70年代中期、ABBAは突如スウェーデンから現れた。米ファンクやユーロビートのグループにない芳醇なメロディーを中心に、日本のディスコ界に旋風を巻き起こした。

ユーロビートの範疇にはおさまらないA
BBAの音楽

70年代中期のディスコ黎明期にあって、アメリカのファンクやソウル以外に世界中に大きなヒットを生み出したのは、ドイツ・ミュンヘン発信のユーロビートであった。特にシルバー・コンベンションの「Fly, Robin, Fly」(‘75)やドナ・サマーの「愛の誘惑(原題:Love To Love You Baby)」(’75)は日本のディスコでもかなり流行ったものだ。
ユーロビートはダンスに特化した音楽で、シンセを多用した単調なリズムが特徴的だ。アメリカのダンス音楽は黒人(白人もいるが)のファンクやソウルなどの人力演奏を中心にしたもので、熱いグルーブ感覚が特徴だっただけに、これらふたつの音楽は正反対の性質を持っていた。しかし、アメリカでもヨーロッパでもない日本では、そのどちらもが愛されたのである。ディスコ音楽の発信地としてドイツやオーストラリア(ビージーズ)が多いのも似たような理由で「ファンクであろうがユーロビートであろうが、踊れる素材なら何でもOK」という精神なのである。

スウェーデン出身のABBAが、ディスコであれほどの注目を集めたのも同様の理由からだ。しかし、ABBAは他のディスコのグループとその成り立ちは違う部分が多い。ヨーロッパに近いだけにユーロビート的な音作りは多いが、彼らはダンスに向いている音楽だけをやっているわけではなく、曲作りをはじめ、コーラスなどについても、ポップスとして聴くのにも適したオールマイティーなグループなのである。それが証拠に、ABBAの前身となるビョルン&ベニーの「木枯らしの少女(原題:She’s My Kind Of Girl)」(‘72)は、日本人好みの哀愁あるメロディーで当時大ヒットした。この頃すでに彼らの曲作りの巧みさは知られていたのである。今回はディスコ企画なので、彼らの中でもディスコで大ヒットしたものにスポットを当ててみたいと思う。

それでは、ABBAの極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみよう!

1.「ダンシング・クイーン(原題:Dan
cing Queen)」(‘76)

「これを知らない日本人はいない!」と断言できるほどヒットした曲である。彼らの初となる全米&全英1位を獲得した記念すべきナンバーで、ここからABBAは83年に解散するまで怒涛の如く大活躍することになる。サウンドの印象としては、バリー・ホワイトの「愛のテーマ」を下敷きにしながら、メリハリのあるリズムと伸びやかなヴォーカルが心地良いテンポを生み出している。何気ないようなストリングスとシンセのフレーズもアクセントになっている。ディスコブームで人気を集めた他のグループやシンガーが、均一のリズムを提示するにとどまり、音楽としてのバイタリティーに欠ける中、ABBAの多彩で巧みなメロディーが以後のディスコ界にもたらした影響は大きかった。

2.「マネー・マネー・マネー(原題:M
oney, Money, Money)」(‘76)

日本ではテレビのテーマにも使われ、1)と並んで誰もが知る曲である。ユーロビートがベースになってはいるが、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」ばりのクラシカルな面もあるなど、一風変わった雰囲気を持つナンバー。マドンナやカイリー・ミノーグなど、80年代に登場するディスコのスターたちが参考にしたと思われるメロディーは、ABBA(特にソングライティングを担当したビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソン)の高い作曲能力によるものだ。のちのミュージカル映画『マンマ・ミーア』(‘08)を観れば分かるが、彼らの音楽はジャンルや人種を超えて、多くの人が共感した。

3.「ギミー!ギミー!ギミー!(原題:
Gimme! Gimme! Gimme![A Man After Mi
dnight])」(‘79)

マドンナのヒット曲「Hang Up」(‘05)でサンプリングされ、その過程でマドンナがいかにABBAの音楽を愛していたかを、多くの人が知ることとなったいわく付きのナンバー。当時、ディスコでこの曲の派手なストリングスのフレーズが頭から離れなくなった人は多いと思うが、彼らの曲の中でももっともディスコに向いている曲のひとつだろう。途中のリズム隊によるセクション部分では、珍しくスラップベースなども登場し、ダンスを煽ろうとしているのがよく分かる。この曲がリリースされた79年は、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(’77)の公開も終わり、世界中でディスコの数が増え続けている時期だけに、ABBAもかなりサウンドに踊りやすい仕掛けを施し勝負に出ている感じだ。

4.「マンマ・ミーア(原題:Mamma Mia
)」(‘75)

「ダンシング・クイーン」が大ヒットする1年前にリリースされ、ディスコというよりはポップスファンに注目されたナンバー。特にイギリス、オーストラリアなどでは1位を獲得し、ABBAの名前が定着するきっかけとなった。日本ではポップスと言えばカーペンターズやオリビア・ニュートン=ジョンに人気が集中していて、この時点ではヨーロッパのほうがディスコ熱は高かったと言えるだろう。この曲でも2)と同じようにクイーンの影響が感じられ、ユーロビートっぽさもまだあまりない。ただ、楽曲の完成度は相当高く、ディスコの存在がなくても、間違いなく彼らは成功していたと思う。優れたメロディーを提示できることが、他のディスコ向けグループとABBAとの大きな違いであり、この曲はそのことがよく分かる好サンプルになっている。

5.「ヴーレ・ヴー(原題:Voulez-Vous
)」(’79)

テクノポップが全盛となる80年代を迎える少し前にリリースされたナンバー。無国籍な印象があるメロディーで、どちらかと言えば日本の昭和歌謡的なイメージだ。オランダ出身のショッキング・ブルーの代表曲のひとつ「悲しき鉄道員(原題:Never Marry A Railroad Man)」(‘70)や西ドイツのジンギスカンによる「ジンギスカン」(’79)などと同様のテイストを持つ。日本人は無国籍の哀愁を感じさせるメロディーが好きなのである。もっと言えば、ゴダイゴの「ガンダーラ」とか久保田早紀の「異邦人」的なサウンドね。もちろん、この曲も日本のディスコではかなりの人気となった。ホーンセクションの使い方とかヴォーカルの「アハ」が、どことなくマイアミ出身のKC&ザ・サンシャイン・バンドに似たところがあるが、それもそのはず、この曲はマイアミのクライテリア・スタジオでレコーディングされているのだ。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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