町田町蔵

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    町田町蔵マチダマチゾウ

    現在は芥川賞受賞の肩書きを持つ売れっ子作家としての名のみ高名になってしまったが、町田町蔵(康)の表現活動の出発点が音楽にあったことは事実だし、またその異能は音楽というメディアでこそ存分に花開いたことはまちがいないと思える。残念ながら音楽の世界ではその才能にふさわしい評価や成功を得ることができず、町田は文学へと足を踏み入れていったわけだが、彼の饒舌で豊饒な文体のリズムは、音楽活動を通して得られたものが大きいはずだ。
    音楽家・町田を形成したのはパンク・ロックである。17歳でセックス・ピストルズを聴いて触発され、バンドを始める。79年にINUを結成し、81年にアルバム『メシ喰うな!』でデビュー。これは現在に至るまで、フリクションの『軋轢』やザ・スターリンの『虫』と並ぶ歴史的名作としての評価が定着している。浪曲や漫談、漫才といった日本古来の語り物芸の影響も大きい、震えるような特異なヴォーカル・スタイルと、切っ先鋭い言葉のセンスは、すでにこのころから明らかであり、さらにINUのスピード感のある演奏と一体になったバンド・サウンドのインパクトは、いま聴いてもじゅうぶんに新鮮だ。
    だがINUはたった1枚のアルバムを残して解散してしまい、その後の町田はふな、人民オリンピックショー、至福団、北澤組、グローリーといったバンドを作っては壊し……といった落ち着かない活動が続く。その間何枚かの傑作アルバムを残し、印象的なライヴ・パフォーマンスも何度かあったが、この時期の町田はその才能と表現衝動を持て余し、思ったような評価を得られない苛立ちが支配していたように思える。何本かの映画に出演し俳優としても非凡な存在感を示したものの、彼がその才能にふさわしい評価と成功を得るのは、96年の作家デビュー(「くっすん大黒」)を待たねばならない。
    近年の町田はシアター・ブルックの佐藤タイジとミラクルヤングというバンドを組み、フジ・ロック・フェスティヴァルに出演するなどしているが、レコードは97年の『脳内シャッフル革命』以来発表しておらず、音楽活動には消極的であると言わざるをえない。とはいえ彼の文学作品には、いまだに「パンク歌手」としての生理とリズムがしっかりと息づいているのである。 (小野島 大)

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