ロックンロールの素晴らしさを体現してきた布袋寅泰が、多大な影響を受けてきた楽曲を奔放にカバー。サウンドを耳にすれば明らかだが、純粋に音楽と向き合ったと思しき姿が新鮮に映る。少年のような表情で本作を語ってくれた。
取材:土屋京輔

どんな気分でギターに
向かうかということ

今年2月には『GUITARHYTHM』シリーズの新作がまさかのリリースとなって驚かされましたが、さらに今回は初のカバーアルバム。これもまた予想外でした。

今回の『MODERN TIMES ROCK'N'ROLL』にしてもそうだけど、結果的に良いタイミングで自分のベーシックに立ち戻れたよね。自分にとっても新鮮だったし、奇をてらったわけでも、後ろ向きなわけでもないけど、こういう大きな流れが穏やかな気持ちの中で、音楽的にも充実したかたちで訪れた感じはありますね。前からカバーアルバムは作りたいと思っていたけど、やっぱり“This Year's Model”というか、その時その時の自分がやりたいものを模索することから逃げてはいけないという考えもあったので、なかなか作るタイミングがなかったかな。純粋に今回はミュージシャンとしてだけではなく、いちリスナー、いちロックファンに戻れたんですよね。

このタイミングでカバーに取り組んだ理由は?

僕のオリジナルの新曲ももちろんだけど、それ以前にギタリストでもあるわけで、その原点みたいなものも聴いてみたいって、事務所の社長や周りの人たちからもよく言われてたんですよ。また、ビートルズのカバーの話(2009年10月にリリースされたコンピレーション盤『LOVE LOVE LOVE』)があったのもきっかけのひとつになっているかな。それと『GUITARHYTHM V』で久々にご一緒した福富幸宏くんの存在は大きいね。僕と同世代の彼は、DJでありながらミュージシャンでもあり、マニアックなロックリスナーでもあるわけですよ。その辺で感覚がすごく似ていて、また何か一緒にやりたいねっていう気持ちが強くあったね。昔から“MODERN TIMES ROCK'N'ROLL”というタイトルは、何となく頭の中にあって…まぁ、ロックンロールはいつの時代もモダンであるとは思うけど、デジタルレコーディング主流のこの時代で、自分の音楽も含め、ちょっと装飾過多になりつつあるというか、何もかもが自由になる分だけ、ロックンロールが持つガツンと一発みたいな、衝動だけで成り立っているエネルギーから少し離れつつあるなと感じていて。そんなことを考えた時に、今がいいチャンスかなと。だから、僕はシャウトとギターに専念して、モダンな味付けは共同プロデューサーの福富くんに託しましたね。『GUITARHYTHM V』の後に『GUITARHYTHM VI』に行くのは、逆に言えば簡単なことだったけど、ここで何か面白いチャレンジをという時に、カバーというのがすごくストレートに思えたんですよ。実際に『GUITARHYTHM V』のツアーで、改めて『GUITARHYTHM』からの道のりを辿ったけど、それは『VI』に行くためじゃなく、『V』で完結するための『V』であったような気がしてならないね。

集大成的なものになったということですか?

ある意味でね。“さて、次に自分がワクワクするものは何だろう?”と言っても、いきなりここで僕がタップダンスを始めるわけでもないし(笑)、どんな気分でギターに向かうかということでしょう? そんな時に取り組んだビートルズの『BACK IN THE U.S.S.R.』も新鮮だったし、“カバーをやるとしたら?”と福富くんと話を始めたら、すごくワクワクしてね。何かしら影響されたものって無限にあるわけですから、いろんなチョイスもできるし、群馬から新宿レコードに来て、レコードを漁ってた時みたいに、目の前のロックという世界がワーッとまた久々に広がって。

やってみたい曲は膨大にあったでしょうね。

そうだね。かといって、あんまりマニアックなカバー集を作ったところで誰も喜ばないだろうし、今のリスナーの側にあるのが邦楽であるなら、逆にこのほうが新鮮に聴こえるかなというのもあったしね。そんな中で突きつけるとしたら、リフ一発でガツンと来るような曲をね。また、自分が衝撃を受けた数々のロッククラシックスの中で、きっとそういった輝きみたいなものを見つけられるはずだなというのもあった。それと“ロック=ギター”とまでは言わないとしても、ロックからギターをマイナスしたら何になるかといったら、ロックじゃなくなるような気がするじゃない? だから、改めてそんなものを自分の中で確かめたかったのもあるね。テクノロジーの進化により、ロックのみならず、いろんなものが身近になったけれども、スピリットは遠く離れてしまった。音楽との出会いは自分にとって、すごく大きなものだったから、やっぱそういうことも伝えたくなるよね。ギターを弾くことやロックンロールすることを仲間と一緒にがっつり楽しんでさ。スピリットは明確だったから、終始スタジオは和やかだったし、仕上がりも肩肘張ってなくて、いい意味で軽いと思うんですよ。オリジナルアルバムを作ると、毎回“またちょっと力が入りすぎちゃったな”って反省点みたいなものも出てくるんだけど(笑)、“布袋のギターは悪くないけど、ちょっとヘヴィだよなぁ”みたいに思っている人にとっては(笑)、今回のほうがよっぽど聴きやすいだろうし、逆に布袋らしいのかもしれない。それはやっててすごく感じたね。

先ほどの話のように、本当にいちロックファンに戻ったような感覚でのレコーディングだったんですね。

そうだね。エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーなどは僕の前の世代だし、裏の裏で辿り着いた表だから、自分にとっても新鮮だったし、結果的に愛あるカバーになったしね。でも、なかなか難しかったですよ。僕らはグラムロックとかパンク~ニューウェイヴの世代だから、自分のルーツにないものもあるわけでね。でも、不思議なもんで、例えば『BORN TO BE WILD』(ステッペンウルフ)をやると、何かすでに自分の体の中に入ってるんですよ。そういうふうに継承された音楽にも俺は影響を受けているわけだし、また逆に俺の音楽から影響を受けているバンドたちもいるだろうし、そういう人たちの中にも脈々とロックの血は伝わってるんだなぁとも思えたし。

どこか無責任とはいえ
やっぱり自分の好きな曲

実際に取り組んでみて、特に意外性などに面白さを感じたものをいくつか挙げるとするなら?

アンタッチャブルなものもありますからね。T-REX辺りの曲もホントに上手くできていて、単純なリフなんだけど、『テレグラム・サム』にしても、一個が違うと全部がもうT-REXじゃなくなっちゃう。そんなマーク・ボランの生き霊みたいなものも感じながら丁寧にやったし(笑)。逆に『すべての若き野郎ども』(モット・ザ・フープル)や『悪魔を憐れむ歌』(ローリング・ストーンズ)みたいに原形を残しながらも、ちょっと新しいアプローチをすることで今日的な響きをもたらした曲もあるし。人の曲だから、どこか無責任とはいえ、やっぱり自分の好きな曲なんですよ。大切にやったから、曲を傷付けてないというか。例えば4つ打ちで全部やろうと思えばできるけど、ロックファンが聴くと、それはすごく冒涜的に聴こえると思うんだよね。自分の作った音楽も、気持ちのこもったカバーならいいけど、単に面白おかしくされちゃっても悲しいだけじゃない? まぁ、でも、逆に今回はギターがそうさせてくれないというかね。『すべての若き野郎ども』はデヴィッド・ボウイの来日公演でオープニングアクトをやった時に、“一緒に1曲やろう”って言ってもらって、そこで演奏した思い出の曲でもあるんですよ。自分のギターでデヴィッドさんが歌う…晴れて、ギター少年・布袋くんの夢が叶ったという。バラードじゃないんだけど、心がすごく広がるでしょう? 愛だ、恋だ、じゃなくても、こんなに泣けるんだっていうのも、ギターやロックンロールを通して届けたかった気分かな。

歌詞についてはどうでしょう? 本作のリスナー層として想定されている若い世代に対するメッセージも、この曲にはあるような気がするんですよ。

うん。実際はサウンドのアプローチから選んだものばかりだったけど、歌うに当たって改めて歌詞と向き合ってみた時に、まったく色褪せていないし、逆に今だからこそ伝えたいことがたくさんあったんだよね。それは僕もびっくりしました。『悪魔を憐れむ歌』もしかり。歌詞から選んだのは『SAILING』ですよね。自分のロック人生も20数年が過ぎ、年齢的にも47歳になった。でも、なおもまだ目的を持って航海が続いている。そういった心情とダブったんだよね。その意味合いで言うと、今回は鮎貝 健くんが英語のティーチャーとして、ずっと歌入れに付き合ってくれてね。サウンドがカッコ良くても英語がデタラメだと原曲にも申し訳ないので。楽しいレコーディングの中で唯一の苦しみがそれだったとしたら、それを超えられたから、完成度も増した気がするし。まだまだ拙いけど、やっぱり気持ちだけはね。それとね、僕は昔、洋楽のレコードを買って、歌詞カードの対訳を見ながら、こんなことを言ってるのかと思いながら聴いてたんだけど、それを味わってもらいたくて、ライナーノーツを立川直樹さんに書いてもらって、新たな訳詞も書いてもらってさ。それを読みながら聴いてもらうのもきっと楽しいと思うんだ。

今回はCDだけではなく、布袋モデルのギターを象ったUSBメモリの形態でもリリースされるんですよね。

うん。ご覧になりました? USBと聞くと形のない音楽にとうとう…と思いきや、スタッフから“ギターの形を作りたいと思ってるんです”って提案されて、それは面白いねと。ある種、僕のアイコンだし、テクノロジーに対してギターが刺さるなんてカッコ良いじゃんと思ってさ。昔が全ていいわけでもないし、それを言い切っちゃったらおしまいよってところもあるし、実際、今のこういうテクノロジーも好きだからさ。そこに対しては後ろ向きではありたくないんだよね。でも、聞くのと見るとでは…どっちかと言ったら、急に(CDよりも)こっちが欲しくなったりするでしょ?(笑)

ええ(笑)。ただ、現実的なことを言えば、音質面では妥協せざるところも出てきますよね。

うーん、逆に言うと、妥協してるのはリスナー側じゃないかなと思うのね。というのは、ケータイが悪いとは思わないけど、最近はコンポで聴く人も少ないと聞くし、言い始めるときりがないんだよね。音が劣化するからUSBはやめようとなっちゃうと、せっかくのチャレンジもできなくなる。もちろん、どっちがいい悪いという話じゃなくて、最高のオーディオじゃなかったらよく聴こえないような音楽じゃまずいし、逆にロックンロールは、昔からボロボロのラジカセで聴いたって、モノラルで聴いたってカッコ良いものだろうし。その辺は自信がありますからね。ただ、“形のない音”というのは当たり前になっていくでしょうけど、ダウンロードして飽きたら消去みたいな、せっかく入ったものが消えていってしまうのは寂しいかな。あまりにも情報量が多いと、どうしてもそうなっていっちゃうんだろうけど、せっかくの素敵な出会いを見過ごしてしまったり、目の前にあるのに気付かなかったりというのはね。やっぱり、音楽はハードディスクの容量以上に、自分の中に感情や思い出やいろんなものとともに、残っていくものであってほしいからね。
布袋寅泰 プロフィール

ホテイトモヤス:日本屈指のロック・ギタリスト兼シンガー。1988年、氷室京介をも擁したBOØWYを解散。同年、アルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。この求道的なスピリットに満ちた硬派ロックアルバムは、当時としては珍しい全編英詞による極めてアーティスティックな作品であった。翌89年には吉川晃司とCOMPLEXを結成し、1stアルバム『COMPLEX』をリリース。計2枚のアルバムを残し、90年に惜しまれつつ解散。その後、ようやく実質的なソロキャリアをスタートさせ、「ビート・エモーション」「さらば青春の光」「スリル」「ポイズン」と、作家性と大衆側に接近したポップ性が見事に同居した楽曲を続々とリリース。ストイックなロックミュージシャンであると同時にヒットメイカーとしての才能も開花させていった。布袋寅泰 オフィシャルHP

OKMusic編集部

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