爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.64 「B面どん
でん返し特集」

いい音爆音アワー vol.64 「B面どんでん返し特集」

2016年3月16日(水)@風知空知

「B面」という言葉自体使われなくなって久しいですが、アナログ・レコード時代は表と裏があり、A面B面と呼んでおりました。特にシングルでは、A面はその時のアーティストのいちばん押しモノの曲、対してB面はぶっちゃけまあ何でもいい、今で言うボーナストラックみたいなもんですかね、扱いに大きな差があったのですが、ごくタマに、A面よりB面曲のほうが評判になるということが起こりました。さらにはAB面をひっくり返して再発売するというケースもありました。レコード会社やプロダクションが懸命にプッシュするA面曲を差し置いてヒットしたのですから、そのB面曲はよほどパワーがある、つまり名曲だったに違いありません。

今回はそんな、「どんでん返し」なB面曲を集めてみました。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
GARO「学生街の喫茶店」

グループが短命に終わったのは、この曲がヒットしすぎたからかもしれない。

∨シングル「美しすぎて」(1972年6月20日発売)のB面だった

2nd アルバム『GARO2』(1972年6月25日発売)収録

作詞:山上路夫/作曲:すぎやまこういち/編曲:大野克夫

リード・ボーカル:大野真澄

オリコン1位 1973年度年間3位

B面の「学生街の喫茶店」がTBSラジオ「ヤングタウンTOKYO」で「今月の歌」に選ばれ、有線放送でも人気が出たため、1972年12月頃からジャケット写真はそのままだが、「学生街の喫茶店」のタイトルのほうが目立つように修正したジャケットのものに切り替えられていった。

発売5ヶ月後の1972年11月末頃から売れ出し、翌年の1月末にガロがテレビ出演したことで勢いが加速。オリコン・チャートで2月19日から4月2日まで7週連続で1位を獲得。

「日本有線大賞」で新人賞を受賞。1973年末、当時のフォークグループとしては珍しく「第24回NHK紅白歌合戦」に出演してこの曲を歌った。
GARO:

堀内護(MARK マーク)1949年2月2日-2014年12月9日

日高富明(TOMMY トミー)1950年2月22日-1986年9月20日

大野真澄(VOCAL ボーカル)1949年10月23日-
1970年11月に結成。 かまやつひろしのバックバンドを経て、日本コロムビアの新レーベル・マッシュルームレコードの第1回発売アーティストとして、1971年、シングル「たんぽぽ」でデビュー。

1972年、レーベル不振の打開策として、GAROがプロ作家の作品でシングル・ヒットを狙うことに。作戦が当たって「学生街の喫茶店」が大ヒットし、テレビのバラエティ番組にまで出演した。しかし急に上がった人気は長続きせず、メンバー間の音楽的な意見の相違も大きくなり、
1976年3月の神田共立講堂のコンサートをもって解散。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

今聴いてもドラムやギターがいい音してます。ナイスなグルーヴです。

∨4th シングル「カッコマン・ブギ」(1975年3月25日発売)のB面だった

作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

前作「スモーキン・ブギ」がヒットしたので、次のシングルもブギ物にしたが、発売前からB面の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が有線チャートで急上昇、発売1か月後(4月20日)にAB面を替えて再発売した。「B面が売れたらかっこいいね」という作戦だったという説もあり。

オリコン・シングルチャート5週連続1位

第17回日本レコード大賞で企画賞を受賞

阿木燿子の作詞デビュー曲。宇崎はこの歌詞を大いに気に入ったが、冒頭の「ちょっと前なら覚えちゃいるが…」の部分が、どうしても「スーダラ節」みたいなメロディになってしまうので、思い切って全編「語り」にしたという。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド:

1973年4月に結成、同年12月にシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。

1974年12月、シングル「スモーキン・ブギ」リリース。70万枚の大ヒット。

1975年、シングル「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。

1980年、”ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド”に改名し、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド時代の楽曲を封印、トレードマークだったツナギを着るのも止める。

1981年12月31日、解散。
ヒデとロザンナ
「愛の奇跡(L'AMORE E UN MIRACOLO)」

ほどよいイタリアン・テイストが新鮮でした。

∨デビュー・シングル「何にも言えないの」(1968年10月15日発売)のB面だった

作詞:中村小太郎/作曲:田辺信一/編曲:中川昌

オリコン6位

発売当初、デビュー曲「何にも言えないの」を宣伝するため、全国のレコード店キャンペーンを展開していると、佐賀の有線放送にB面の「愛の奇跡」のリクエストが殺到した。発売元の日本コロムビアは急遽A面とB面を入れ替え、レコードジャケットも新しくして再発売する。その後は売上を徐々に伸ばし、発売から4ヶ月後の1969年2月24日付チャートでトップ10入りし、その後2ヶ月近くトップ10以内をキープした。
ヒデとロザンナ

出門英:1942年12月15日 - 1990年6月17日 東京府出身

ロザンナ・ザンボンRosanna Zambon:1950年7月3日生、イタリアヴェネト州スキオ出身

1968年、出門英がイタリア出身の少女ロザンナ・ザンボンと結成。

1975年2月、二人は結婚。

1990年6月17日、ヒデが結腸癌により死去。享年47歳。
ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」

声のよさとチャラチャラしてない感じが他のGSとは一線を画していました。それにしても「ズー・ニー・ヴー」ってどういう意味なんだろ?

∨2nd シングル「涙のオルガン」(1969年4月発売)のB面だった

作詞:阿久悠/作曲・編曲:村井邦彦

発売後、AB面を替えて再発売されたが、ジャケットは見開き仕様だったのでオリジナル・デザインの片面がそのまま使用された。

オリコン18位、累計売上17.7万枚を記録した。

ズー・ニー・ヴー(Zoo Nee Voo):

1968年3月、結成。1971年、解散。

1968年10月、当時としては異例のアルバム『ズー・ニー・ヴーの世界』でデビュー。

1968年11月、1st シングル「水夫のなげき/雨あがりのサンバ」リリース。全く売れなかった。

1969年4月、2nd シングル「涙のオルガン/白いサンゴ礁」リリース。B面が大ヒット。

1970年2月、4th シングル「ひとりの悲しみ/未成年」リリース。改詞改題して尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」の元歌。

1970年、ボーカルの町田義人が脱退しソロへ転向。後任はのちにソロ・デビューする山本翔だった。
ザ・ピーナッツ「悲しき16才」

アメリカでは見向きもされなかったB面曲が日本では大ヒットというパターン。

∨シングル(1960年4月発売)A面

原曲=Kathy Linden「Heartaches At Sweet Sixteen」:シングル「Goodbye Jimmy, Goodbye」(1959年発売)のB面

作詞・作曲:Ira Kosloff, Tony Springer & Irving Reid 訳詞:音羽たかし

ケイシー・リンデンの「Goodbye Jimmy Goodbye」はヒットしたが、特に話題にもならなかったB面「Heartaches At Sweet Sixteen」のほうをザ・ピーナッツがカヴァーして大ヒットした。
ザ・ピーナッツ:

姉>伊藤エミ:1941年4月1日 - 2012年6月15日

妹>伊藤ユミ:1941年4月1日 -

愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。すぐに転居し、学生時代まで名古屋市在住。

1958年、渡辺プロダクションの渡邊晋にスカウトされ上京。

1959年4月、シングル「可愛い花」でデビュー。

1959年6月17日→1970年3月31日 フジテレビ系歌謡番組「ザ・ヒットパレード」のレギュラーを務める。

1961年6月4日→1972年10月1日 日本テレビ系バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でメイン司会を務める。

海外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」(米)や「カテリーナ・バレンテ・ショー」(西独)、「ダニー・ケイ・ショー」(米)にも出演した。

女優としては、「モスラ」での「小美人」役が有名。

1975年4月、引退。

エミは1975年6月4日に沢田研二と結婚するが、1987年1月に離婚。
弘田三枝子「砂に消えた涙」

唄の上手い人だけど、この歌唱はちょっとがんばりすぎでしょ。

∨シングル「はじめての恋人」(1964年12月20日発売)のB面

原曲=Mina Mazzini「Un Buco Nella Sabbia」(1964年発売)

作詞:Alberto Testa/作曲:Piero Soffici/訳詞:漣健児/編曲:山屋清

ミーナ・マッツィーニの原曲もイタリアのヒット・チャートで10位を獲得したが、日本ではより大ヒットとなった。原題の「Un Buco Nella Sabbia」は直訳すると「砂の穴」。

弘田三枝子バージョンは日本コロムビア移籍後の初シングル。B面ながらも、ミュージックライフ誌のチャート1位を獲得。伊東ゆかり、ザ・ピーナッツなどとの競作だったが弘田三枝子盤が最も売れた。
弘田三枝子:

1947年2月5日、東京都世田谷区池尻生まれ。

1961年、14歳で、東芝音楽工業から「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカヴァー)でデビュー。

1962年、各社競作で出された「Vacation」(コニー・フランシスのカヴァー)が大ヒット。

1969年、「人形の家」で第11回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。
Michel Polnareff
「Tout, Tout Pour Ma Cherie(シェリーに口づけ)」

ナイスな邦題で、B面からの鮮やかなどんでん返し!

∨日本盤シングル(1971年発売)A面

作詞・作曲:Michel Polnareff/プロデュース:Michel Polnareff

1969年、フランス本国で「Tous les bateaux, tous les oiseaux」のB面に「Tout tout pour ma ch?rie」で発売されヒットしたので、同年、日本でもそのまま、A面「追わないで」、B面「可愛いシェリーのために」という邦題で、CBSソニーから発売されたが売れなかった。

1971年、「シェリーに口づけ」の邦題で改めてリリースしたところ(今度はA面)、ラジオから火がつき、40万枚を売り上げるヒット曲となる。これで日本での人気も急騰、以降「Love me, please love me(愛の願い)」「Holidays(愛の休日)」などヒットを連発していく。
「シェリーに口づけ」という邦題を命名したのは元ソニー・ミュージック、現在ドリーミュージック社長の高久光雄。高久は当時日本コロムビアの社員だったが、この曲が絶対売れると思い、1971年、ポルナレフの担当になるためにCBSソニーに中途入社したという。発売前、邦題決定の締め切りギリギリになって、「Tout, Tout」がキスの音みたいだから「シェリーに口づけ」にしたとのこと。

ちなみに、フランス語の「ch?rie」は、英語の「darling」に相当する「愛しい人」の意味。
ミッシェル・ポルナレフ:

1944年7月3日生、フランス・ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身。

1966年5月、4曲入りEP「La poup?e qui fait non(ノンノン人形)」でデビュー。ギターにジミー・ペイジ、ベースにジョン・ポール・ジョーンズが参加。15万枚を売る大ヒット。

同年6月、続いて3曲入りEP「Love me, please love me(愛の願い)」も大ヒット。
REO Speedwagon「In Your Letter(涙のレター)」

苦節十年でやっとつかんだ全米1位のシングル曲を、日本ではB面にして…!

∨日本盤シングル(1981年)A面

10th アルバム『Hi Infidelity(禁じられた夜)』(1980年11月21日発売)収録

作詞・作曲:Gary Richrath
先行シングルで全米1位となった「Keep On Loving You」をわざわざB面にして、リリースしたシングル。「B面どんでん返し」と言うよりは「B面にどんでん返され」ですかね。

当時「レコード会社がA面とB面を間違えてリリースしてしまった」という噂もあったというが、ジャケットに”全米で爆発的大ヒット中「キープ・オン・ラヴィング・ユー」と豪華カップリング”とのキャッチ・コピーがあるので当然意図してのこと。
REO Speedwagon:

1967年、米国イリノイ州で結成される。

1971年、1st アルバム『REOスピードワゴン』でデビュー。

1980年11月、10th アルバム『Hi Infidelity(禁じられた夜)』リリース。翌年、それまで8週連続全米1位をキープしていたジョン・レノンの『Double Fantasy』に替わり1位を獲得。その後、15週連続全米1位をキープし、売上は1000万枚を越えた。さらに1981年の年間アルバムチャートでも1位となった。

1991年、解散。

1992年、再結成。その後現在も活動中。
【追悼(1)】George Martin ---
The Beatles「Day Tripper」

この人がビートルズと契約していなかったら、音楽の歴史はいったいどうなったでしょうね。ありがとうございました。安らかにお眠りください。

∨11th シングル「We Can Work It Out(恋を抱きしめよう)」(1965年12月3日発売)のB面

作詞・作曲:John Lennon & Paul McCartney/プロデュース:George Martin

英国では両A面だった。アルバム『Rubber Soul』と同時期だが、アルバムには未収録。

全英1位、全米5位、オリコン96位
George Martin:

1926年1月3日 - 2016年3月8日 ロンドン・ハイベリー生まれ

ギルドホール音楽演劇学校でクラシック音楽の基礎を学ぶ。オーボエ奏者として活動した後、BBC音楽部門勤務を経て、1950年にEMIへ入社。

1955年、EMI傘下パーロフォンのマネージャーとなり、コメディ俳優のピーター・セラーズなどコメディ音楽の制作を多く手がけた。

1962年よりビートルズを手がけ、1965年にEMIから独立、AIR(Associated Independent Recording)スタジオを設立する。

その後もジェフ・ベック、アメリカ、チープ・トリック、ポール・マッカートニーらのプロデュースを手がける。

1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの「Candle In the Wind ‘97」は、彼にとって英国における30曲目のチャート1位作品となった。

2016年3月8日、死去。享年90歳。
ビートルズのデモテープに対する彼の第一印象は「ひどかった」そうだが、1962年6月6日、ビートルズをEMIスタジオに呼び、ビートルズの演奏技術を確かめた後、その場でデビュー曲のレコーディングを行ったという。契約したのはその後である。ちなみに、そのときビートルズのメンバーにマーティンが「何か気に入らないことがあるか?」と尋ねると、ジョージ・ハリスンは「あなたのネクタイが気に入らないね!」と返したそうだ。
【追悼(2)】Keith Emerson ---
Emerson, Lake & Palmer「Eruption~Stones Of Years」

指の神経症を憂いて自殺?!鍵盤を弾けないくらいなら死んだほうがマシということだったのでしょうか?凄まじい鍵盤人生に合掌です。

∨2nd アルバム『TARKUS』(1971年5月発売)収録

作詞:Greg Lake/作曲:Keith Emerson/プロデュース:Greg Lake

アルバムは全英1位・全米9位・オリコン55位(ELP唯一の1位獲得作品)

キース・エマーソン:

1944年11月2日 - 2016年3月10日 英国ランカシャー州トドモーデン生まれ

二十歳になる前からピアノやハモンド・オルガンで音楽活動を始める。

1967年、ソウルシンガー、P. P. Arnoldのバックバンドとしてスタートした”The Nice”が徐々に評判になる。

1970年、Emerson, Lake & Palmerを結成。

1979年の解散までに7枚のアルバムをリリース。
ナイス時代からハモンド・オルガン「L-100」を傷めつけながら弾く過激なパフォーマンスがトレードマークで、「オルガンのジミ・ヘンドリックス」と呼ばれた。

また、シンセサイザーを初めてロックに持ち込んだとしてその功績を讃えられている。「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」とロバート・モーグから評されている。

一方、サンプラーについてはメロトロン以来否定的で、フェアライトCMIが流行ったときも「不純だ」という理由で使わなかった。
2016年3月10日、ロサンゼルスの自宅で死去。地元の警察によれば、頭を銃で撃ち抜いての自殺。享年71歳。

右手に神経の障害があり、悪化しているを自覚していたため鬱状態であったと言われる。

4月に東京・大阪のビルボード・ライブで公演を予定していた。
ビリー・バンバン「白いブランコ」

発表直前にB面からA面にされたデビュー曲だが、元のA面候補、どのベストアルバムにも入っていない。なんでそれをA面にしようとしたのか?

∨デビュー・シングル「星空のハプニング」(1969年1月15日発売)のB面候補

作詞:小平なほみ/作曲:菅原進/編曲:ありたあきら

「星空のハプニング」のB面曲としてリリース予定だったが、ニッポン放送のディレクター・井村文彦の意見で、発表直前にAB面が入れ替えられたという。

菅原進さんが、浜口庫之助氏の渋谷の自宅にあったブランコに座ってこの曲を作ったそう。

イントロにトランペットが勝手にレコーディングされていて、進はこれに怒り、スタッフに抗議したらしい。

結果、20万枚を超えるヒットとなった。
兄弟デュオ

兄>菅原孝 1944年8月7日、東京都国立市生まれ コントラバス担当

弟>菅原進 1947年9月21日、東京都国立市生まれ ギター担当

学生時代からバンド活動をしていた二人はやがて兄弟デュオとなり、浜口庫之助の指導を受ける。

1969年1月、「白いブランコ」デビュー。

1972年2月、日本テレビのドラマ「3丁目4番地」の主題歌となった「さよならをするために」が約80万枚の大ヒット。

1976年に解散。

1984年に再結成。

2007年11月、麦焼酎「いいちこ」のCMソングとなった「また君に恋してる」リリース。

2009年1月に坂本冬美が、やはり「いいちこ」のCMソングとしてカヴァーし、シングル「アジアの海賊」のカップリングとして発売したが、評判を呼び、10月に両A面扱いに仕様変更された。

2014年7月、孝が脳出血で入院したが、2015年5月、復帰する。
キャンディーズ「年下の男の子」

このポップさで、50万枚売れて、オリコン9位どまり!この頃の音楽市場の活況を物語ってますね。

∨5th シングル(1975年2月21日発売)のB面候補

4th アルバム『年下の男の子』(1975年4月21日発売)収録

全作詞:千家和也/作曲・編曲:穂口雄右

オリコン9位(初のトップ10シングル)

元々「私だけの悲しみ」がA面用、「年下の男の子」がB面用として制作されたが、発売時には入れ替わった。

この「年下の男の子」からスーに替わり、ランがリードボーカルを務め、センターに移った。

この曲で1975年末の「第26回NHK紅白歌合戦」に初出場。
キャンディーズ:

伊藤蘭(ラン)1955年1月13日 -

田中好子(スー)1956年4月8日 - 2011年4月21日

藤村美樹(ミキ)1956年1月15日 -
1973年、シングル「あなたに夢中」で歌手デビュー。

1977年夏、人気絶頂時の日比谷野外音楽堂のコンサートで、突如解散を発表する。「普通の女の子に戻りたい!」

1978年2月、ラスト・シングル「微笑がえし」が初めてオリコン1位を獲得。

1978年4月4日、後楽園球場に5万5千人を集め、お別れコンサート「ファイナル・カーニバル」が行われた。歌謡界史上最大のショーと呼ばれ、これをもって4年半の活動に終止符を打った。
ハナ肇とクレージーキャッツ( 植木等)「スーダラ節」

クレージーキャッツを大ブレークさせた傑作コミックソングは、間に合わせに20分で作られたB面曲だった。

∨1st シングル「こりゃシャクだった」(1961年8月20日発売)のB面だった

作詞:青島幸男/作曲・編曲:萩原哲昌

「こりゃシャクだった」は、1959年からフジテレビで始まった「週刊クレイジー」という番組から生まれたクレイジー・キャッツの第1号流行語「こりゃシャクだった」を使って歌を作れば当たること間違いなしということで制作したもの。で、このB面を埋めるために20分ほどで作られたのが「スーダラ節」。そしたら「こりゃシャクだった」はあまり話題にならなかったのに、「スーダラ節」が大ヒットし、後にAB面が入れ替えられた。
渡辺プロダクションが制作し、原盤を東芝音楽工業に供給した。レコード会社以外が原盤権を持った初めてのケースである。

曲の大ヒットを受け、1962年には大映で映画「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ」が製作された。同年の東宝、無責任シリーズ第1弾「ニッポン無責任時代」でも唄っている。
Underworld「Born Slippy .NUXX」

テクノなのに熱いパッションを感じる。

∨シングル「Born Slippy」(1995年1月1日発売)のB面

作詞・作曲・プロデュース:Rick Smith, Karl Hyde, Darren Emerson

1995年中はあまり売れなかったが、Bサイドの「Born Slippy .NUXX」が1996年2月公開のダニー・ボイル監督の映画「Trainspotting」のラストシーンに使われて注目され、1996年7月1日に「Born Slippy .NUXX」をフィーチャーしたシングルを発売。あっという間に全英2位に上がった。
Underworld:

80年代前半にカール・ハイドKarl Hydeとリック・スミスRick Smithを中心に”Freur”結成。1983年にシングル「Doot Doot」が英58位。

1987年、バズ・アレンBaz Allenが加わり、”Underworld”としてサイア・レコードと契約。

1988年、1st アルバム『Underneath The Radar』リリース。

1989年、2ndアルバム『Change The Weather』リリース。

1991年、レコード会社から契約を打ち切られ、活動停止状態に。

同年、DJのダレン・エマーソンDarren Emersonを加え、テクノ/エレクトロへと方向転換。

1993年、3rd アルバム『dubnobasswithmyheadman』リリース、英国12位。

1995年、シングル「Born Slippy」のB面「Born Slippy Nuxx」が映画「トレインスポッティング」のラストシーンに使われ、英国2位のヒットに。

1999年、5th アルバム『Beaucoup Fish』リリース。英国3位。

2000年、カールとリックのふたりになる。

2002年、6th アルバム『A Hundred Days Off』リリース。英国16位。
ちあきなおみ「黄昏のビギン」

1959年のB面曲が、半世紀を経てスタンダード曲へとどんでん返し!

∨シングル(1991年6月21日発売)A面

アルバム『すたんだーど・なんばー』(1991年7月21日発売)収録

作詞:永六輔/作曲:中村八大/編曲:服部隆之

元は水原弘の2nd シングル「黒い落ち葉」(1959年10月発売)のB面。

詞は永六輔とクレジットされているが、「実は全部八大が書いた。でも自分が関わった中でこの曲がいちばん好きだ」と永がラジオで発言している。

中村八大も、代表作を問われたときに「黄昏のビギン」をあげることが多かった。

しかし、発売当初は何の話題にもならず、やがて時の流れに埋もれていった。

それをちあきなおみが32年後にとりあげた。日本の名曲を「スタンダード」としてよみがえらせる企画アルバム『すたんだーど・なんばー』の1曲目、そして先行シングルとして「黄昏のビギン」を選んだ。

「京成電鉄・スカイライナー」(1991)、「ネスカフェ」(1999-2003)、トヨタ自動車(2011)と、数々のCMで使用され、じわじわと世の中に浸透していった。

2000年2月には、「かもめの街」のBサイドとして改めてシングル化される。6月にオリコン86位となる。それ以降、さだまさし岩崎宏美薬師丸ひろ子高橋真梨子井上陽水など10アーティスト以上にカヴァーされ、完全にスタンダード化する。
ちあきなおみ「矢切の渡し」

演歌らしくないサッパリとした歌唱が逆によいです。

∨シングル「酒場川」(1976年10月1日発売)のB面だった

作詞:石本美由起/作曲:船村徹

1976年シングルの際、スタッフは「矢切の渡し」をA面としたかったが、ちあきは「酒場川」を希望したため、B面収録となった。

この時は、何の話題にもならず、本人もステージなどでも一度も歌わなかったが、6年後の1982年、「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に使われて好評を得、同年6月に開始したTBS系テレビドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」(梅沢も出演)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。そこで同年10月21日、本作をA面として改めてシングルが発売された。

翌1983年に細川たかしがこの曲をカヴァーし、シングルが発売された。同年中にこの他、瀬川瑛子中条きよし春日八郎藤野とし恵島倉千代子&船村徹など、7組のシングルが競作で発売されたが、最も売れたのは細川盤だった。

なぜか、ちあき盤は細川盤(同じ日本コロムビア)が発売された際に生産中止となっている(ちあきは1983年、ビクターに移籍し、外国曲の日本語カヴァー・アルバムを制作していた)。
山下達郎「Bomber」

B面だったのに、山下達郎の運命を変えた曲。

∨1st シングル「Let's Dance Baby」(1979年1月25日発売)B面

4th アルバム『GO AHEAD!』(1978年12月20日発売)収録

作詞:吉田美奈子/作曲:山下達郎/プロデュース:山下達郎

「Let's Dance Baby」は”ザ・キング・トーンズ”の1978年のアルバム『レゼレクト 銀河からの帰還』に提供した曲。ディレクター小杉理宇造が気に入り、アルバム4作目にして初のシングル曲となった。

「Bomber」は”アイズレー・ブラザーズ”のようなハード・ファンクをやってみようと思って作ったとのこと。なぜか大阪のディスコで大ヒットした。それを受けて、大阪ではシングルのAB面を逆にして臨時発売された。

『GO AHEAD!』は「最後の作品になるかもしれないという思いがあったので、やりたいことを詰め込んだゴッタ煮のアルバムとなった」と本人が語る。作曲家への転向も考えていたらしい。その中から「Bomber」がヒットし、彼の運命が変わり始めた。
Elton John「Your Song(僕の歌は君の歌)」

“How wonderful life is while you're in the world”。いいフレーズだなぁ。

∨シングル「Take Me to the Pilot(パイロットにつれていって)」(1970年10月2日発売)のB面

2nd アルバム『Elton John(僕の歌は君の歌)』(1970年4月10日発売)収録

作詞:Bernie Taupin/作曲:Elton John/プロデュース:Gus Dudgeon

全英7位・全米8位 アルバムは全英5位・全米4位


シングルのB面として発売された。しかし、ラジオDJたちは「Your Song」ばかりオンエアし、英米ともにエルトン初のトップ10ヒットとなった。

エルトンはインタビューで「私はこれ以来すばらしいラブソングを書いていない」と言っている。

2002年になって、オペラ歌手アレッサンドロ・サフィーナとのデュエット・バージョンがリリースされ、英国で4位となった。

日本では、1970年当時は100位以内に入らなかったが、1992年11月公開の織田裕二主演の映画「エンジェル 僕の歌は君の歌」の主題歌としてシングルが再発されると、オリコン93位、1996年5月にテレビドラマ「イグアナの娘」の主題歌としてまたも再発され、このときは49位まで上がった。
Otis Redding「I Can't Turn You Loose」

何度聴いてもこのとき24歳とは信じられません。

∨シングル「Just One More Day」(1965年発売)のB面

作詞・作曲:Otis Redding

全米Hot Black Singles 11位

B面としてリリースされたが、オーティス・レディングの代表曲のひとつとなり、ライブ・バージョンも数多く残されている。また様々なアーティストがこの曲をカヴァーした。

1968年、”The Chambers Brothers”のカヴァーが全米37位となる。

アレサ・フランクリンAretha Franklinはアルバム『Aretha』(1980)、エタ・ジェイムスEtta Jamesはライブ・アルバム『Etta, Red-Hot & Live』(1982)で、“Was (Not Was)”はアルバム『What Up, Dog?』(1987)で、それぞれこの曲をカヴァー。

1980年のヒット映画「The Blues Brothers」、その続編の「Blues Brothers 2000」でも使われた。
The Spinners「I'll Be Around」

B面にしたことが信じられない、フィラデルフィア・ソウルの超名曲です。

∨Atlantic移籍第1弾シングル「How Could I Let You Get Away」(1972年8月発売)のB面だった

3rd & Atlantic移籍第1弾アルバム『Spinners(フィラデルフィアより愛をこめて)』(1973年4月発売)収録

作詞・作曲:Thom Bell & Phil Hurtt/プロデュース:Thom Bell

Lead vocal: Bobby Smith/演奏:MFSB (Mother Father Sister Brother フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオ所属のスタジオ・ミュージシャン・チーム)

ビルボードR&Bチャート5週連続1位、Hot 100 3位、キャッシュボックス1位、全英11位

アルバムはR&Bチャート1位、POPチャート14位

V.I.P.レコードからアトランティックに移籍しての第1弾シングル&アルバム。A面の「How Could I Let You Get Away」もR&Bチャート14位と、まずまずの成績をあげるが、ラジオDJたちはB面の「I'll Be Around」の方をかけまくった。それによりレコード会社はAB面を入れ替え、シングルはグループにとって初のR&Bチャート1位獲得となり、100万枚を超える予想外のヒットとなった。
XTC「Dear God」

アメリカで売るためにアメリカ人プロデューサー、トッド・ラングレンに依頼したが、アルバムからはずしてB面に追いやった曲がアメリカのDJに受けたという皮肉。

∨シングル「Grass」(1986年8月16日発売)のB面だった

9th アルバム『Skylarking』(1986年10月27日発売)に後に収録

作詞・作曲:Andy Partridge/プロデュース:Todd Rundgren

最初に登場する歌声はトッド・ラングレンの友人の8歳の娘、Jasmine Veillette

元々、アルバム『Skylarking』のために録音したが、アンディ・パートリッジの意向により、先行シングルの「Grass」のB面としてのみで、アルバムには入れなかった。

しかし、米国のDJたちがB面の「Dear God」をかけまくり、ビルボードのHOT 100には到達しなかったものの、ロック・チャートで37位というスマッシュ・ヒットとなった。

これにより「Dear God」をA面としたシングルも発売され、米国盤のアルバムはリイシューされてこの曲を収録した。

サラ・マクラクランSarah McLachlanが、XTCのトリビュート・アルバム『A Testimonial Dinner: The Songs of XTC』の中でこの曲をカヴァーした。
オリジナル・ジャケットはレコード会社Virginにより却下されたが、2001年にパートリッジが自らのレーベルAPEレコードから再発したアナログ盤から採用した。
加山雄三「旅人よ」

絵画、料理も一流の腕前という超多才な人だけど、若い頃の作曲の才能はどこへいったの?

∨11th シングル「夜空を仰いで」(1966年10月15日発売)のB面

作詞:岩谷時子/作曲:弾厚作/演奏:加山雄三とザ・ランチャーズ

どんでん返ってはないが、加山雄三の作品の中でいちばんいい曲という評価が多い。

加山雄三(本名:池端直亮 いけはたなおあき):

1937年4月11日、横浜市生まれ、茅ヶ崎市育ち。身長168cm。母方のひいひいおじいさんは岩倉具視。

1960年春、東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー。

1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。

1965年12月、映画「エレキの若大将」主題歌として発売された「君といつまでも」が350万枚の特大ヒット。

2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
松田聖子「Sweet Memories」

35以上ものカヴァー作品が存在する、堂々たるスタンダード・ナンバーもB面から生まれた。

∨14th シングル「ガラスの林檎」(1983年8月1日発売)のB面だった

作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗

週間1位(オリコン)

第25回日本レコード大賞で編曲賞を獲得(金賞は「ガラスの林檎」)

リリース3週間後、オリコンで1位となる。その後B面「Sweet Memories」がサントリーCANビールのCM で人気を博し、11週間ぶりに再び1位に返り咲く。そこで10月20日に両A面シングルとして新しいジャケットに切り替えた。

複数の映画で使われたり、リタ・クーリッジ、ニコレッタ・ラーソン、スタイリスティックス、スターダスト・レビュー上田正樹桑田佳祐山崎まさよし和田アキ子工藤静香小島麻由美などなど、35組ものアーティストにカヴァーされており(男性も多い)、松田聖子の数あるヒット曲の中でも特に高い人気を得ている曲である。
松田聖子(本名:蒲池法子):

1962年3月10日、福岡県久留米市荒木町生まれ。

1980年、「裸足の季節」でレコード・デビュー。

1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコン・シングルチャート1位を獲得。
Rod Stewart「Maggy May」

B面のまま1位に上りつめたロッド・ステュアートの出世作。

∨シングル「Reason To Believe」(1971年8月発売)のB面

3rd アルバム『Every Picture Tells a Story』(1971年5月発売)収録

作詞・作曲:Rod Stewart & Martin Quittenton/プロデュース:Rod Stewart

全英1位・全米1位 アルバムも全英1位・全米1位 ソロ初の大ヒット

オハイオ州クリーブランドやマサチューセッツ州ボストンWMEX のラジオDJたちが気に入り、「Maggy May」のほうをA面扱いにしたが、シングル自体は売れ出してもB面のままプレスされた。
ロッド・ステュアート:

1945年1月10日、ロンドン生まれ。

1967年、ジェフ・ベックの率いるジェフ・ベック・グループに参加、人気を博したが2作のアルバムを残し、1969年末に解散した。

1968年10月、ソロ歌手としてマーキュリー・レコードと契約し、1969年7月、1st アルバム『An Old Raincoat Won't Ever Let You Down(ハンドバッグと外出着)』をリリース。

1969年10月、Steve Marriottが抜けた”Small Faces”にロン・ウッドに続いて加入、グループは”Faces”と改称する。

1975年、”Faces”解散、ロッドはアトランティック・レコードに移籍し、ロスに移住。

1978年11月、9th アルバム『Blondes Have More Fun』およびシングル「Da Ya Think I'm Sexy?」リリース。ともに全米1位の大ヒット。

1994年12月31日、ブラジル、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸で行ったコンサートには420万人が集まり、コンサート動員数のギネス記録となっている。

2002年、クライヴ・デイヴィスが設立したJ RECORDSに移籍。スタンダード・ナンバーをカヴァーした『The Great American Songbook』シリーズ全4作が大ヒット。

2013年5月、15年振りにソング・ライティングに参加したオリジナル曲を含む28th アルバム『Time(タイム~時の旅人~)』をリリース。34年振りとなる全英1位を獲得。

2015年10月、29th アルバム『Another Country』リリース。

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