爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.55 「ドラマー
特集」

いい音爆音アワー vol.55 「ドラマー特集」

2015年6月17日(水)@風知空知

「おやじバンド」でドラムを担当している私ですので、ドラムにはうるさいのです。

筒に張られたプラスチックの皮や金属の板を叩くだけなのに、なぜこのように人によって、グルーヴが違い、音が違ってくるのか。ドラムマシンやサンプラーが発達して、ドラマーは休業に追い込まれるのではないか、というような心配をした頃もありましたが、ぜーんぜん。シンプル故に人の個性が如実に現れるこの楽器は、今後もなくてはならないものであり続けるでしょう。

好きなドラマーの好きなドラミングの曲ばかり集めてみました。


福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Ringo Starr - The Beatles「Get Back」

ドラマーの楠均君曰く、この曲のリンゴのドラムはすごい。細かいフレーズを延々と、涼しい顔してやっている。

∨19th シングル(1969年4月11日発売)

13th アルバム『Let It Be』(1970年5月8日発売)収録(別ミックス)

作詞・作曲:Lennon-McCartney

全英・全米1位 オリコン10位
リンゴ・スター(本名:Richard Starkey):

1940年7月7日、英国マージーサイド州リヴァプール生まれ

子供の頃、病弱であったために長い期間に渡って入退院を繰り返し、ほとんど学校にも行くことができなかった。この入院中に医者からドラムを教えてもらった。

”ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ”というバンドに在籍していたとき、ビートルズと出会い、ビートルズがレコード・デビューする直前の1962年8月、ピート・ベストと交代する形で加入。

左利きだが右利き用のドラム・セットを使う。
◎使用ドラム:Ludwig Oyster Black Pearl Set(ビートルズ時代)、Ludwig Hollywood(Get Back Session)


崩壊しかけているバンドを再びまとめるため、「原点に返ろう=Get back」というコンセプトでレコーディングを行い、その模様を映画に収めるという、ポール発案の企画が「Get Back Session」。1969年1月2日からスタートし、『Get Back』というタイトルでアルバムを発売する予定でグリン・ジョーンズがミックスをするが実現せず、後にフィル・スペクターがまとめ、『LET IT BE』として発売される。

1969年1月30日、ビートルズとビリー・プレストン(e.p.)はアップル本社ビルの屋上に上り、2年5ヶ月ぶりのライヴ・パフォーマンスを行う。これは映画のラストを飾るために企画されたもので、後に「ルーフトップ・コンサート」として知られることになる。
Al Jackson Jr. - Al Green
「Let's Stay Together」

超シンプルなのにめちゃくちゃ気持ちよいグルーヴと音。

∨シングル(1971年発売)

アルバム『LET’S STAY TOGETHER』(1972年1月31日発売)収録

作詞・作曲:Al Green, Willie Mitchell, Al Jackson Jr.

全米1位 全英7位

※Quentin Tarantino監督の映画「Pulp Fiction」(1994)などで使われている。
アル・ジャクソン・ジュニア:

1935年11月27日〜1975年10月1日、米国テネシー州メンフィス生まれ。

1962年より、“Booker T. & the M.G.'s”の創設メンバーとして、Staxレコードの専属セッション・ミュージシャンとして活躍した。敬意を込めて”The Human Timekeeper”というあだ名で呼ばれた。

1975年10月1日、家に侵入していた暴漢に撃たれて死亡。満39歳。
◎使用ドラム: Rogers


アル・グリーン:

1946年4月13日、米国アーカンソー州生まれ。

1969年、ハイ・レコードのプロデューサー、Willie Mitchellと出会い、1970年のアルバム『Al Green Gets Next To You』と1971年の『Let's Stay Together』がヒット、一躍スターとなる。

1974年、ガールフレンドから熱湯を浴びせかけられ、重度のやけどを負う。その後彼女は自殺。この出来事に深く心を痛めた彼は牧師になる決意をし、1980年代以降はゴスペル・シンガーに転身、また牧師として宣教活動に力を入れた。
青山純 - 遊佐未森「雨上がりの観覧車」

1拍目キックの3拍目スネアという超シンプルパターンなのにこのグルーヴ。そしてかなりでかいのにボーカルをじゃましないスネアの音色。

∨4th アルバム『HOPE』(1990年9月21日発売)収録

作詞:工藤順子/作曲:外間隆史/編曲:外間隆史+中原信雄

アルバムはオリコン5位
あおやまじゅん:

1957年3月10日〜2013年12月3日、東京都出身。

セッション・ミュージシャンとして精力的に活動。特に1980年代から90年代、山下達郎のレコーディング、ライブ活動でのレギュラー・ドラマーとして活躍。

2013年12月3日、肺血栓塞栓症にて死去。満56歳
◎使用ドラム:主に独ソナー


ゆさみもり:

1964年2月20日、仙台市生まれ。

1988年4月、アルバム『瞳水晶』でデビュー。

2016年10月、19th アルバム『せせらぎ』リリース。
Steve Gadd - Patti Austin「Say You Love Me」

いつまでも聴いていたい優しいグルーヴです。

∨1st アルバム『END OF A RAINBOW』(1976年発売)収録

作詞・作曲:Patti Austin/編曲:David Matthews/プロデュース:Creed Taylor/エンジニア:Rudy Van Gelder
スティーヴ・ガッド:

1945年4月9日、米国ニューヨーク州ロチェスター生まれ。

軍楽隊のドラマーのおじの勧めで、7歳よりドラムのレッスンを受ける。

1972年、トニー・レヴィン、マイク・ホルムスとトリオを結成。

トリオ解散後、ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして活動を始める。

1973年、チック・コリアの”Return To Forever”に参加するが、短期間で脱退。

1976年〜1981年 ”Stuff”に参加。
◎使用ドラム:YAMAHA(エンドースメント契約)


パティ・オースティン:

1950年8月10日、米国ニューヨーク州ハーレム生まれ。

1960年代後期から、プロのセッション・ミュージシャンとして活躍。

1976年、CTIレコードからアルバム『End Of A Rainbow』でデビュー。

続いて『Havana Candy』 (1977)、 『Body Language』 (1980)をリリース。

マイケル・ジャクソンと「It's the Falling in Love」(『Off the Wall』収録)でデュエットしている。

2007年4月、アルバム『Avant Gershwin』をリリース。このアルバムで初のグラミー賞を受賞。
Bernard "Pretty" Purdie - Aretha Franklin「Rock Steady」

唄も他の楽器もみんな、このドラミングに乗っかって踊っているよう。

∨シングル(1971年10月11日発売)

アルバム『YOUNG, GIFTED AND BLACK』(1972年1月24日発売)収録

作詞・作曲:Aretha Franklin/プロデュース:Tom Dowd, Arif Mardin, Jerry Wexler

全米9位、R&B 2位 アルバムは全米11位、R&B 2位
バーナード・パーディ:

1939年6月11日、米国メリーランド州エルクトン生まれ。

高校卒業後にニューヨークへ移り、セッション・ドラマーとして活動を始める。キング・カーティスのドラマーを務めて名を上げ、1970年からはアレサ・フランクリンのバックバンドのバンマスを務めた。

「ビートルズの初期の21曲でドラムを叩いた」と主張しているが嘘。 ビートルズのポリドール・セッション(デビュー前、1961-62年、ドイツ・ポリドールとの契約で9曲レコーディング)のうち3曲を後にオーバーダビングした。
アレサ・フランクリン:

1942年3月25日、米国テネシー州メンフィス生まれ。

1961年、コロムビア・レコードからデビュー

1967年、アトランティック・レコードに移籍。

1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。1987年、女性アーティスト初のロックの殿堂入りを果たした。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。
David Garibaldi - Tower Of Power
「You Got To Funkifize」

正確なビート。きれいな音。シンプルなセット。変則的なフレーズ(この曲ではマトモ)。

∨2nd アルバム『BUMP CITY』(1972年 ワーナー移籍第1弾)収録

作詞・作曲:Emilio Castillo & Stephen ""Doc"" Kupka
デイビッド・ガリバルディ:

1946年11月4日 米国カリフォルニア州オークランド生まれ

17歳からプロとして仕事を始めるが、ベトナム戦争が始まり、空軍の楽隊のメンバーとなる。兵役解除後、1970年に”Tower Of Power”に加入する。

1980年代からは数々のセッションワーク。

1998年1月にT.O.P.に再度参加。
タワー・オブ・パワー:

1968年夏 テナーサックス奏者のEmilio Castilloとバリトンサックス奏者のStephen ""Doc"" Kupkaが中心になってカリフォルニア州オークランドで結成。
Bill Bruford - King Crimson
「One More Red Nightmare」

イエスも好きだけど、キンクリもね。チャイナ・シンバルが印象的。

∨7th アルバム『RED』(1974年11月発売)収録

作詞・作曲:Robert Fripp, John Wetton
ビル・ブルフォード:

1949年5月17日 英国ケント州セブンオークス出身

在籍したバンドはイエス、キング・クリムゾン、UK、ジェネシス(ライヴ・サポートのみ)、ナショナル・ヘルスなどプログレの大物バンドばかり。

使用ドラム:TAMA? 「シモンズの最初で最後の使用者」と呼ばれている(1981年から1998年まで使用)
ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォードの3人が核となって活動した時期の最終作。70年代最後のスタジオ・アルバム。本作リリース直前に解散を表明した。

歌の部分は4/4だが、インスト部分は15/8, 7/4, 12/8の組み合わせ。

7:07で突然曲は終わる。歌詞は乗っている飛行機が落ちる夢を見ている男の話なので、”ボーイング707”と引っ掛けたか?
Narada Michael Walden - Jeff Beck
「Led Boots」

この辺からそろそろ何をやっているのか分からなくなってきます。

∨アルバム『WIRED』(1976年5月発売)収録

作詞・作曲:Max Middleton/プロデューサー:George Martin

アルバムは全米16位、オリコン7位
ナラダ・マイケル・ウォルデン:

1952年4月23日 米国ミシガン州Kalamazoo出身。

十代の頃から主にジャズ・フュージョン系のセッション・ドラマーとして活動を始め、1974年にマハヴィシュヌ・オーケストラに参加。

その後ソロ・アルバムを発表、代表作は1979年の『The Dance Of Life』。

1980年代からは、映画音楽やブラックコンテンポラリー系アーティストのプロデュースを手がけるようになる。

1982年、高中正義のアルバム『SAUDADE』をプロデュース、インスト・アルバムとして、日本初のオリコンチャート1位を達成。

1985年、アレサ・フランクリンのアルバム『Who’s Zoomin’ Who?』をプロデュース、収録曲「Freeway Of Love」(共同作曲者)でグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。

1987年 ホイットニー・ヒューストンの『ホイットニー』で最優秀プロデューサー賞、1993年 映画「ボディガード」のサウンドトラックで最優秀サウンドトラック賞を受賞するなど、プロデューサーとして華々しく活躍。
Billy Cobham - Mahavishnu Orchestra
「One Word」

こちらはマハビシュヌ・オーケストラ初代ドラマー。スティックが見えない(ほど手数が多くて速い)という都市伝説があったなあ。

∨2nd アルバム『BIRDS OF FIRE(火の鳥)』(1973年3月発売)収録

作詞・作曲:John McLaughlin

アルバムは全米15位、全英20位、日本17位
ビリー・コブハム:

1944年5月16日 パナマ生まれ、3歳の時に家族と共に米国ニューヨーク州へ移住。

幼少期からドラムに親しみ、7歳の頃には奏法に疑問を感じて、オープンハンド奏法に切り替えたという。

1968年にホレス・シルヴァーのバック・バンドに加入。

ジョージ・ベンソンやマイルス・デイヴィスのアルバムに参加。

1970年、ブレッカー・ブラザーズや、ジョン・アバークロンビーらと”DREAMS”に参加。

1971年〜1973年、マハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーとして活動。

1973年、初のリーダー・アルバム『スペクトラム』をリリース。

1974年、ファニア・オールスターズに参加

1976年、ジョージ・デューク、ジョン・スコフィールド、アルフォンソ・ジョンソンらと”Bill Cobham/George Duke Band”を結成。

1980年代は、再びマハヴィヌシュ・オーケストラ、”Clarke Duke Project”、”Jack Bruce & Friends”、”Bobby & the Midnights”などのグループに参加。

2000年代には、""Drums & Voice""というプロジェクトを開始。
◎使用ドラム:TAMA(エンドース)


マハビシュヌ・オーケストラ:

ジョン・マクラフリン(Mahavishnu John McLaughlin)(g)、ビリー・コブハム(ds)、リック・レアード(b)、ヤン・ハマー(key)、ジェリー・グッドマン(vl)というメンバーで、1971年にアルバム「The Inner Mounting Flame(内に秘めた炎)」で衝撃的なデビュー、2作目の「Birds of Fire(火の鳥)」がジャズ・ロックのアルバムとしては異例の全米15位とヒット。

1973年 マクラフリンはメンバー交代を断行し、ジャン=リュック・ポンティ(vl)やナラダ・マイケル・ウォルデン(ds)らが加入、プロデューサーにジョージ・マーティンを迎え、1974年『黙示録』をリリース。

1976年で一旦解散するが、1984年にビル・エヴァンス(sax)らを迎え再結成。
Vinnie Colaiuta - Gino Vannelli
「Stay With Me」

2009年に来日したジェフ・ベックのバックで叩きまくる生カリウタを観ました。口があんぐりしてしまいました。

∨7th アルバム『NIGHTWALKER』(1981年発売)収録

作詞・作曲:Gino Vannelli

レーベル:Arista

アルバムは全米15位
ヴィニー・カリウタ:

1956年2月5日生まれ。米国ペンシルベニア州ブラウンズビル出身。

14歳の時に両親からフルセットを贈られ、本格的にドラマーを目指す。

ボストンのバークリー音楽院で1年間学ぶ。

1978年(22歳)、フランク・ザッパのオーディションを受け、その演奏の困難さで悪名高い課題曲「The Black Page」を見事に演奏し合格した。ザッパのアルバム3枚でドラムを叩いたが、どれもが驚くべき内容だと多くのドラマーが認め(特に『Joe's Garage』、特に「Packard Goose」)、フランクも自伝において、ヴィニーのプレイをバンド歴代ドラマーで最高のものと評価している。

1990年、『The Soul Cages』発表後のライブ・ツアーから7年間、スティングのバンドに参加する。レコーディングにはそれ以上の期間加わった。

「Modern Drummer magazine」誌の読者投票で選出されるドラマー・オブ・ザ・イヤーに通算18度選ばれた。1996年には、現代ドラム奏者の殿堂入りし、今を生きる最も重要なドラマーと評された。
◎使用ドラム:Yamaha→Gretch→Ludwig→Heuer (cusom made)


ジノ・ヴァネリ:

1952年6月16日、カナダ・ケベック州モントリオール生まれ。

A&Mスタジオの駐車場に何時間も待ち続け、やっと現れたハーブ・アルパートHerb Alpertに、ガードマンに阻まれながらデモ・テープを渡し、A&Mとの契約にこぎつけた。

1973年、アルバム『Crazy Life』でデビュー。

1978年9月、シングル「I Just Wanna Stop」がカナダ1位、全米4位のヒット。
Jeff Porcaro - Boz Scaggs「Lowdown」

軽やかで鮮やか。華があるドラム。

∨シングル(1976年6月発売)

7th アルバム『SILK DEGREES』(1976年3月発売)収録

作詞・作曲:Boz Scaggs, David Paich

全米3位 アルバムは全米2位

・このアルバムのレコーディングで集まったメンバーがTOTOを結成(1977)した。
ジェフ・ポーカロ:

1954年4月1日、米国コネチカット州ハートフォード生まれ。

父はジャズ・ドラマー、パーカッション奏者として著名なジョー・ポーカロ。7歳から父の教えでドラムを習い、10代の頃からセッション・ミュージシャンとして活動を始める。

活動初期にスティーリー・ダンのツアーとレコーディングに参加して注目される。

1977年、共に売れっ子セッション・ミュージシャンとして活躍していたルカサー、デビッド・ペイチ、弟のスティーブらとTOTOを結成。

1992年8月5日、自宅の庭で殺虫剤を散布後にアレルギーで心臓発作を起こし急死。満38歳没。
◎使用ドラム:Pearl(エンドース契約)
Harvey Mason - Herbie HancockChameleon

スネアの粒立ち、小気味よさが驚異的です。

∨12th アルバム『HEAD HUNTERTS』(1973年10月13日発売)収録

作曲:Hancock, Paul Jackson, Mason, Bennie Maupin/プロデュース:Herbie Hancock, David Rubinson

アルバムはBillboardジャズチャート1位 ポップチャート13位
ハーヴィー・メイソン

1947年2月22日、米国ニュージャージー州アトランティック・シティ生まれ、

4歳からドラムを演奏し始める。

高校卒業後、バークリー音楽大学とニュー・イングランド音楽院で学ぶ。

1973年、ハービー・ハンコックのグループに参加、『Head Hunters』を録音する。

1970年代後半から80年代初頭の日本におけるフュージョン・ブームのときにアルファ・レコードと提携し、大村憲司や”カシオペア”のアルバム・プロデュースを行う。

1991年、ボブ・ジェームス、リー・リトナー、ネーザン・イーストと”Fourplay”を結成し、セルフ・タイトルでデビュー。(リー・リトナーは1997年に脱退し、ラリー・カールトンに交代、さらに2010年からチャック・ローブに交代)
◎使用ドラム:Canopus(エンドース契約)


ハービー・ハンコック:

1940年4月12日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれ。

1960年、プロ・デビュー。

1963〜68年はマイルス・デイビス・クインテットのメンバーとして活躍。

1973年、アルバム『HEAD HUNTERTS』リリース。従来のジャズファンの枠を超えて反響を呼び記録的に売上げる。

1976年、元マイルス・グループの黄金のクインテットと称されたときのメンバー(ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、フレディ・ハバード、ロン・カーター)を集めて、モダン・ジャズのグループ、“V.S.O.P.クインテット”を結成し世界中をツアー。

1983年、アルバム『FUTURE SHOCK』で、ヒップ・ホップを大胆に導入。
Harvey Mason - Herbie Hancock
「Shiftless Shuffle」

特別にもういっちょ。この手数・足数で7分以上もプレイしているだけで超人。

∨30th アルバム『MR. HANDS』(1980年9月発売)収録

作曲:H. Hancock/プロデュース:Herbie Hancock, David Rubinson

b: Paul Jackson tenor sax: Bennie Maupin key: Herbie Hancock perc: Bill Summers
・『HEAD HUNTERTS』の未発表テイク!オーバーダブなし。
Phil Collins - Philip Bailey
「Easy Lover (Duet with Phil Collins)」

スネアの音が男前だねぇ。

∨シングル(1984年11月発売)

アルバム『CHINESE WALL』(1984年10月発売)収録

作詞・作曲:Bailey, Collins, Nathan East/プロデュース:Phil Collins

全米2位 全英4週連続1位
フィル・コリンズ:

1951年1月30日、英国ロンドン生まれ。

5歳の時から子役として演劇界で活躍、観客役のエキストラで『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』にも出演している。

1970年、”ジェネシス”に加入。

並行して、1970年代には”ブランドX”にも参加。

1996年、ジェネシスを脱退。

1981年、1st ソロアルバム『Face Value(夜の囁き)』をリリース。

1989年発売のシングル「Another Day In Paradise」が、1991年のグラミー賞にて「Record of the Year」を受賞。

2008年4月、表舞台からの引退を表明。

2010年9月、8年ぶりとなるアルバム『Going Back』を発売。全英チャートで12年振りとなる1位を獲得。

2011年3月、再び引退することを明らかに。
◎使用ドラム:左利き Gretsch


フィリップ・ベイリー:

1951年5月8日、米国コロラド州デンバー生まれ。

1971年、”Earth, Wind & Fire”に加入。
Stewart Copeland - The Police
「Driven To Tears(世界は悲しすぎる)」

ハイピッチのスネア。リムショットを多用。フラムショットがかっこいい。それだけでフィル・インになる。

∨3rd アルバム『ZENYATTA MONDATTA』(1980年10月3日発売)収録

作詞・作曲:Sting/プロデュース:The Police & Nigel Gray

アルバムは全米5位 全英1位
ステュアート・コープランド:

1952年7月16日、米国バージニア州アレクサンドリア生まれ。

4人兄弟の末っ子。父はCIAのエージェント。兄の1人、マイルス・コープランド3世は、ポリスのマネージャーを、もう1人の兄・イアンは、ポリスのブッキング・エージェントを務めた。

生まれてすぐ一家はエジプト・カイロに移転。1957年、レバノンに移転。

12歳の時にドラムを習い始める。

1974年、“Curved Air”にローディとして雇われ、翌年にはドラマーとなる。

1974年からジャズ・ロック・バンド”ラスト・イグジット”を結成して活動していたスティングのステージを見て、度重なる説得をして、1977年ポリスを結成。

1986年、ポリス活動停止中、スタンリー・クラーク、シンガーソングライターのデボラ・ホーランドと”アニマル・ロジック”を結成。

映画のサウンド・トラックも多い。1983年、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ランブルフィッシュ』の音楽で、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。

2006年、撮りためた映像を集め、自ら監督した映画「Everyone Stares: The Police Inside Out」をサンダンス映画祭に出品した。

2007年、ポリス再結成。
◎使用ドラム:TAMA


The Police:

1977年に結成、翌年にはアルバム『アウトランドス・ダムール』でデビュー。

1984年1月に活動停止を宣言。1986年、再び集まるが、改めて活動停止。
John Bonham - Led Zeppelin
「Misty Mountain Hop」

この人の大きなグルーヴは誰にも真似できません。

∨4th アルバム『IV』(1971年11月4日発売)収録

作詞・作曲:John Paul Jones, Jimmy Page, Robert Plant

アルバムは全米2位、全英1位、オリコン2位
ジョン・ボーナム:

1948年5月31日 - 1980年9月25日、英国ウスターシャー州レディッチ生まれ。

5歳でドラムを始める。

1964年、”テリー・ウェブ・アンド・ザ・スパイダース”に加入。次第に、イギリスで最も大きな音を出すドラマーとして評判となり、ドラムヘッドを打ち破ったり、あまりの音量の大きさにクラブからは演奏を止めるように言われたりするようになる。ある日、旧友のロバート・プラントと再会し、彼のいた”バンド・オブ・ジョイ”に参加する。

1968年7月、ボーナムのプレイを見たジミー・ペイジは、即座に彼を新バンドに加えることを決めたが、ボーナムは乗り気ではなく(ロリー・ギャラガーとバンドを組みたがっていたという説あり)、プラントとバンドのマネージャーのピーター・グラントが合計40回近くにもなる電報での説得を行い、なんとか加入させる。

・・・・・・

ホームシックと重度の飛行機恐怖症を紛らすために、酒に頼り、依存が深まる。

1980年9月25日、前日のリハーサル終了後、ウィンザーのペイジ宅で酔い潰れてベッドに寝かされたが、そのまま死亡。死因は、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死。満32歳没。

同年12月4日 ツェッペリンは解散声明を発表。
◎使用ドラム;ラディック

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