【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.88
「記憶の洪水」

掛け替えのない時を共にし、一時は戦友とも言える関係だったC先輩をお見送りしてから早3週間が経ちました。
C先輩との出会いは筆者が音楽ギョーカイ内で2番目に勤めた音楽事務所でした。その創立時からのメンバーであった先輩は、全所属アーティストのファンクラブをまとめる長であり、時にアーティスト以上に姫でもあり、一回り以上歳の離れた大変怖い存在でしたが、入社5年目の辞令によって先輩が長年担当してきた老舗バンドのマネジメント担当を命じられて以降、先輩との関係性は大きく変わりました。そのバンドの結成年に生まれた筆者には分からないことだらけであったことに加え、バンド崩壊というドラマティックな展開を遂げたために先輩との距離がぐっと縮まったのは必然であったと今では思います。
お互い退社して久しいですが、当時の仲間と時々集まっては元所属ミュージシャンのライブへ出向いたり、先輩が題字を書いた映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』を映画館で一緒に見たり、鍋を囲んだり、自宅療養に入られてからは何度か差し入れを持って伺うなどで遊んでもらっていました。そして亡くなる1ヶ月ほど前の、ちょうどSUMMER SONIC本番中に元上司から連絡を受け、現場終わりで病院へ直行して会って話をしたのが最後になりました。その際、先輩の変わり様を目の当たりにして一瞬戸惑いましたが、そんな筆者の心を見透かして「ここを終の棲家にしようと思ってさ」と意地悪く笑う先輩は昔とちっとも変わっていませんでした。
長年のギョーカイでの貢献とそこで生まれた交友により、多くのギョーカイ関係者が参列した音楽葬では、先輩の愛した音楽とカラフルな花々、そしてご家族やご友人に囲まれた先輩の笑顔の写真が溢れる中、姫ベッドで眠る先輩に参列者が順々に別れを告げました。その明るく彩られた空間に漏れ聞こえる啜り泣きというアンバランスさが、いつもクシャクシャな顔をして笑い泣きしていた先輩を思い出させてくれる式でした。
先輩と共に時間を費やしたバンドの曲が流れる中、壁に飾られた大きな寄せ書きの中にあった崩壊したバンド名入りのサインを見つけた時にある不思議な体験をしました。自分のものではない感情が何かに憑依されたように一気に沸き上がって、体全体が悔しさに覆われて震え、その後嗚咽に変わったのです。それは本当に奇妙で突然のことでしたが頭の中はそれなりに冷静でした。
生涯をかけたと言っても過言ではないバンドのメンバーとの再会が、念願の再結成ライブではなく、よりによって病室や自分の葬式になってしまったことは先輩にとって不本意であったはず。「先輩、悔しかったですよね」と心の中で話しかけていました。すると筆者が封印したつもりでいた当時誰にも届かなかった想いや形にできなかった願いのやり場のなさ、最後まで踏ん張れなかった己の不甲斐なさまでもが止め処なく思い出され、これが後悔というものかと溢れてくる悔しさで泣きに泣きました。
今回、ギョーカイの先輩を初めて見送ることとなりましたが、告別式とは残された者たちのためにあると改めて感じています。式を手伝いたいと願い出た元同僚らと共に筆者も微力ながら役目を果たせたこと、そして当時先輩と共有した感情の放出によって気持ちに整理をつけることができたように思います。
また、美しく色褪せないメロディを残して無残に消えたバンドの真の復活を強く望み、信じた先輩が旅立ってしまったことでそれがより遠のいたように感じ、寂しくもありますが、時は流れていますし、メンバーは全員存命ですから今後何かが起きることを密かに願うことはやめません。故人を偲び、意志を忘れず、時が来たときに役立てるよう地道に力をつけていきたいと思います。
文=早乙女‘dorami’ゆうこ

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