爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.63 ブライアン
・イーノ特集

いい音爆音アワー vol.63 「ブライアン・イーノ特集」

2016年2月17日(水)@風知空知

ブライアン・イーノBrian Enoは不思議な人です。

1970年代の前半から今に至るまで、休むことなく、アーティストとしてたくさんのソロ・アルバムやコラボ・アルバムを発表し続け、プロデューサーあるいはソングライター、またミュージシャンとして様々なアーティストから引っ張りだこで、そのたびに面白く斬新な音楽だけでなく、売上もちゃんと作ってきました。つまり質と量の両立ができている奇特な音楽家なのですが、楽器が上手いわけではない、いろんな楽器をやるけれども、上手くない。しかも音楽理論を知りません。楽譜も読めない。耳と感性と発想だけが武器という人なんです。

それでこれだけのことをやってきたのですから、実に不思議、ほんとにすごい人です。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Roxy MusicLadytron
正式メンバーのベーシストがいなかったのに、楽器ができないイーノがメンバーだったという変なバンド。
∨1st アルバム『ROXY MUSIC』(1972年6月16日発売)収録

作詞・作曲:Bryan Ferry/プロデュース:Pete Sinfield

イーノはシンセとテープ操作の他、oboeソロやメロトロンを演奏。イントロのサウンドはブライアン・フェリーに「月面着陸」みたいなイメージでと言われ、イーノが作った。
ブライアン・イーノ 本名:Brian Peter George Eno

1948年5月15日、英国サフォーク州ウッドビレッジ生まれ。

「Winchester School of Art」(1969年に卒業)で美術を学ぶ。

1971年のある日、地下鉄で偶然出会った大学時代からの友人、アンディ・マッケイAndy Mackayに誘われて”Roxy Music”に参加する。

「もし、あの時地下鉄であの電車に乗り遅れていたら、あの車両に乗らなかったら、私は音楽の道に進まず、美術の教師にでもなっていただろう」(イーノ)

彼は「EMS VCS 3」というシンセサイザーとテープ操作を担当し、当初のライブではミキサー卓でシンセやテープを操作していたが、やがて奇抜な衣装でステージに登場し話題を呼ぶ。

しかし、2nd アルバム『For Your Pleasure』(1973)のプロモーション・ツアーの後、フェリーと意見が合わず、またロック・スターという存在にも嫌気がさし、やめてしまう。
「不幸なことだが、ロック・ミュージックで金を儲けようと思ったら、ひとつの良いアイデアを何度も何度も繰り返さなくてはならない。
しかも、既存のパターンに従ってやるなら、オリジナルな良いアイデアを持つ必要すらもない」(イーノ、1975年の発言)
Brian Eno「Burning Airlines Give You So Much More」
ボーカルもなかなかいけるんです、イーノさん。
∨アルバム『Taking Tiger Mountain (By Strategy)』(1974年11月発売)収録

作詞・作曲:Eno/編曲:Phil Mazanera & Eno/プロデュース:Eno
Roxy Musicをやめるとすぐに、イーノはすごい勢いで音楽活動を展開する。

1970年代の仕事だけでも、まずソロ・アルバム。ポップ系としては、

『Here Come the Warm Jets』(1974)

『Taking Tiger Mountain (By Strategy) 』(1974)

『Another Green World』(1975)

『Before and After Science』(1977)
彼が「Ambient Music」という言葉を作ったと言われているが、そのアンビエント系としては、

『No Pussyfooting』(with Robert Fripp 1973)

『Evening Star』(with Robert Fripp 1975)

『Discreet Music』(1975)

『Music for Airports (Ambient 1)』(1978)

『The Plateaux of Mirror (Ambient 2)』(with Harold Budd 1980)

『Day of Radiance (Ambient 3)』(with Laraaji 1980)

『On Land (Ambient 4)』(1982)
さらに、1976年、Roxy Musicが一旦解散した後、ギターのフィル・マンザネラPhil Manzaneraらと期間限定バンド”801”を結成した他、マンザネラがRoxyに入る前にいたバンド”Quiet Sun”の『Mainstream』(1975)や、マンザネラのソロ・アルバム『Diamond Head』にも参加した。
Brian Eno「Sky Saw」
作り込まず、インスピレーションを重視したアルバム。そのためにオリジナルの格言カード・セットまで作ってしまうところがイーノらしさ。
∨アルバム『Another Green World』(1975年9月発売)収録

作詞・作曲:Brian Eno/プロデュース:Eno & Rhett Davies

Dr.: Phil Collins/Bass: Percy Jones(”Brand X”コンビ)
事前に何も準備せずスタジオに入って、「Oblique Strategies」というカードを使ってインスピレーションを得て作ったアルバム。

Oblique Strategies:イーノと画家のピーター・シュミットPeter Schmidtによって考案され1975年に発行されたカード・セット。現在も第5版がEnoshopで販売されている。

一枚一枚のカードに次のような文が書かれている。
・問題をできる限り明確に文字で述べよ。(State the problem in words as clearly as possible.)

・君の最も身近な親友ならどうするだろう?(What would your closest friend do?)

・何を増やすべきか?何を減らすべきか?(What to increase? What to reduce?)

・誤りを隠れた意図として賞賛せよ。(Honour thy error as a hidden intention.)
カードをよく切り、その中から1枚選び、記載された文を自分なりに解釈し、創作活動に活用する。イーノはソロ作品の他、デビッド・ボウイの「ベルリン3部作」など、たびたび用いたようだ。
Genesis「In the Cage」
“enossification by Eno”というクレジット。直訳すれば「イーノ化」ですか!
∨6th アルバム『The Lamb Lies Down on Broadway(幻惑のブロードウェイ)』(1974年11月18日発売)収録

作詞・作曲:Tony Banks, Phil Collins, Peter Gabriel, Steve Hackett & Mike Rutherford

プロデュース:John Burns & Genesis/enossification(ボーカル処理) by Eno

/ジャケット・デザイン:Hipgnosis

ピーター・ガブリエルPeter Gabriel在籍時代最後のアルバム
ブライアン・イーノ史の続き…

1975年、ロバート・カルヴァートRobert Calvertのアルバム『Lucky Leif and the Longships』をプロデュース。

Ultravox”のデビュー・アルバム『Ultravox!』(1977年2月)をスティーブ・リリーホワイトSteve Lilywhiteと共同プロデュース。
David BowieSound And Vision
「ベルリン3部作(Berlin Trilogy)」の1作目。この頃のベルリンはもちろん壁で東西に分断されていた。
∨シングル(1977年2月11日発売)

11th アルバム『Low』(1977年1月14日発売)収録

シングルは全英3位 アルバムは全英2位・全米11位

作詞・作曲:David Bowie/プロデュース:David Bowie & Tony Visconti

/Synthesizers, Backing Vocals: Brian Eno
コカインで体を壊したボウイは1976年にスイス、その年末に西ベルリンに移住。身体の復調とともに、イーノらと新しい音楽制作に入っていく。アパートから「壁」のそばにあるHansa Tonstudioまで自転車で通って。
続ブライアン・イーノ史:

1977年からデビッド・ボウイの「ベルリン3部作」、アルバム『Low』(1977年1月)、『”Heroes”』(1977年10月)、『Lodger』(1979年5月)にソングライター&ミュージシャンとして参加。長く離れた後、再び1995年にはアルバム『Outside』を共同プロデュース。1997年の『Earthling』では1曲だけ共同ソング・ライティング。
David Bowie「Boys Keep Swinging」
引いたカードの指示によって、ギタリストのCarlos Alomarがドラム、ドラマーのDennis Davisがベースを演奏することになった。
∨シングル(1979年4月27日発売)

13th アルバム『Lodger』(1979年5月18日発売)収録

作詞:David Bowie/作曲:David Bowie & Brian Eno/プロデュース:David Bowie &

Tony Visconti/guitar: Adrian Belew/piano: Brian Eno
「ベルリン3部作」の3作目。スタジオはHansa Tonではなく、スイス・モントルーのMountain Studios。
David Bowie「Strangers When We Meet」(Single version)
ボウイのなくなる1年前、二人で(気に入っている)アルバム『Outside』をリニューアルしようなんて話をしたんだ、とイーノは語ったそうな。
∨シングル(1995年11月)

19th アルバム『Outside』(1995年9月26日発売)収録

作詞・作曲:David Bowie/プロデュース:David Bowie, Brian Eno & David Richards

アルバムは全英8位・全米21位
1993年にリリースされたサウンドトラック・アルバム『The Buddha of Suburbia』のために作られた曲だが、このアルバムで再レコーディングされた。

1992年、ボウイとイマン・アブダルマジッドIman Abdulmajidの結婚式(2度目)で、彼らは再会し、共に、音楽のメインストリームには飛び込まずその周辺をかじるのが好きだという共通点に改めて気づいた。

このアルバムの制作でも「Oblique Strategies」を使用、スタジオに入る前に一切何も準備しないことを決まりにした。
Talking Heads「Thank You for Sending Me an Angel」
イーノの参画により、アフロ・ビートの導入など、バンドの音楽性を飛躍的に広げた。
∨2nd アルバム『More Songs About Buildings And Food』(1978年7月7日発売)収録

作詞・作曲:David Byrne/プロデュース:Brian Eno & Talking Heads

アルバムは全米29位・全英21位
Talking Heads:

デビッド・バーンDavid Byrne (vo+g)、クリス・フランツChris Frantz (dr)、ティナ・ウェイモスTina Weymouth (b)の3人で結成。1975年6月のニューヨークの伝説のライブハウス「CBGB」に出演したのが初ライブ。やがてラモーンズやブロンディらとともに「CBGB」常連バンドとなった。

1976年11月、Sire Recordsと契約。1977年3月にジェリー・ハリソンJerry Harrison (key+g)が加入。1977年9月、1st アルバム『Talking Heads: 77』リリース。

1988年、8th アルバム『Naked』リリース後、活動停止。

1991年、解散。
続ブライアン・イーノ史:

1978年から、”Talking Headz”の2nd アルバム『More Songs About Buildings and Food』(1978)、3rd『Fear of Music』(1979)、4th『Remain in Light』(1980)をプロデュース。1981年には、”Talking Headz”のデイヴィッド・バーンDavid Byrneとコラボし、サンプリングを駆使しアフリカおよび中東のリズムをフィーチャーしたアルバム『My Life in the Bush of Ghosts』を発表。
Talking Heads「I Zimbra」
アヴァンギャルドだけど踊れる。イーノが目指した世界が見事に形になっている。
∨アルバムからの2枚目のシングル(1980年2月7日発売)

3rd アルバム『FEAR OF MUSIC』(1979年8月3日発売)収録

作詞・作曲:David Byrne, Brian Eno & Hugo Ball/

プロデュース:Brian Eno & Talking Heads/treatments: Brian Eno

アルバムは全米21位・全英33位

「NME」「Melody Maker」「Los Angels Times」各誌で1979年のベスト・アルバムに選ばれた。
イーノは自ら"non-musician"と称し、レコーディングへの関わり方を”treatments”とクレジットされることを望んだ。
Talking Heads「Houses In Motion」
“Talking Heads”の最高傑作と言われる名アルバム。ポップスの新境地を切り開く実験精神はイーノならでは。
∨アルバムからの2枚目のシングル(1981年5月5日発売)

4th アルバム『REMAIN IN LIGHT』(1980年10月8日発売)収録

作詞:David Byrne/作曲:David Byrne, Brian Eno, Chris Frantz, Jerry Harrison & Tina Weymouth

/プロデュース:Brian Eno

アルバムは全米19位・全英21位
当時としては新しかったサンプリングやループを駆使したサウンド。

当初アルバム・タイトルは『Melody Attack』の予定で、グラマン戦闘機をあしらったジャケット・デザインがされたが、タイトルが変わり、戦闘機イラストは裏側になった。
続ブライアン・イーノ史:

“DEVO”のデビュー・アルバム『Q: Are We Not Men? A: We Are Devo!』(1978)をプロデュース。
Brian Eno - David Byrne「Help Me Somebody」
「サンプリング」というものを大胆に取り入れた歴史的名盤。
∨アルバム『My Life In the Bush Of Ghosts』(1981年2月発売)収録

作曲:Brian Eno & David Byrne/プロデュース:Brian Eno & David Byrne

ここで使われている「声」はPaul Mortonという聖職者の説教。ニューオリンズで1980年に放送されたもの。
アルバム・タイトルはナイジェリアの作家Amos Tutuolaが1954年に発表した小説からもらった。

初めてエレクトロニクスとアンビエントとワールド・ミュージックを横断した野心作と言われる。

イーノは「vision of a psychedelic Africa」と表現した。

制作は『FEAR OF MUSIC』と『REMAIN IN LIGHT』の間に行われたが、使用されている膨大なサンプリング音源の権利処理のために、発売まで時間がかかった。

ふたりの共作はその後、『Everything That Happens Will Happen Today』(2008年)がある。
続ブライアン・イーノ史:

1980年、ヘルベルト・フェーゼリー監督のドイツ映画「エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々」の音楽を担当。
Brian Eno with Daniel Lanois & Roger Eno「Always Returning」
ダニエル・ラノワの才能を見出したイーノ。これはイーノとラノワの初の共同作品。
∨『Apollo: Atmospheres and Soundtracks』(1983年発売)収録

作曲:Brian Eno & Roger Eno/プロデュース:Brian Eno & Daniel Lanois
イーノの弟ロジャーRoger Enoにとっての初レコーディング作品。

当初は「Apollo」というタイトルのドキュメンタリー・ムービーのサウンドトラックとして制作された。しかしナレーションもない、NASAのアポロ計画のフィルムを年代順につないだだけの映像は上映館も限定的で評判にもならなかった。映画会社はこれを作り直し、ナレーションも入れ、タイトルも「For All Mankind」と変えたが、再登場したのは1989年になってからだった。

しかし、このアルバムの収録曲はその後多くの映画やテレビなどで使われている。

1983年に登場したばかりのYAMAHA DX7が多用されている。
Earth, Wind & Fire「September」
突然ですが追悼コーナーです。またポップス界の大物が亡くなりました。モーリス・ホワイト、難病パーキンソン病との闘いの末でした。
∨シングル(1978年11月18日発売)

作詞・作曲:Maurice White, Al McKay & Allee Willis/プロデュース:Maurice White

ビルボードR&Bチャート1位・全米8位・全英3位
Maurice White:

1941年12月19日、米国テネシー州メンフィス生まれ

2016年2月4日、パーキンソン病により死去。享年74歳

1980年代の後期よりパーキンソン病に罹患し、1994年以降はライブへの参加を断念する。
太田裕美「移り気なマイ・ボーイ」
続いて、追悼です。ギタリスト、松原正樹さん。膨大な仕事を残されていますが、私が音楽ディレクター時代に担当した作品を。
∨アルバム『I do, You do』(1983年10月1日発売)収録

作詞:山元みき子/作曲:太田裕美/編曲:大村雅朗/ギター:松原正樹

松原正樹:

1954年6月27日、福井県越前市(旧武生市)生まれ

2016年2月8日、癌のため死去。享年 61歳

中学でブラスバンド、高校ではバンド活動、卒業後、プロ・ギタリストを目指し、ヤマハ・合歓音楽院に入学、その半年後上京。

1974年、ハイ・ファイ・セットのバックバンドに加入。同じ頃”上田正樹とPush & Pull”にも参加。やがて、多くのレコーディング・セッションに呼ばれるようになる。

1979年、林立夫らとフュージョン・バンド、PARACHUTEを結成(1982年解散)。

その後も、”AKA-GUY”、”TRIFORCE”などのバンドを立ち上げつつ、ソロ・アルバムも多数リリース。スタジオ・ミュージシャンとして参加した曲は1万曲以上。
U2「Wire
思い切ってイーノに任せたことが、バンドの大きな前進につながった。
∨4th アルバム『The Unforgettable Fire(焔)』(1984年10月1日発売)収録

作詞:Bono/作曲:U2/プロデュース:Brian Eno & Daniel Lanois

アルバムは全英1位・全米12位
「The Unforgettable Fire=忘れざる炎」は広島・長崎への原爆投下を生きのびた被爆者達が描いた絵画のタイトル。米国ライブ・ツアー中、シカゴのピース・ミュージアムでこれらを見たU2のメンバーは感銘を受け、ニュー・アルバムのタイトルに取り入れた。
スティーブ・リリーホワイトSteve Lilywhiteがプロデュースした初期3作、『BOY』『October』『WAR』の直球ロック路線からもっと音楽の幅を広げようと、別のプロデューサーを探す。ジミー・アイオヴィンJimmy Iovineやコニー・プランクConny Plank、レット・デイビスRhett Daviesなどが候補に上がったが、エッジが以前からイーノをリスペクトしており、他のメンバーも”Talking Heads”の作品は好きだったので、イーノに打診するが、それまでU2のような音楽性のバンドと仕事をしたことがなかったため、気が進まず、バンドとのミーティングに彼はダニエル・ラノワを連れていった。代わりにラノワにやらせようと思っていたのである。しかし、話すうち、バンドの姿勢に共感し、引き受けることになった。

イーノは主にアイデアを出すことに注力し、ラノワはプロダクツ全般を観るという役割分担。

しかし、アイランド・レコードの総帥クリス・ブラックウェルは「イーノに依頼するなんて、U2をアバンギャルドでナンセンスな音楽に貶めてしまうつもりか」と強く反対したという。
続ブライアン・イーノ史:

1984年、デビッド・リンチ監督の映画「Dune」に「Prophecy Theme(予言のテーマ)」という曲を提供(サントラは”TOTO”)
1984年より”U2”に関わる。ダニエル・ラノワと共同プロデュースで、『The Unforgettable Fire(焔)』(1984)、『The Joshua Tree』(1987)、『Achtung Baby』(1991)、

All That You Can't Leave Behind』(2000)、『No Line on the Horizon』(2009)。

マーク・フラッド・エリスMark ""Flood"" Ellisとの共同プロデュースで『Zooropa』(1993)。

1995年にはU2+イーノで”Passengers”と名乗り、アルバム『Original Soundtracks 1』をリリースする。
U2「ZOO station」
大きな成功に満足せず、さらなる音楽的進化を追求したアルバム。進化の裏にイーノあり。
∨7th アルバム『Achtung Baby』(1991年11月19日発売)収録

作詞:Bono/作曲:U2/プロデュース:Daniel Lanois & Brian Eno

アルバムは全米初登場1位・全英2位

第35回グラミー賞にて、「最優秀ロック・パフォーマンス」と「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を獲得。
6th アルバム『Rattle and Hum』(1988)は商業的に成功したが、評判はよろしくなかった。「うぬぼれている」「勘違いしている」などの評価もあった。メンバー自身も「We were the biggest, but we weren't the best」と感じていた。そして1989年の「Lovetown Tour」の後、結成以来最長の活動停止に入り、その間、ボノとエッジ、ふたりの緊密かつ手探りの作業で、新しいU2の音楽を模索していった。

今回はダニエル・ラノワがメインとプロデューサーとなり、イーノは補佐にまわった。たまにスタジオに来ては「あまりU2的過ぎる音」は消していく、という役割だったという。

録音は1990年10月から、壁が取り払われたばかりのベルリンのHanza Studioで行われた。大きく変化したその場所でよいインスピレーションを得られると考えたからだが、それは期待はずれで、「One」という曲ができるまで、作業はまるではかどらなかった。

オルタナティブ・ロック、インダストリアル、エレクトリック・ダンス・ミュージックの要素を大幅に取り入れ、シンセを多用した音楽で、U2はまた新たな進化を遂げた。
U2「Walk On」
アウン・サン・スー・チーさんに捧げた曲なのでミャンマーでは放送禁止だった。
∨アルバムからの4枚目シングル(2001年11月19日発売)

10th アルバム『All That You Can't Leave Behind』(2000年10月30日発売)収録

作詞:Bono/作曲:U2/プロデュース:Daniel Lanois & Brian Eno

アルバムは全米3位・全英1位

2001年の第43回グラミー賞では「Beautiful Day」が「ソング・オブ・ザ・イヤー」と「レコード・オブ・ザ・イヤー」、2002年の第44回では「Walk On」が「レコード・オブ・ザ・イヤー」、アルバムが「ベスト・ロック・アルバム」など計7部門で賞を獲得。
音楽的には原点回帰のアルバム。と言っても90年代の多様な音楽的冒険を経た上で、良質のメロディ、シンプルなギター・サウンドに改めて意識を置いたということ。

「Walk On」は自宅軟禁中だったミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏に捧げた曲。そのため、ミャンマーではこのアルバムが放送禁止になったばかりか、同アルバムや同曲シングルなど関連作品の所持が見つかった場合は10年から20年の禁錮刑とされた。
Jane Siberry「Sail Across the Water」
なぜかイーノは女性シンガーの仕事が少ないのです。
∨シングル(1993年)

6th アルバム『When I Was a Boy(少年の日)』(1993年8月3日発売)収録

作詞・作曲:Jane Siberry/プロデュース:Brian Eno(この曲のみ)/Synth: Brian Eno
Jane Siberry:

1955年10月12日 カナダ・オンタリオ州トロント生まれ。

1981年、1st アルバム『Jane Siberry』リリース。

2016年、最新アルバム『Ulysses' Purse』リリース。

初期はプログレ的要素もあるニュー・ウェイブ・ポップだったが、しだいにジャズやゴスペルを取り入れた内省的、スピリチュアルな音楽に変わっていく。本作はその転換点と言える作品。
続ブライアン・イーノ史:

1992年、アルバム『Nerve Net』発表。ロバート・フリップやジョン・ポール・ジョーンズJohn Paul Jonesが参加。

1993年~ ”James”のアルバム4作品をプロデュース~2001年

1994年、マイクロソフトから依頼されWindows 95の起動音「The Microsoft Sound」を制作。

1990年代後半から、彼が「generative music」と呼ぶ、いろんなミュージック・トラックの組み合わせを自動的に行いつつ生み出されるその場だけの音楽のインスタレーション作品や、それと多数の絵が自動的に表示されるのを組み合わせたPC用作品『77 Million Paintings』(2006)やiPhone、iPad向けの作品『Bloom』(2008)などを発表する。

2005年、28年振りにヴォーカル・アルバム『Another Day on Earth』を発表。

2007年、”Coldplay”の4th アルバム『Viva la Vida or Death and All His Friends』(2008)をプロデュース。5th『Mylo Xyloto』(2011)では”enoxification""とソングライティングで参加。
Coldplay「Viva la Vida」
音楽にもっと冒険を求める。そんなときイーノが呼ばれるのだ。
∨アルバムからの2枚目のシングル(2008年5月25日発売)

4th アルバム『Viva la Vida or Death and All His Friends(美しき生命)』(2008年6月11日発売)収録

作詞・作曲:Guy Berryman, Jonny Buckland, Will Champion & Chris Martin/

プロデュース:Markus Dravs, Brian Eno & Rik Simpson/Sonic landscapes by Brian Eno/mix: Michael H. Brauer

イーノは自らをプロデューサーというよりは「Sonic Landscaper」と呼んでいる。
アルバムは全米1位・全英1位・オリコン3位 シングルも全米1位(バンド初)・全英1位

第51回グラミー賞で、「最優秀楽曲賞」(「Viva La Vida」)、「最優秀ロックアルバム」を獲得。

アルバム・ジャケットはユージェン・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が使われている。
Grace Jones「Well Well Well」
黒人女性アーティストのカリスマ、グレース・ジョーンズの19年ぶりのアルバムにイーノが貢献。
∨アルバムからのプロモーション用シングル(2009年)

10th アルバム『HURRICANE』(2008年11月3日発売)収録

作詞・作曲:Grace Jones & Barry Reynolds/プロデュース:Ivor Guest & Grace Jones/Production Consultaion: Brian Eno

/演奏:Compass Point All Stars(Sly Dunbar(dr), Robbie Shakespeare(b)とか)

1987年に死去したプロデューサー、アレックス・サドキンAlex Sadkinに捧げた曲

19年ぶりのオリジナル・アルバム
Grace Jones:

1948年5月19日、ジャマイカ、スパニッシュ・タウンにて、聖職者の父と政治家の母の間に生まれる。

1965年、ニューヨークへ移住し、演劇を学ぶ。その後ファッション・モデルとして活躍。ニューヨークのクラブ「Studio54」でアンディ・ウォーホルと出会い、交流を深める。
1977年、アイランド・レコードと契約。

「Pull Up to the Bumper」(1981)、「Slave to the Rhythm」(1985)などがヒットする。

「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2(Conan the Destroyer)」(1984)や「007 美しき獲物たち(A View To A KIll)」(1985)に出演し、女優としても活躍。
Dido「Grafton Street」
余韻が後を引く、美しく哀しいサウンド。
∨3rd アルバム『Safe Trip Home』(2008年11月17日発売)収録

作詞・作曲:Dido Armstrong, Rollo Armstrong & Brian Eno/プロデュース:The Ark & Dido

/Strings Arrangement: David Campbell

“This song was started in Brian Enos’s studio”とクレジットしてある。
Dido:

1971年12月25日、ロンドン生まれ。

兄はエレクトロニカ・バンド”Faithless”のメンバーで、音楽プロデューサーのロロ・アームストロングRollo Armstrong

1999年5月、シングル「Here with Me」でデビュー。米ドラマ「ロズウェル - 星の恋人たち」の主題歌に採用される。

1999年6月、1st アルバム『No Angel』リリース。

2001年2月、『No Angel』と「Here with Me」が世界発売される。

アルバムは全英1位・全米4位、全世界でこれまでに2200万枚売り上げた。シングルは全英4位

2003年、2nd アルバム『Life for Rent』リリース。

2008年、3rd アルバム『Safe Trip Home』リリース。

2013年、4th アルバム『Girl Who Got Away』リリース。
続ブライアン・イーノ史:

2012年11月、アンビエント・アルバム『LUX』を発表。
ENO・HYDE「The Satellites」
新たな共同クリエイター、カール・ハイド(from “Underworld”)を見出して、ますます元気なイーノ先生。
∨アルバム『SOMEDAY WORLD』(2014年5月5日発売)収録

作詞・作曲:Brian Eno & Karl Hyde/

プロデュース:Brian Eno & Fred Gibson/lead vocal: Eno/Alto sax: Andy Mackay

アルバムにはColdplayのWill Championも参加している。

共同プロデューサーのフレッド・ギブソンは当時弱冠20歳!ピアノやドラムス、ベース、バッキング・ボーカルでも貢献。
Karl Hyde:

1957年5月10日、ウスターソースの発祥地、英国ウースター生まれ。

1987年、”Underworld”1st アルバム『Underneath The Radar』リリース。

1991年、レコード会社から契約を打ち切られ、活動停止状態に。テクノ/エレクトロへと方向転換。

1993年、3rd アルバム『dubnobasswithmyheadman』リリース、英国12位。

1995年、シングル「Born Slippy」のB面「Born Slippy Nuxx」が映画「トレインスポッティング」のラストシーンに使われ、英国2位のヒットに。
イーノとカールは1995年に知り合い、意気投合する。初共同作業は2009年6月、シドニー・オペラハウスでの「Pure Scenius」というイベント。その後、イーノのスタジオで、ポリリズムの実験を継続的に行う。
続ブライアン・イーノ史:

なんと!『SOMEDAY WORLD』の1ヶ月後の6月には同プロジェクトの2nd アルバム『High Life』がリリースされた。


                        

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