音楽は国境を越えるのか?〜K-POPス
ターとなった藤原倫己が見たものは?
(前編)

水曜深夜1時、「Fから始まる藤原です。」という声が聞こえてくる。
関東の人気ラジオ局、FMNACK5で4時間の深夜の生放送を担当するそのパーソナリティーは、藤原倫己。韓国で2008年にA’ st1という6人組み男性アイドルグループでデビューして人気を博した。
今でこそ、TwiceやNCTなど、渡韓してデビューを手にした日本人は多くいるが、そんな日が来ることを想像すらできない時代に、藤原はK-POPのメインステージに上がった。藤原には何が見えたのだろう。今、日本を拠点に活動する彼には、日本と韓国のエンタテイメントがどのように映っているのだろう。韓国音楽に関わる仕事をしてきた筆者(内田嘉)としては、今だからこそ藤原に聞いてみたいと思った。
インタビューはA'st1のデビュー10周年の記念イベントとしてリーダーだったJIN(ジョンジン)と共に開催したステージが終わって数日後に行われた。A'st1が所属していた事務所は、DSPmedia。(以下DSP)。SMエンタテインメント(以下SME)と競いながら、アイドル市場を拡大してきた事務所だ。藤原さんが活動していた当時、DSPとSMEはアイドル2大事務所と言われ、SS501(DSP) VS東方神起(SME)、KARA(DSP) VS 少女時代(SME)といった人気争いがK-POPアイドルの縮図となっていた。そしてその人気争いがK-POPの創世記を築くきっかけとなった。
内田 藤原さんは、大学生の時、スカウトされたんですよね。しかもあのDSPに。
藤原 はい、KARAやSS501もいらっしゃったし、今はAPRILとかもいる事務所です。2006年に、大学1年生の時でした。韓国旅行に行った時に「アイドルになりませんか?」ってDSPの方から声をかけられたんです。
内田 どこで声をかけられたんですか?
藤原 ミョンドンです。
内田 2006年の明洞って、冬ソナブームからの韓流ブームで、メイン通りがいつも満員電車状態だったじゃないですか。
藤原 そのメイン通りで声をかけられました。
内田 あの人混みの中で声をかけられるって、相当(目立っていたって)ですよ。
藤原 それまで原宿を何度歩いてもスカウトされたことがなかったので、まさか、異国の地でスカウトされるとは思いませんでしたが、“ようやく僕の魅力に気付いてくれたんだぁ”って思いました。(笑)
内田 それから一度日本に戻られて、どうしたんですか?
藤原 せっかく僕の魅力に気付いてもらったのに、これを不意にしたくないなぁという思いと、若いうちにできることをやろうと思う気持ちもあって親に話しました。それからDSPの社長が日本に来て、「安心して韓国に来てください。ちゃんと育てます」といってくれて納得してくれました。で、大学を1ヶ月で辞めてすぐに韓国に行ったんです。後から聞いたんですが、当時、多国籍のグループを作ろうと事務所が考えていて、外国人が多い観光地の明洞でスカウトしていたそうです。
内田 不安はなかったですか? 韓国語はどのくらいできたんですか?
藤原 出来なかったのですが、言葉の壁はまったく不安じゃなかったです。1年半で日本人だと言っても信じてもらえないレベルまでマスターできました。
内田 どうやって!?
藤原 練習室で覚えました。語学学校に行っても、日本人とばかり連んでしまって上達しないから、学校には行かせない。というのが事務所の方針でした。1日ずっといた練習室で、韓国人のメンバーのジョンジン、ジャンムン、ハンビョル、インギュの4人と、中国人のメンバーのハイミンと電子辞書を見せ合って会話してました。それだけいつも練習室にいたし、日本語で話したら注意されていました。ハイミンと僕は、お互い負けず嫌いだったので、ライバルの意識もあって切磋琢磨し合ったのもよかったんだと思います。語学を覚えるにはいい環境だったと思います。
内田 早く覚える秘訣はありましたか?
藤原 ものまねから入ったんです。幼い頃からものまねが好きだったので、バラエティー番組のまねとかしてイントネーションをまず覚えたんですよ。そのイントネーションで、覚えたフレーズを正しくなくてもいいから話すんです。
音楽で例えるとメロディーから入って、その一つ一つの音に(日本で言う五十音)載せていく感じかな?間違っていたらメンバーが教えてくれて、それでマスターしていきました。韓国語で大事なのはメロディーライン、イントネーションだなぁって思います。そのおかげで僕の韓国語は、ネイティブに聞こえるんだと思います。
読み書きはその後でした。生活する上で話すことの方が僕には大事でしたから。読者のみなさんもまずは歌まねをするように覚えてみてください。
内田 本書けそうですね?狙ってますか?
藤原 やってみたいです!!(笑)

藤原は今、ファンミやK-POPイベントのMCとしても活躍している。4月に行われた、世界最大級のK-Cultureフェスティバル「KCON」の日本のステージのMCを務めた。独自の方法でマスターした韓国語は今も健在だ。

内田 ところで、その当時、韓国のエンタテイメントに、どんなイメージを持ってました?憧れのK-POPスターはいましたか?
藤原 実はまったく知らなかったんです。同じ事務所に、イ・ヒョリさんやSS501がいたのですがその凄さも知りませんでした。当時の僕は、異国の地でスカウトされたことが嬉しくて、すでにスターになった気分で韓国に渡ったので、天狗のように鼻が伸びていました(笑)
内田 怖い物知らずだったから、いきなり韓国に飛んでも藤原さんは不安がなかったのかもしれませんね。こうなりたい!という具体的なK-POPスター像もなかったんですか?
藤原 はい、なかったです。でもデビューの準備をしている時に、すでにプロになっている方々のパフォーマンスを見る機会があったんですけど、(見ている)うちにやっぱりSS501と東方神起はすごいなぁ、目指したいなぁって思うようになりました。
内田 SS501 や東方神起は、日本でのK-POP人気を根付かせるなど、K-POPの第2世代として、K-POPのあり方をパフォーマンスで変えたグループですから、それを間近で見られたってことはすごい経験ですよね。
藤原 東方神起は5人の方々すべて、パフォーマンスもすごかったですし、練習に対する意識の高さもすごかったです。実は、僕たちのダンスの先生が、東方神起のダンサーの方で、時々同じ練習場所だったんです。その時「僕すごい所に入ってきちゃったんだなって」って実感しましたね。コンサートを観る機会もあったんですが、そのパフォーマンスも圧巻だったんです。
内田 どこがすごかったんでしょうか?
藤原 全部です。東方神起やSS501はもちろんなんですが、僕が知っていた日本のアイドルのイメージと韓国のアイドルのイメージがまったく違ったんです。歌唱力とか、ダンスとかパフォーマンス全般的に。その時はじめて自信がなくなりました。
内田 なるほどね。
藤原 あと練習生さえレベルが高いんですよ。
内田 藤原さんと同じようなレッスン中の練習生がですか?
藤原 ある日、ある練習室からアメリカの歌が聞こえてきて、CDが流れていると思って扉を開けたら、練習生が歌っていたんですよ。
内田 CDかと思うくらい、ピッチも音程も発声も英語の発音も正確に再現できるレベルで生歌を歌ってたってこと?
藤原 みんな上手い。僕も高校生の頃、友達とコピーバンドを組んでいたのでそれなりに歌えると思っていたんですよ。でも韓国に行って一番下手でした。
内田 なんであんなに、韓国のアーティストは歌がうまいんでしょうね?前に、韓国人の声帯は黒人の声帯に似ているという説を聴いたことがあるんですが。
藤原 ぼくは韓国語の発声が関係してると思います。韓国語を習っている方はおわかりだと思いますが、韓国語にはお腹から声を出さなきゃ出ない発音があるんです。
内田 普段から腹式発声が鍛えられているってことですか?
藤原 だと僕は思います。あと、英語の発音やイントネーションもみんなうまいです。それは練習曲が圧倒的に洋楽だからだと思います。
内田 どんな曲で練習するんですか?
藤原 僕の時代はスティーヴィー・ワンダーでした。女性はマライア・キャリー。(男性の)オーディション曲の定番はスティーヴィー・ワンダーなんですよ。オーディションで韓国の曲を歌っている人はほとんどいなかったんじゃないかなぁ。今はわからないけど、あの当時はそうでした。
内田 SS501や東方神起もスティーヴィ・ワンダーを歌って育っていたんですね。そして藤原さんも。

藤原は、2005年頃からK-POPは韓国国内市場から世界に視野を広げていたのではないかと語った。その現れの一つがこの練習曲で、当時から英語圏でも通用するパフォーマンスを意識し、あえて洋楽だったのではないか、K-POP全体が世界を目指していたのではと回想した。
そして2018年、アジア音楽界にとっても快挙となる、全米アルバム・チャート(Billboard200)NO1を防弾少年団が手にした。10数年前に世界を目標に、成功の絵をしっかり描いていたK-POPは、その夢を果たした。その動きにSEVENTEEN、MONSTA X、NCT、K.A.R.Dなどが続いている。

内田 アジアのナンバーワンのアイドルになるという意味で名付けられたんですよねA’ st1って。多国籍グループとしては“初”だったんじゃないですか?
藤原 あの頃は外国人が働けるシステムが整ってなくて苦労しました。当時は、契約出来る数が決まっていて、僕と中国人のメンバーのハイミンは韓国の企業との契約が、2つまでしかできなかったんです。
内田 そんな法律があったんですか?
藤原 はい。(テレビに出るにはテレビ局との契約が必要なので)マネージメント契約をしている事務所のDSPともう一つしか契約できなくて、TV局を一つしか選べなかったんです。
内田 今でもそうですが、韓国では、歌番組でどのくらい人気が出るかが大事ですよね。あの当時は「Music Bank」(KBS)「ショー!音楽中心」(MBC)「人気歌謡」(SBS)「M COUNTDOWN」(Mnet)の4番組。
藤原 僕らはMnetと契約して、「M COUNTDOWN」に出演してたんですが、僕らが出られるのは週に1回。この番組だけ。TVをメンバーと観ていると、同じ日に、同じ舞台でデビューしたSHINeeはすべての局の歌番組に出てるんです。それを観ていました。その時は、SME対DSP の戦いでSMEのSHINee、そしてDSPのA’ st1との一騎打ちと言われてたんです。
内田 今よりデビューするアイドルの数が少なかった分、一つのグループに事務所の命運がかかるというか、総力戦で挑んでましたよね。DSPはA’ st1。
藤原 韓国は(デビューや新作を出す時に)1ヶ月2ヶ月でアピールしないといけないと言われているんですが、そういう事情もあって、まったくアピールできなくて、もちろん実力の差もあるけど、(SHINeeと)大きな差が開いてしまいました。半年後にタイ国籍のニックンがいる2PMがデビューしたんですが、たくさん番組に出てて、「どういうこと?」って思ってたら、法律が変わって契約できる数が変わったそうです。
内田 悔しいですね。SHINeeではなく、2PMと同じ時期にデビューして、多国籍グループとして共にシーンを盛り上げる役割になっていたら、藤原さんの生き方も変わったかもしれませんね。
藤原 でもいくら番組にたくさん出演できていたとしても、SHINeeは本当に、すごかったので敵わなかったです。同時期にデビューするグループがいるから、見に行こうかぁとメンバーと覗きにいったんですけど、びっくりしました。こんなグループと競うのかぁって。
内田 今、藤原さんは、MCとしてK-POPアーティストのパフォーマンスを身近で見ているじゃないですか。かたやラジオを通して、日本のアイドルやアーティストの方々とも仕事をしていて、特に日本と韓国のアイドルの違いみたいのを感じますか?
藤原 日本は“育てたい”と思う、“成長する過程”を見るのが好きなんだと思います。韓国はパフォーマンスのクオリティが100%と思えるレベルに達しないとデビューさせないんです。
内田 その手前は見たくないと。
藤原 特に男性アイドルは兵役に行くまでの短い時間に、どれだけ観衆の心をつかむのかが大事なんです。短期間で120%、200 %のパフォーマンスをして、記憶に残さないといけないんです。
内田 最近話題の日韓コラボ、「PRODUCE(プロデュース)48」を観ていても、すごくアイドルの概念というか、観衆が求めているものの違いを感じます。
藤原 (特に女性グループに関しては)ファンが求めているものが違う、ベクトルが違うと思います。
内田 オーディエンスの聴き方にも違いがあって面白いと思います。日本では、ライヴで「ちょっとこりゃないなぁ」というパフォーマンスがあってもブーイングにはならないし、いいパフォーマンスでも、激しい感情表現はあまりしない。海外のアーティストからみると、非常にマナーのいい観客だそうです。静かに聴いてくれて、集中して自分達の音楽を聴いてくれていると思うそうです。でも、あまり感情を表に出さないので、心配になる海外アーティストもいるそうです。それに比べて韓国はちょっと違う。ステージの出来に観客が非常にシビア。そしてオーディエンスの感情表現が豊で、音楽に対してラテン系なノリを感じます。オアシスが初めて韓国公演をした時に、オーディエンスの反応がすごく気持ちよくて、感激したっていうエピソードを聞いたことがあります。

この後、藤原は、最近、韓国的な“ノリ”と日本のK-POPファンの“ノリ”に差がなくなってきていると語った。MCとして大きなイベントに参加する藤原ならではの肌感覚だ。アイドルでない韓国音楽を紹介すべく、韓国を代表するアーティストの公演を制作した時に、私もそれを実感した。
私が出会った弘大系音楽(アイドル以外の音楽シーン)が好きな日本のリスナーの方は、いろんなルーツを持っていた。初めは韓流ドラマだったり、K-POPアイドルだったり、そしてK-POPかそうでないかという感覚はなく、日本のアーティストを起点に韓国音楽と出会ったり、ただ「心を動かされるそんな歌を聞きたい。」「すごい音楽を聴きたい!そんな音楽と出会いたい!」という嗅覚で集まっていた。そして韓国の音楽と出会っていた。日本人アーティストだろうが韓国のアーティストだろうが関係ない。基準は“本物かどうか”“感動できるパフォーマンスかどうかなのだ”と、ある弘大音楽ファンの方が語ってくれた。国境や言葉の壁を乗り越え、音楽を欲した結果、その場所に集まった人達との出会いが、私を韓国音楽に増々惹きつけた。

内田 これだけ韓国の音楽が日本に入っているけど、逆に日本の音楽は日本人が考えている以上に、今の新しい音楽がアジアでは広がっていないという現実もありますよね。
藤原 漫画やアニメは凄いですけどね。
内田 このコラムは「音楽は本当に国境を越えるのか」というタイトルなんですが、その線を越えるにはいろいろなハードルがあると感じています。コンテンツ自体にだけその責任があるわけじゃなく、流行や時代性の問題でもなく、届ける側スタッフ側に越えなければいけない壁があるって日々思うです。韓流ブーム前から韓国と日本を繋ぐ仕事をして私自身もまだまだ、その迷いの中にいます。

「音楽は本当に国境を越えるのか」そんな私の問いに、藤原さんは日本である変化を感じ取っていると答えた。

次回につづく
藤原倫己(フジワラ トモキ):1987年1月25日生まれ、東京都出身。詳しくは→コチラ。
構成・文=内田嘉  撮影=安藤光夫

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