近江俊郎

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    近江俊郎オウミトシロウ

    デビューしたのは戦前の昭和11年だが、陸軍の軍属として全国の軍需工場を行脚するなど下積み生活を経た上で、その存在が陽の目を見たのは戦後。46年に奈良光枝とのデュエット・ソング「悲しき竹笛」がヒットしたのを皮切りに、「悲しき竹笛」「山小舎の灯」など大ヒットを飛ばし、古賀政男が作曲した「湯の町エレジー」で頂点を極めることに。ヴィブラートがかかった伸びやかな歌声と甘いマスクは、女性を中心に高い人気を獲得した。その後も、映画監督として『坊ちゃん』シリーズを手掛けたり、テレビの歌番組の司会を務めるなどマルチな才能を発揮。お茶の間の顔として老若男女に拘らず広く国民から愛された。
    92年に他界。

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