【インタビュー1/3】スチュワート・
コープランド「ギズモドロームはパン
ク・プログレなんだ」

ロック界の凄腕ミュージシャン達が集結したスーパーグループ、ギズモドロームが始動、ファースト・アルバム『ギズモドローム』を発表した。
スチュワート・コープランド(Dr/ポリス)、エイドリアン・ブリュー(G/キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイ)、マーク・キング(B/レヴェル42)、ヴィットリオ・コスマ(Key/PFM)という一筋縄ではいかない実力派ミュージシャン達が生み出す奇想天外でスリリングなポップ・ワールドは、楽しみと驚きに満ちている。
「単発のプロジェクトでなく本格的なバンド」とスチュワートは語る。ギズモドローム始動インタビュー第1弾は、アルバムのメイン・ソングライターでドラマー、シンガーである彼に訊く。
──ギズモドロームの音楽性はきわめてユニークなものですが、どのように表現しますか?
スチュワート・コープランド:今回のプロモーションでパリに行ったとき、ジャーナリストに「ギズモドロームの音楽はプログレッシヴだけど、曲はあまり長くなく、パンク的なところもありますね」と言われた。だから俺は「うん、その通り。俺たちは“パンク・プログレ”なんだ」と答えたよ。アルバム『ギズモドローム』には通常のポップ・レコードの数倍の演奏が詰め込まれている。ドラム・フィルが多くて、頭のイカレたギターが入っているという点ではプログレだと思う。パンクなのは、橋を燃やして子供を頭から呑み込むようなアティテュードかな。まあ、何と呼んでくれてもいいよ。俺たちがやっているのはオリジナルな音楽だから、オリジナルな呼び名を考えてくれたら嬉しいね。
──ギズモドロームがどのように始動したか教えて下さい。
スチュワート・コープランド:2003年、ヴィットリオから俺にイタリアの<ラ・ノッテ・デラ・タランタ>フェスティバルでの共演オファーがあったのが始まりだった。ヴィットリオはイタリアの音楽業界では重要な存在なんだ。指揮者でありアレンジャー、コンセプト・アーティスト…イタリア政府がローマで100万人が集まるパレードをやるとき、彼に声をかけるんだよ。彼はフェスのミュージカル・ディレクターで、俺は彼の音楽をよく知らなかったけど、夏にイタリアに行けると聞いて喜んで承諾したんだ。青空が素晴らしいし、極上のパスタも食べられるしね(笑)。フェスで共演したことで意気投合して、ヴィットリオと俺、それから何人かの友達で、あちこちをツアーしたんだ。イタリア、ギリシャ、ブラジル、スペイン、ドイツ…メンバーは替わっても俺たちはこのユニットを“ギズモ”と呼んでいた。<ラ・ノッテ・デラ・タランタ>の模様はライブCD/DVDとして発表されたけど、彼と一緒にスタジオでレコーディングする機会はなかった。それから10年ぐらいして、ヴィットリオが「レコード会社が興味を持っている」と言ってきた。彼が「アルバムを作るなら、エイドリアン・ブリューに声をかけたらどうだろう?」と言うんで、俺は「だったらマーク・キングも呼ぼうよ」と提案したんだ。それでヴィットリオと電話で話しながら、マークに携帯メールを送った。数分後に「オッケー、乗った」という返事があったよ。そうして20分後には、4人がミラノのヴィットリオのスタジオに集まることになったんだ。
──マーク・キングとあなたは長い付き合いなのですか?
スチュワート・コープランド:うん、昔ポリスのツアーでレヴェル42がサポートをしたことがあったんだ(1981年のヨーロッパ・ツアー)。それで友達になった。それから1985年、イギリスBBCのチャリティTV番組(『チルドレン・イン・ニード』)でスーパーグループを組んで演奏したことがある。俺がボーカル、マークがベース、ニック・カーショウがギター、マーク・ブルゼジッキーがドラムス、そしてローワン・アトキンソンがタンバリン…Mr.ビーンと一緒のバンドなんて夢のようだった。そのとき俺はドラムスではなくフロントマンとしてボーカルを取ったんだ。ここ数年は会う機会がなかったけど、ツイッターで繋がっていた。それでメッセージを送ったんだよ。
──エイドリアン・ブリューとは交流がありましたか?
スチュワート・コープランド:1980年代の初め、彼がキング・クリムゾンでやっていた頃からお互いのことは知っていたんだ。それと大昔、エイドリアンと俺、それからスタンリー・クラークというトリオでライブをやったことがあった。映画祭のミニ・ライブみたいな感じで、エイドリアンの「ビッグ・エレクトリック・キャット」を一緒にやったのを覚えているよ(1986年11月15日、サンフランシスコのウォーフィールド・シアターでの<ミル・ヴァレイ映画祭>)。今回やってみて、エイドリアンとの相性は完璧だった。もっと前に一緒にやるべきだったよ。彼と話していると、毎日新しいことを学ぶ。もちろん彼がフランク・ザッパからデヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾン、トーキング・ヘッズなどとプレイしてきたことは知っているけど、彼がポール・サイモンの『グレイスランド』(1986)でプレイしたことを初めて知ったんだ。音楽史上最も重要なアルバムのひとつだよ。『リメイン・イン・ライト』(1980)も同じぐらい重要なアルバムだし、彼が現代の音楽シーンにおける至宝であることを再認識したな。
──アルバムの曲は誰がどのように書いたのですか?
スチュワート・コープランド:アルバムの曲の軸となったのは、俺が長年書きためたデモだった。『ギズモドローム』は俺にとって16年ぶりのアルバムなんだ。もう何十年も前から、鉄道の駅で一人ぽつねんと待っているとき、見知らぬ町でタクシーに乗っているとき、車で子供を学校に送るときなど、ふとメロディや歌詞が浮かぶことがある。それをずっと書きためて、テープをクッキーの缶に入れて取っておいたんだよ。おそらく一番古い曲は「ストレンジ・シングス・ハプン」だと思う。ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のスピン・オフ的なTVシリーズをやることになって、数曲を提供したうちのひとつだったんだ。実際に使われたか知らないけどね(注:スチュワートが提供した数曲のうち「トラブル・アゲイン」は『スター・ウォーズ/ドロイドの大冒険』(1985)のテーマ曲に使用されたが、「ストレンジ・シングス・ハプン」は使われず、映画『悪魔のいけにえ2』(1986)の挿入曲として使われている)。最後に書いたのは「アイ・ノウ・トゥー・マッチ」かな。エイドリアンと俺で、頭のイカレたエヴァリー・ブラザーズみたいなデュエットをしているよ。
──他のメンバーはどのような形でクリエイティブな作業に関わっていますか?
スチュワート・コープランド:エイドリアンとマークは当初、俺のプロジェクトにゲスト参加すると考えていた。でもそれは罠だったんだ(笑)。2人は知らないうちにバンドのメンバーになっていたんだよ。リハーサルの初期段階で曲のシンプルな構成は教えたけど、彼らにどんどん改変していくことを奨励した。単なるセッションでなくクリエイティブな作業に巻き込んでいったんだ。3日ぐらいして、彼らは「ちょっと待て。これはスチュワートのアルバムではなくて、俺のアルバムじゃないか」と気付いたんだ。セッション・プレイヤーを集めたって、最高のロック・アルバムを作ることはできない。全員がクリエイティブな作業に関与する必要があるんだ。俺が曲を書いたからといって、俺がバンドのリーダーというわけではない。ギズモドロームは4人全員がリーダーなんだ。ヴィットリオやエイドリアン、マークには、俺の頭が吹っ飛ぶような何かをして欲しかった。今ではエイドリアンはギズモドロームが自分のバンドだと考えているし、早くツアーに出ようと言っているよ。
──レコーディング作業はどのようなものでしたか?
スチュワート・コープランド:まず俺のデモを聴かせて、それを設計図にして全員で仕上げていったけど、あまり事前にアレンジすることなく、スタジオで曲を成長させていったんだ。俺の経験上、ほとんどの曲でベストなのは2回目のテイクだ。テイク1だとまだ曲構成が固まっていないし、テイク3だとスムーズになってしまう。テイク2がちょうど良いんだ。まだ鮮度が高く、一番エキサイティングだ。ポリス時代から、テイク2がベストなことが多かったよ。
──ギズモドロームとしてのレコーディングで新しい試みは行いましたか?
スチュワート・コープランド:うん、このアルバムで俺は新兵器を装備しているんだ。リード・ボーカルだよ。これまではアルバムで1~2曲ちょっと歌えばラッキーな感じだったけど、今回はかなり歌っている。とはいってもエイドリアンとマークみたいな本職のシンガーと張り合うわけにはいかないし、ヴァースの部分をボソボソ歌っている。トーキング・ブルースみたいにね(笑)。ヴィットリオも本格的に歌えるし、自分が何故マイクの前に立つことになったかわからない。当初はエイドリアンとマークの2人に歌ってもらうつもりだったけど、デモで俺が歌ったガイド・ボーカルを聴いた彼らが、「スチュワート、君が歌いなよ」と言ってきたんだ。
──ギズモドロームとしてのツアーは予定していますか?
スチュワート・コープランド:2018年にツアーで世界を回るつもりだよ。俺はドラムもプレイするけど、何曲かでステージの前に出て歌って、ギターでパワー・コードを弾くんだ。俺はドン・ヘンリーよりもデイヴ・グロールのタイプだからね。だからもう1人、レヴェル42のドラマーであるピート・ビギンがツアーに同行するんだ。マーク・キングとピートは世界トップクラスのリズム・セクションだから、彼らとショーをやるのが楽しみでならないよ。まずはイタリア全土を回るかも知れない。ギズモドロームはイタリアン・バンドなんだ。ヴィットリオとイタリアの太陽、そしてパスタを主成分としているんだよ(笑)。それに俺はイタリア半島のカカトの部分にあたるメルピニャーノの名誉市民なんだ。イタリア語はあまり得意ではないけどね。
──スティングもイタリア在住ですよね?
スチュワート・コープランド:うん、でも彼はトスカーナ州に住んでいるし、メルピニャーノからはかなり離れているんだ。イタリアは細長い国だからね。俺がトスカーナ州に行ったとき、彼は世界のどこかにツアーで出ていて、会うことができなかった。でもスティングとは常に連絡を取り合っているし、良い関係だよ。音楽について話さなければ最高の関係だ。
──ギズモドロームで長期的な活動を考えていますか?
スチュワート・コープランド:ああ、ギズモドロームは本物のバンドだよ。ファースト・アルバムは作っていて最高に楽しかったし、次のアルバムを作るのが楽しみだ。ファーストの曲を書くのに16年かかったけど、次のアルバムは6ヶ月で全曲を書かねばならない。でも、この4人だったらできそうな気がするんだ。世界各地でツアーをやって、2018年の秋ぐらいには次のアルバムに取りかかりたいね。
──あなたは音楽界随一の偏屈ミュージシャンといわれるジンジャー・ベイカーと共演を果たし、ドキュメンタリー映画『Beware Of Mr.Baker』でもインタビューに応じていますが、彼とはうまく行っていますか?
スチュワート・コープランド:(笑)うん、俺とミスター・ベイカーはとてもうまく行っているよ。俺は彼のことを“ミスター・ベイカー”と呼んで、彼は俺を“ヤング・マン”と呼んでいる。俺のスタジオでジャムをやったことがあるんだ。1分だけだったけどね(2015年)。彼はその日体調が悪くて、救急車を呼ぶことになった。でも彼は病院に搬送されることを拒否して、「くそったれ、ふざけるな!」と怒鳴り散らしていたよ。それでも幸い、俺のことは嫌いではないみたいだ。それにミスター・ベイカーは本当に凄いドラマーだよ。彼とやった1分のジャムのハイハットだけでも、大学の論文を書くことができるほどだ。いつかまた、今度は彼の体調の良いときにジャムをやりたいね。


取材・文:山崎智之

Photo by Lorenza Daverio
<ギズモドローム初来日公演 2018>


【大阪】

4/8(日)メルパルクホール大阪 17:30 open / 18:00 start

一般発売:11/4(土)

[問]大阪ウドー音楽事務所 06-6341-4506 udo.jp/osaka

【東京】

4/9(月)Bunkamura オーチャードホール 18:30 open / 19:00 start

一般発売:11/4(土)

[問]ウドー音楽事務所 03-3402-5999 udo.jp

http://udo.jp/concert/Gizmodrome

ギズモドローム『ギズモドローム』

2017年9月15日発売

【50セット通販限定 CD+インストゥルメンタルEP+Tシャツ】¥5,500+税

【完全生産800枚限定CD+インストゥルメンタルEP】¥3,200+税

【通常盤CD】¥2,500+税

※歌詞対訳付き/日本語解説書封入

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