The Mahavishnu Orchestra

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    The Mahavishnu Orchestraザ・マハヴィシュヌ・オーケストラ

    67年にジョン・コルトレーン(sax)が急逝するや、ジャズ界の流れはマイルス・デイヴィス(tp)主導型へと移行していった。マイルスは、ハービー・ハンコック(p)らを主力に自身のコンボのメンバー・チェンジを重ね、早くもバンドのエレクトリック化(ジャズとロックの融合)に着手していた。
    一方69年、イギリスから渡米したジョン・マクラフリン(g)は、マイルス・コンボのドラマーであったトニー・ウィリアムスのバンド"ライフタイム"への参加がきっかけとなり、マイルスから誘いを受ける。69年2月『イン・ア・サイレント・ウェイ』の録音に初参加。さらに8月、マイルス最大の問題作『ビッチェズ・ブリュー』や、70年の『ジャック・ジョンソン』(映画サントラ盤)、『ライブ=イヴィル』など、たて続けに起用されることになり、マイルスのバンドに多大な貢献を果たした。
    この頃から音楽的精神性をインドに求めたマクラフリンは、71年にマハビシュヌ・オーケストラ(g、vln、key、b、drの5人編成)を結成し、『マイ・ゴールズ・ビヨンド』を録音。バンド名は、彼が師と仰ぐインドのスリ・チンモイ師の命名による。同じく71年8月に吹き込んだ『内に秘めた炎』は、72年度ダウンビート誌のレコード・オブ・ジ・イヤーに選ばれ、読者による人気バンド投票ではロック/ポップス/ブルースのグループ部門で、強豪のシカゴ/ブラッド・スウェット&ティアーズ/チェイスなどのブラスロック・バンドを押さえて堂々1位を獲得。さらに、バンド・リーダーのマクラフリンもギター部門でトップに輝くなど多くの話題を独占している。72年9月には話題作『火の鳥』を録音。
    初のライヴ・レコーディング『虚無からの飛翔』を発表後、73年12月に一時バンドを解散。しかし翌74年にはヴァイオリン奏者がジェリー・グッドマンからジャン・リュック・ポンティに代わり、第2期マハビシュヌ・オーケストラを再開、1年間活動を行う。再開後の音はロンドン・シンフォニック・オーケストラとの共演『黙示録』に聴かれる。
    マハビシュヌ・オーケストラはロックやジャズ、インド音楽などを巧みに融合させることにより、独特な美意識をもった新しいサウンドの構築に成功した。 (山本晋平)

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