高校2年生の時。古賀政男の前で「愛の讃歌」を歌った時の松坂は14歳。「愛の讃歌」を選ぶ中学生も凄いけれど、松坂が『劇団ひまわり』に入団(1967年)したての頃に、すでに古賀のレッスンを受けていたことに驚かされる。女優として歌い、そして高い評価を得たことに必然性を感じる言葉である。

松坂慶子(まつざかけいこ)
1952年7月20日生まれ、東京都大田区出身。1967年、中学3年生の時に『劇団ひまわり』へ入団。同年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)で役者デビュー。1969年、大映にスカウトされ、同年、映画『ある女子高校医の記録 続・妊娠』でスクリーンデビュー。1971年、『夜の診察室』で初主演を果たす。1972年、松竹へ移籍。1973年NHK大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じ好評を博す。五木寛之原作のテレビドラマ『水中花』(1979年/TBS)で、主演。主題歌「愛の水中花」も歌い、女優として歌手として、同時にスターダムにのし上がる。その後、『青春の門』(1981年)、『男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎』(1981年)、『蒲田行進曲』(1982年)、『人生劇場』(1983年)、『火宅の人』(1986年)など、日本の映画史に残る名作に出演する。2018年、NHK大河ドラマ『西郷どん』に出演。これでNHK大河ドラマには、9回出演しており、草笛光子の最多出演女優記録に並んだ。

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